■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

均しき望み 作者:奇伊都

第22回   能ある鷹の爪は痛そう?
 空気が暗い。そして重い。
 均実は徽煉が簡雍を追いかけてでていった後の部屋をそう感じた。
 二人の夫人は黙ったまま何も口にだそうとはしない。
 準備しろといっていたが、そんな逃避行に持っていける量などたかが知れている。
 均実は二人を見守りながら、とりあえず自分の判断で荷物をまとめた。
 まとめ終わるころには二人とも少しおちついたように見えた。
「邦泉。そなたの荷物はいいのですか?」
 まとめ終わっている荷を見て糜はそういった。
 均実は頷いた。
 荷物といっても、この屋敷で必要な物は李哲にいってもらったものだから、均実の私物といえばGショックぐらいしかない。それはいつも持ち歩いていて、今だって着物の袖から見えるのは違和感があるため見えないように二の腕につけている。最初は奇妙な気がしたが慣れると無いほうがおかしいような気がしてきていた。
「これはもっていかないのですか?」
 甘もそういい、机の上におかれた扇風機もどきを指差した。
 ……甘夫人って天然ボケはいってんのかな?
 かなり失礼なことだと思ったが、均実はそんなことを考えた。
 本当に簡雍の言うとおりここから逃げ出すことになれば、こんなもの邪魔以外何の役にもたたないだろう。
「必要ありませんから。」
 均実はそう言った。
 本当ならこの夫人達の荷物も準備する必要はないのだ。
 ここで夫人達は曹操に捕らえられる。それを人質にして曹操は関羽を降服させるのだから。
 だがそんなこと夫人達も知る由はないし、万一を考え均実は黙って用意していたのだ。
 徽煉が帰ってきた。
 暗い顔をしてはいるが、小さな荷物と長い棒を布で包んだようなものを持っていた。彼女の最低限の荷物なのだろう。
「憲和殿は?」
「見張り台へ向かわれました。……けして死ぬことは許されておらぬことを念押ししましたので、そんなに不安そうな顔をなさられずとも大丈夫ですよ。」
 甘がいうのにまるで母親のように諭した。
 しばらく静かな時が流れた。
 ここには下邳が包囲されたときのように女官たちや侍女たちが集まってくることはなかった。夫人達に聞かしてはいけないような気がして、徽煉に耳打ちして何故かきくと、皆われ先争って逃げているのだと、見えないその人たちを蔑むような口調で言った。
 まあ人の子供なのだから、生きたいと思うのは当然だとも言ったが。
 納得した均実は自分を含めた四人で、じっとしていた。
 ふっと亮のことを思い出す。彼はこんな戦の真っ只中に均実を置きたくなかっただろう。それでも自分を自制して均実を送り出してくれた。
 もしここが攻められたことが甘海から彼につたわれば、また彼は苦しい思いをするかもしれない。
 甘海さんに連絡をつけるっていうより、状況を知らせるだけでもしといたほうがよかったかな……
 以前徽煉に隆中へ帰れといわれたときの対応を考えなおすことは全くの無駄ではあるが、亮が苦しむかもしれないと思うとそう考えずにはいれなかった。
 苦しむと言えば、関羽だって苦しむだろう。
 確か山の上で下邳が落ちたのをみた関羽は助けにいくにもいけず、曹操からの使者によって降服することを勧められる。
 できるだけそのときがスムーズにいくように均実は義兄弟の誓いを忘れないようにと関羽に声をかけはしたが、彼がだからといって降服することを苦しく思うことに違いは無いだろう。
 そんなことを考えていたとき、ビリビリと宙にまるで電流が走ったような衝撃が来た。
 まるで地震がおこったようだが、地面が揺れているわけではない。
 徽煉は小荷物のほうを均実にわたし、長い棒のほうを手に持った。
「何が……起こったのかしら……?」
 均実は甘のそのつぶやきに応えてやりたかったが黙っておいた。
 この戦いは確か三国志演義では、他の徐州の土地で捕虜となった兵たちをこの下邳に曹操たちが送り込み、その兵たちに城門を開かせて曹操がここに侵入してくるというものだったはずだ。いわばこちらとしてみれば味方だと思っていた者に裏切られるような形だから、仲間うちでかなりの混乱がおきたことだろう。
 今の衝撃はその混乱のせいではないかと均実は考えていた。
 城門は開かれ、軍が街に突入する。
 簡雍は大丈夫だろうか? 見張り台にいったということは侵入してきた曹操軍の先鋒とぶつかっているのではないだろうか?
 息をするのもはばかられるほど緊張した空気のなかで、廊下から走りこんできる足音が聞こえた。
 全員がその足音がする廊下につながる入り口を凝視する。
 徽煉が一歩前にでて、やってくる者を待った。
 その足音は少なくとも一人ではない。おそらくは何十名もの数だろう。
 色々なところを探すようにしながらこちらに確実に近づいてくる。
 けして味方の兵ではありえない。
 夫人らは蒼白な顔をしていながら、しっかりと立っていた。
 入り口に人が現れた気配がする。
 天井からぶら下がった布が何重にも重なっているためすぐにその姿を目にうつすことはできなかったが、乱暴にその布を払いのけてその者は部屋へ入ってくる。
 徽煉が持っていた長い棒に巻きついた布を解いた。
 うわぁ、薙刀だ……はじめてみた。
 予想通りのセリフを口にはださず、均実は心のなかでつぶやいた。
 徽煉のもっていた長い棒は、実は武器だった。
 柄のところは紅色で一方の端には付け根が金色の装飾を施された半円型の刃がついている。もう一方には同じく金色の装飾がつけられて、また紅色の結ばれた紐が二本垂れていた。
 その武器の優美さにため息をついた均実を尻目に徽煉は声をあげた。
「そこにくるは何者か。ここにいらっしゃる方を心得ておるのかっ!」
 歳を感じさせないその張りのある声に、部屋にやってきた人間は立ち止まった。
 最後の布を持ち上げ、中に均実たちがいるのを確認し、そしてさらに薙刀をもった徽煉をみた。女だけであることはわかったのだろうが、威嚇して武器を持っているのだから、男は姿勢をただし、油断を見せずいった。
「我は漢帝国征東軍第五歩兵隊伍長。失礼ながら申し上げる。ここに劉予州の奥方はおられるか!」
 劉予州というのは劉備のことだ。劉備は予州の牧だったこともあるのでそうもよばれている。
「ここにおられる方がまさしくその方。されど主のような下賤な者が頭を下げずに近寄るなど非礼にも程がある。曹操はどれほど無礼な御仁なのか!」
「何だとこのアマ!」
 最初に現れた男の後ろから、どう考えても人相の悪い男が数人現れた。
 どうやら最初に声をあげた男はこの男達の上司のようだから、その何とか第五歩兵隊とやらの兵士なのだろうが、どう考えてもごろつきにしかみえない。
 その何とか伍長という男はいきり立つ男達を静めようとしたのだが、それよりはやく徽煉が声をあげる。
「このようなところまで汚い格好でズカズカとっ。このような者を抱えている曹操とやらにはよほど人材がないと見える!」
「こんのっ!」
 ちょっとちょっと徽煉さん。煽ってどうするよ、煽って。
 均実は強気な徽煉の態度に驚きながら、目の前の事態の推移を見守っていた。
 ここまでバカにされるとさすがに伍長一人では支えきれないようだ。
 一応夫人たちを傷つけないようにという配慮なのか、徽煉一人を取り囲むように四人ほどが動いた。
「やめろっ、お前達!」
「死にやがれ、このくたばりぞこないが!」
 一斉に皆拳を徽煉に向ける。腰に帯剣しているのに抜かないのは一応手加減するつもりだからかもしれないが、男四人に徽煉一人が勝てるわけがない。
 と均実が思ったのもつかの間、ドンという音と共に徽煉は男達の包囲から飛び出した。
 正確にいうと、包囲した男の一人の腹を薙刀の刃の無いほうで突いたのだ。
 その男は派手な音をして倒れ、残り三人が拳の目標を一瞬見失い戸惑った。その隙を徽煉はのがさず、すぐ左隣の男の足を掬う。
 もつれ合うように目の前の男に倒れ掛かり、どうやら鎧がどこかでお互いにひっかかったらしくうまく立てないでいる。
 唯一まだ立っている男はその状況に半ば呆然としていたのだが、そこをあっさりと徽煉は腹を強く突き倒した。
 四人の男が倒れてしまった床の上に徽煉は当然といった顔で立っている。
 そこで糜夫人が部下をあっさり倒されてしまった伍長に声をかける。
「わらわは抵抗するつもりはない。連れて行くなら連れて行くがよいが、はよう兵を引き上げ、無駄に死をふやすことをやめよ。」
 伍長は引きつった笑みを浮かべた。
多分何をいわれたのか理解できてないのだろうなぁ。
 徽煉がもつれ合って立ち上がれない男の背中にドンと再び薙刀の柄を叩きつけた。それによって気絶した男達のうめき声で我に返った伍長は、慌てて礼をして部屋から出て行った。
「……徽煉殿。最初に彼らを貶したのはわざとですか?」
 とりあえず適当な紐をつかって、気付いた時に不意をうたれないようにと倒した兵士達を縛り上げていた徽煉に、均実は呆れながら聞いた。
 なんだか凄く慣れている彼女の姿は、どこか恐ろしいものを感じさせる。
「ええ。これまでも奥方様のもとにいてこのように兵が部屋までやってくるということはあったですよ。
 そのときの教訓として、こちらの有利に物事を進める場合はまず相手の機先を制しなければいけないというのが私の行動の基本です。」
 ……そういえば劉備の奥さんって呂布にも人質にとられてたっけ。
 いまさらながらにそんな情報を思い出しながら均実はため息をついた。
 そんな教訓があったとしても、あっというまに男四人を倒す技量がなければ、今のようにはいかないだろう。
 そう考えていると均実のため息が面白かったのか、糜が笑った。
「徽煉はね。雲長殿にしばらく武芸を習ったことがあったですよ。ねえ徽煉。」
「っと……はい。以前殿が許都にいらしたころ、暇をもてあましていた雲長様に少し。ですから雲長様がいらっしゃるとき、私だけがおもてなしをすることになっていたのですよ。」
 男四人を縛り終えて、徽煉は問いに答えた。
 ここでやっと疑問が晴らされた。
 なぜ徽煉だけが特別に関羽がきたとき応接する必要があったのか。
 徽煉には関羽はいわば武芸上の師弟にあたるわけだから、気をつかわないのだろう。
「少しだけとはいえ、年寄りの冷や水というやつですけれどね。」
 苦笑しながらいう徽煉の動きはどう考えても、年寄りというには世の年寄りに失礼だと思った。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections