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均しき望み 作者:奇伊都

第20回   作戦に選択の余地がない?

 この時代。相手が籠城をしたりして、手が出せない場合。兵士が相手の近くまでやってきて相手を貶しまくる。
 ここらへんは曹操が出したという檄文を実際の戦場で行っているというような感じだ。
 ここが包囲されてからそれはずっと行われていたらしい。
 だが関羽はこれまでずっと門をあけることはなく、沈黙を保っていた。
 理由としてはまず兵力の差が大きすぎ、討ってでても分が悪すぎることにもあった。
 それに関羽はここを棄てることは劉備の命令でどうしてもできない。
 そうなるといくら貶され、頭にきたとしても兵を動かすわけにはいかなかったのだ。
 そんな忍耐に忍耐を重ねていた関羽だが、今日の兵士が自分を愚弄する言葉にはこれまで以上に腹を立てた。
この下邳には関羽を筆頭としているだけで他に将がいないわけではない。
簡雍もその一人だ。
赤い顔をさらに赤くして今にも兵を出しそうな関羽に声をかけれる兵士などいない。
必然と将の一人である彼が関羽をなだめることを要求された。
「悔しそうだな。雲長殿」
「これが悔しくないとしたら、男ではなかろう!」
 歯が割れるのではないかと思えるほど、関羽は歯軋りをした。
「わしのことが貶されるのはかまわん。だが奴らは兄者のことを馬鹿にしたのだぞ!
 憲和殿は悔しくないのかっ!」
 簡雍の字は憲和である。
 もともと関羽や張飛とほぼ同じころに仲間になった簡雍は、関羽より少し年上で、劉備と同い年だ。
 それゆえか関羽も義兄弟である二人を除けば、彼にのみ遠慮もなく意見を発した。
 上の立場のものや同等のものに対しては自分の業績を隠さず、誇るところからあまり他の将軍達とは仲がよくなかったが、もともと劉備の友人であった簡雍とは、関羽は息があった。
 その甘えか、悔しいに決まっていることをわざわざぶつけてくる関羽を見て簡雍はわざとらしく息をはいた。
「少し落ち着け。将がそのように気を乱していては兵たちもおさまらん。」
 実際今日の関羽は荒れていた。
 貶してきた兵士は劉備のことを「曹操様が攻めてきた途端、尻尾をまいて逃げ出した臆病者」といったのだ。それ以外の貶しなど関羽の耳には痛くもなかったが、それだけは許せなかった。
 イライラと歩き回る関羽に兵は怯え、簡雍に泣きついたのだった。
「落ち着けばこの屈辱がなかったことになるのか?
 ふざけるなっ!わしは兄者の誇りを守りたいだけだ!」
 ちっとも効果を見せない説得は、怒りに余計油をそそいだだけにみえた。
 簡雍はもう一度息を吐いた。
 関羽からみれば簡雍は小さい。だがそれも関羽から見ればの話で、平均より大きい体格はしている。すこしえらの張った顔は愛嬌があるし、その話しかけやすい雰囲気で部下に慕われていた。
 関羽も部下に慕われるタイプの将だが、それは普段、目下の者への態度が優しいからであって、こういうときの関羽はただ恐れの対象にしかならなかった。
 とりあえず怒りを簡雍にぶつけたことによって、少し関羽は落ち着いてきたようだ。
 部下に命じて水を持ってこさせると、それを一気にがぶ飲みしてから息をついた。
 その様子を見て簡雍は苦笑した。
「独り身でおるから戦でしか発散できんのだな。良い娘はおらんのか?」
「わしにはまだ早い。」
「そういうが殿にも妻はおる。わしも実家に帰らしてはいるが、おることはおる。
 誰か町娘でもよい。一人心を許せる女を作っておいたほうが、切羽詰った時に浅慮をせずにすむぞ?」
「……今はそんなこと関係ないことだ。」
 誰でもと言われ、一瞬関羽は均実のことを思いだしたが、即座に首を振った。
 確かに彼女の一言で精神的に救われはしたが、今そういうことを考える気にならない。
 それでも関羽の一瞬の沈黙にひっかかり、簡雍はおや?と思ったが、それ以上追究するのはやめてやった。
「それにしても確かにこのままではどうしようもないな。」
 簡雍は関羽の頭がだいぶ冷えてきたのを見計らってからそう言った。
「応援が来る気配もない。
 殿が打ち払われたという情報は確実なものでないにせよ、そうみなければならないようだな。」
「兄者は無事だ。」
「無事だとしてもここを救いにこれる状態であるとは限らない。」
「だが……」
 言い募ろうとして関羽はやめた。
 確かに簡雍の言っていることは事実なのだ。
 簡雍は自分の髭に手をやり、それを梳きながら続けた。
「ここにある兵だけであの軍を打ち破るのは不可能だろうし、ましては殿の行方を捜すことなど無理だろう。だがこのままここに閉じこもっているだけでは兵糧が尽きる。民達も畑を耕すことができないから、職があぶれ治安が悪化する。
 兵糧の問題はあちらもあるだろうが、遠征とはいえ国から食料を運んでいるだろうから、こちらのほうが先になくなるのは時間の問題だろう。」
 嫌になって目をそらしたくなる現実問題ばかりを簡雍は挙げ連ねた。
「……それで何が言いたい。」
「主の名声を利用できぬかということだ。」
 再びイラついてきた関羽に簡雍はまた苦笑しながら言った。
 思いも寄らなかった提案に関羽は目を細める。
「どういうことだ。」
「曹操は音に聞こえた知者・勇将好きの者。無理やりここを攻めてこないのは、ご夫人方を守っている関羽、主を下したいためだろう。」
 何キロも離れている陣での会話をきいていたかのように簡雍はそう推測した。
「ならば主がこの城から討って出れば、曹操は主を殺しはしないが追い詰めようとするはず。主がそこで奮闘してくれればしてくれるだけ、曹操は主に兵をつぎ込むしかなくなる。その隙を狙って奥方様を脱出させれば、後はこの町を無理に守る必要はない。」
 簡雍のその作戦は、忍耐の限界に近い関羽にとってかなり魅力的に思えた。
 だがそれもかなり穴のあるものだ。
「……それはわしがあの膨大な兵の中に単騎で攻め入るようなものだな。曹操がわしを本気で殺すつもりになれば、わしは間違いなく死ぬぞ。」
「それでも簡単には死なぬだろう。」
「……兵をつぎ込んでくるかも確証はない。」
「虎を殺すより生け捕りにするほうが格段難しい。主が本気で抵抗すれば、兵が千や二千では意味をなさないだろう?」
「……奥方様に危険が大きすぎる。」
「そんなもの、ここにいたって同じことだ。」
 一つ一つの反論をさらりと言い返した簡雍を関羽は睨んだ。
「成功率は?」
「無いに等しいな。」
 これまたあっさり返され、関羽は眉をしかめたが、その反応を楽しむように簡雍は口角を上げた。
「だがこのまま長引けば間違いなく負ける。」
 零をとるか零にもっとも近い作戦をとるか。
「……では明日の朝までに兵をまとめよう。」
 関羽はそういって、零に最も近い作戦、一般的にいうと無謀な作戦を選んだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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