青竜偃月刀は関羽の大事な武器だ。 均実にみせれば「薙刀だ。うっわーはじめてみた。」といっただろう。 その武器を左に右に馬上から振り下ろし、目の前に立ちはだかる敵を切りつける。 「派手にやってやれっ! これまでの憂さ晴らしだ!」 関羽はそう叫び、後ろについてくる味方を鼓舞した。 それに応えるように皆必死に武器を振るい、盾をもって攻撃を受けた。 敵の士気もけして低くはない。遠くに見える将の旗には「夏侯」の文字が見える。関羽はその旗から、この兵たちの将軍が夏侯惇であることはすでに知っていた。 夏侯惇といえば、曹操と従兄弟の関係にある有名な武将である。 そんな御大将に血筋も近い将軍の配下だ。やる気がないわけがない。 「曹操! 先日の兄者への無礼な弄言。わしはけして許さぬぞ!」 関羽はそれでも声をあげるのをやめはしなかった。 曹操がいるだろう陣はかなり離れている。 けしてその声が届くことはないだろうが、それでもあたり一帯にいた兵士達にはしっかり聞き取れるほど、よく通った声だ。もしかすると夏侯惇にも届いているかもしれない。 「将軍!左方が押されています。持ちこたえられません。」 伝令の兵が関羽の元に飛んでくる。 思ったより長く持った。 関羽は心の中でそう思った。そして兵たちに指示を飛ばす。 「右のあの山を目指せ!」 木もそれほど多くない小さな山である。 前日に簡雍と打ち合わせをしていた場所でもある。 ここら一帯で少しでも有利になるのはどこか。二人が考えたすえ、兵法にもある「高きを制するは戦を制す」にのっとることにし、それほど下邳からも離れてもいない場所を選んだのだ。 簡雍が予想していた通り、関羽が丘近くまでいき、防戦一方ながらも善戦すると、曹操は兵力を追加してきたようで、より激しい戦いとなった。 なんとか山にたどりつき、木の陰に隠れながら戦うように指示すると、敵も攻めにくいらしく、麓に留まった。 「憲和殿……うまくやってくれよ。」 関羽がつぶやきつつ、下邳の方向をみた。 晴天の下、さっきまでいた町は思ったより小さく頼りなく感じる。 麓に敵兵の数がどんどん増えるのをみながら、どちらが頼りないだろうと無意味な問いを自分にしては苦笑を浮かべた。
徽煉の報告は真実のようで屋敷内や城下町は結構大騒ぎになったようだ。 なぜ人事のようにいうかというと、均実はそのとき屋敷内や城下町の騒ぎなど感知することはできなかったのだ。 徽煉が報告をしてすこしもしないうちに、一人の武将が夫人らのもとにやってきた。 作法どおりの礼をするその人物を均実は観察した。 彼の背は高いほうだが、関羽はもっと高かったので、武将といってもやはり関羽は大きいほうにはいるのだろう。豊かにある髭が少しくしゃっとしているところに愛嬌を感じる。目ももともとは優しげだが、今の状況では少し引き締めているようだ。 格好は全身鎧でこれから戦に出かけますルックだった。 「今関雲長殿が外にでられていることはご存知でしょうか?」 「ええ。憲和殿は一緒にでられなかったのですか?」 「はい。私は奥様方をお守りする役目のほうが適任ですので。」 もってまわった言い方をする簡雍に、怪訝そうな顔をした糜夫人だが一瞬均実のほうを振り返った。 だがそれも一瞬ですぐにまた簡雍を見据えた。 「どういうことです。」 「このままでは遠からずこの城は落ちる。それならば名高き勇将である関羽殿におとりになってもらい、この城を包囲する敵を少しでも減らせれば、奥方様だけでも脱出させられるのではないかということになりまして……」 「どうして兵を出す前に、我らにいわなかったのですかっ?」 「言ったら反対なされたでしょう。」 間髪いれず切り返す簡雍に糜夫人もぐっと詰まった。 関羽も簡雍ももっといい策があるならばそれを実行した。 それがないため、関羽が相当の危険にさらされてしまうようなこの策を選ばざるを得なかったのだ。 もともと糜は賢明な夫人である。 そんなことぐらい、簡雍の言葉からすぐにわかった。 だがそれでも聞き返さずいられなかったのは…… 「殿の大事な義弟をこんなところで無駄に危険にさらすなど……わらわは妻失格じゃ。」 本当に悔しそうな声が部屋に響く。 甘夫人も辛そうな顔をしながら、糜夫人の横にたたずんでいる。 「もうすぐ雲長殿が近くの土山を中心にして敵と戦いを激化させるでしょう。 そうなればどこかにきっと隙ができるはず。愚臣はそれを見定めるため今から見張り台に詰めます。時になれば奥方様をお連れしてここから逃げ出しますので、すぐにでも出ることができるよう準備をお願いします。」 返答を聞かず、簡雍はそのまま部屋を飛び出した。 無礼にあたるかもしれないが、これ以上ここにいるわけにはいかない。 見張り台からあたりをみて、わずかな隙でも良いから見出さねばならない。 「憲和殿!」 急く足を止めるように後ろから駆けられた声に一瞬簡雍は立ち止まった。 振り返ると先ほど夫人の後ろで控えていた見慣れた侍女がいた。 「徽煉殿か。見送りは結構ですぞ?」 「この策はあなたが言い出されたのか?」 「……ええ、そうです。」 女にしてはいつも鋭い。 徽煉の気迫のこもった問いに、簡雍は急がなくはならないというのに、しっかり応えた。 「わしが雲長殿に申し上げた。」 「勝算がないのをわかっていながらですか。」 ずばり言う徽煉に簡雍は苦しげに息をつく。 「……雲長殿には無いに等しいと申した。」 「私からみればありません。髪の毛の細さほども。」 苛立ちをぶつけに徽煉は自分を追いかけてきたのだろうか。 その怒気をこめた声にそう思った簡雍は、踵をかえした。 「今はそのようなことを聞いている暇ではない。 無事生き抜けたらいくらでも聞かせていただく。」 再び足を動かしだした簡雍に徽煉は一瞬、開こうとしていた口を閉じた。 そして再び開く。 「簡雍殿。必ず生きられなさいませ。」 足を止めずに顔だけで振り向くと、徽煉はそこで険しい顔をしてこちらを睨みつけていた。 「これ以上殿の大事な将を自分たちのために危険な目に合わせてはならぬ。……それが奥方様のお気持ちです。」 その言葉に簡雍はまた足をとめ、振り返り一礼をする。 そして何を言わずに見張り台へとむかったのだった。
|
|