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均しき望み 作者:奇伊都

第2回   通常の一日 昼
 一番長い授業間の休憩時間のはずなのに、ほかの休憩時間よりどう考えても教室の人口密度が低くなるのはいつか?
 答えは今だった。
「今日は弁当どこで食べるの?」
「ついでに購買のパン買ってきて〜」
「やべ、財布忘れてきた!」
 チャイムがなるなり、そんな会話が飛び交う昼食時間はほんの五分ほどじっとしていれば、ほどなく静かになる。それぞれが違うクラスにいってたべたり、食堂にいってたり、外に食べにいっていたりと、ほとんど教室でたべることがないのだ。特に教室・食堂以外の校内で昼食を食べる場合は、いい場所は早い者勝ちなため急いで場所取りにいかねばならない。
 そんな時間、例に違わず均実と純もさっさと教室を出る。向かう先はここ最近同じところだった。
「圭くん、おはよっ!」
 目的地が見えたところで純は目的地の扉を開けようとしている人物に声をかけた。
「あ、おはようございます。相川先輩」
 カチャと鍵があく音がすると同時に顔をあげ、その人物は挨拶を返した。純が嬉しそうにかけよると、純より数センチ背が低いところに彼の頭はくる。成長期はまだまだ彼にとって長いようだ。
「純ちゃん。おはようって……もう昼なんだけど?」
「いいじゃない。ねぇ、圭くん?」
 均実の冷静な突っ込みを軽く流して、純は笑った。
 同意を求められたほうは困ったような笑みを浮かべて、一応肯定している。
「辻本先輩もおはようございます。」
 辻本は均実の苗字である。律儀な挨拶の仕方に均実は少し笑った。
「一応おはよ、岡田くん。純ちゃんの尻にしかれまくってるみたいね。」
「そんなことしてないもん。」
「純ちゃん重いから退いてあげないと岡田くんつぶれちゃうよ?」
「してないったら!」
 均実と純との間の軽いケンカのような掛け合いにおろおろしている彼は、一応この高校の一年生、純の彼氏でもある岡田圭樹である。
「ほら、圭くん。扉あけて?中にはいっちゃお?」
 純にうながされてやっと気付いたように圭樹は目の前の扉をあけた。
 部屋にこもった空気が流れ出るように均実のもとまで、この部屋独特のにおいが漂ってきた。
 中に入ると、すぐ横にカウンターがあり、そこから見渡すと教室二個分の広さの部屋に、たくさんの木の棚とテーブルが所狭しとおいてあった。
 圭樹はツカツカと窓に歩み寄り、カーテンを開けた。
 外から入る日光で浮かび上がるように棚に置かれている無数の本が見えた。
「図書室ってほんと、穴場よねぇ。」
 純が当たり前のようにカウンターにはいり、椅子を三つ用意した。
「ヒト、圭くん。ご飯にしよ?」
 均実は促され、カウンターに入ると純が自分のカバンから弁当を出しているところだった。
 均実たちの高校の図書室は朝と昼に図書委員が鍵をあける。本来、図書委員は当番制でそれぞれの開放時間に二人ずつこのカウンターにいることになっている。が、それはもちろん建前である。図書委員という役職はさぼっても全然支障がないのだ。
 それは実際図書室を朝と昼使うことなんて滅多にないからという背景がある。まぁそれは学校の近くに市民会館があって、そこに立派な図書館があるからという理由もあるが、一番の理由は大した本がここには置いていないからである。創立ン十年にもなると置いてある本はほとんど化石化している。内容もそうだが、装丁自体なんだか埃にまみれていて余計誰も読もうとしないのだ。
 よって図書委員である圭樹の権限を使って図書室でご飯をしても、何の問題も無いのだった。
 それでも一応図書室は飲食禁止であるため、万が一に他人が来た時でもすぐさま弁当箱を隠せるカウンターで均実たちは昼食をいつもとっていた。
 均実が椅子を自分のほうによせ座ると、圭樹もカウンターに入ってきて椅子に座った。
 いくつか他愛も無い話をしながら確実に弁当箱の重量を減らしていく。
「しっかし今更だけど、これって職権乱用じゃないのかな?」
 空になった弁当を片付けながら均実が言った。
 純がちょうど最後のから揚げを口に含んだところで、箸をくわえたまま首をかしげた。
 たぶん圭樹を意識して少しカワイコぶっているつもりなのだろう。
「本来の図書委員の仕事じゃないでしょ?」
 均実が圭樹のほうをむいて尋ねると、圭樹は困ったように笑って「はぁ、まあ」と言う。
 こういう時の表情が均実は嫌いだった。圭樹に限らず最近男子としゃべっていると、自分の意見をはっきりいわず、「君がそう思うならそうなのかもしれないと思ってるよ」的にあいまいな笑みを浮かべて、きっぱりとした言葉を言わないときが多い。均実のほうがまだはっきりと意思をしめせるだろう。そんな時は余計に今朝考えたような、どうして男として生まれなかったんだろう、という考えが首をもたげる。
 均実の顔が不満そうに曇ったのをみて、純は圭樹に助け舟をだした。
「ヒト。職権を乱用するっていうのはね、道理に沿わないことに権利を使うことだよ?」
「この状況はそうじゃないの?」
「道理に沿わないっていうのは他人の権利まで侵すことでしょ? もし今他の人が図書室に入ってきて私たちと一緒に食べたいっていったときに、嫌だっていったら職権乱用だけど、いいよっていったら別に権利を侵してるわけじゃないから職権乱用にはならないんじゃない?」
「………」
 一理あると思えるような気もしなくもないんだけど………なんかごまかされているような気が……?
 ここ二週間ほど、こうやって昼食を三人でとっているが、その間に他の生徒がきたことはない。よって他の生徒がここで食べたいという権利を侵害した、ということは確かにないとは思うが、均実は何となく釈然としないような気がした。
 均実が黙り込んだので純は納得したと判断したのか話を変えた。
「それより圭くん。これこれ……」
 そういいながらカバンからとりだしたのは、分厚いハードカバーの本だった。暗い色の表紙で何が書いてあるのか全然読めない。
「何? 純ちゃん、いつから文学少女になったの?」
 その英和辞書程度はある厚みに驚きながら、均実は聞いた。
 均実も純もどちらかといえば体を動かすほうが好きなタイプである。で勉学のほうはどうかというと均実は定期テストで上位十名に入るか入らないかといったレベルだが、純のほうはとんとうまくない。この前の冬休みに均実は純のお母さんから臨時で家庭教師をやってくれないかと泣きつかれたほどだ。
 そんな純がまさかこんな分厚い本を読みきるとは思えなかった。
「えへへ〜。圭くんがね、これ面白いよって薦めてくれたんだ。で、読んでみたらはまっちゃって、一週間で読み終えちゃった。」
 ……愛の力は偉大である。
 均実はそう思うしかなかった。
「で、なんていう本なの?」
「ヒトも知ってると思うよ?『三国志演義』っていう話。」
「ああ、あの魏とか蜀とかいうのの?」
 うっすらと覚えのある単語を出すと純はうんうんと頷いた。
「魏、呉、蜀っていう三つの国の英雄達がやったこととかが書いてあるの。」
「言い方を変えると、もともとは『三国志』っていう歴史書にかかれたことを、後の時代の人が面白くて読みやすい物語風に書き換えたものですね。」
 純と圭樹がそう説明すると、均実を置き去りにして語り始めた。
「やっぱり私は『三顧の礼』が一番好きかなぁ。何か劉備が少し憐れで。」
「ああ、それもおもしろいですよね。でも僕は曹操が好きですよ。確かに孔明には敵わないかもしれないけど、兵法とかもしっかり習ってて、頭がいいですから。」
「でも曹操って私何となく残虐なイメージがあるんだけどなぁ。」
「確かにたくさん人を殺してますけど、あの時代じゃあしかたがないんじゃないと思いますよ。孔融を殺したのだって、そうしないと国が治まらないところもあるし。それに『三国志演義』は所詮お話ですから、劉備にとって都合がいいように、曹操のイメージを少し悪く書いてるんですよ。」
 均実は二人の会話を聞きながら、おぼろげな記憶を引き出そうとしていた。
 確かテレビか何かで『三国志演義』を解説しているのを昔見たような気がする。
 だがこの二人の会話に入れるほど知識は無いようだ。
「ヒトも読むでしょ? 私これは読み終わったから返しにきたんだけど。」
 均実が黙り込んでいたのに気付き、純はそう聞いた。
 だが均実は提案の後の言葉のほうが気になった。
「これは?はってことは……」
「ああ、これは上巻。下巻は……」
 そういいながら純はカウンターから出て一つの木の棚の前にくると迷わず一冊取り出した。
「これこれ。」
「そんなに厚いの?」
 その下巻の厚みは上巻とほとんど同じぐらいある。
 それほど読書が嫌いというわけではないが、その分厚さをみると均実は少し読む気が失せた。
「あ〜……私は遠慮」
「絶対面白いって。うん、ていうか読むべき!」
 有無をいわせず純は上巻のほうを均実に押し付けた。読まないといわせないためだろう。純は昔から自分がやってよかったと思ったものはヒトに必ずやらせるのだ。
 均実は顔を少しゆがめた。
「ほんとに読まなきゃダメ?」
「ダメ!」
 ここまで純がいいきったときは、均実が何をいっても無駄なのはわかっていた。
 学校の勉強はできないが、こういう説得術とかにかけては純の才能は遥かに均実に勝っているのだ。
 均実は降参というふうに本を膝の上に置いてから両手を上に上げた。
 それをみて純は満足そうに頷いた。
これでヒトとも『三国志演義』について語り合えるんだ。
 そう考えるだけで純は嬉しくなるのだ。
 と、
「あ、数学のプリント!」
 突然均実はそうつぶやいた。
「この昼休みの間に純に見せようと思ってたのに、教室においてきちゃった。」
「え……もう解説してもらう時間ないんじゃ。」
 壁にかかっている丸い時計をみるとまだ昼休みは半分残っている。だが二年の教室と図書室を往復すれば、あとプリントをみられる時間は十五分程度だろう。
 普通に写すだけなら十分だが、均実はそれを純にやらせるには躊躇する理由があった。
 おばさんに頼まれちゃってるしなぁ……
 夏の大会が終われば、受験一色にそまる三年生を控えて純、というより純の母はこのままではいけないという危機感に襲われているようだった。結果、幼馴染である均実は学力アップにできるだけ協力してくれといわれているのだ。
 協力してくれれば金一封だとまでいわれたのだが……
「う〜ん、だけど放課後の部活をサボるわけにはいかないもんね。」
 朝練をやっても本当の練習にでなかったら意味がないだろう。
 純の期待のこもった視線に苦笑いをして、均実は決断した。
「仕方が無い、今日のところは写すのを許可しよう!」
「やった!」
「じゃ、ちょっとプリントとってくるねっ。」
 純が両手をあげて喜ぶのを後ろにして、均実は図書室を飛び出していった。
 じゃあその間に、と純が本の返却の手続きを鼻歌混じりにやっていると、
「……先輩。そんなんで受験、大丈夫なんですか?」
 あまりの純のプリントを写す許可をもらえたことに対する喜びぶりに、不安をいだいたのか圭樹がそういう景気のよくない話をいいだした。
「う〜……圭くん、かわいくない。」
「僕は男なんだから、かわいいなんていわないでくださいよ。」
 憮然とした顔つきでそう反論する圭樹は、やはりまだ『かっこいい』より『かわいい』といったほうがふさわしくみえたので、純は笑った。
「誉め言葉なのになぁ。」
 手続きを終えると、純は圭樹の座っている椅子のすぐ横に、自分の椅子をもってきて座った。少し圭樹にもたれかかるようにして。
「ちょ、せ、先輩?」
「ほ〜ら、慌ててる。そういうところが、やっぱりかわいい。」
 上目遣いに圭樹を見ると顔を真っ赤にしている。
 付き合いだしてから数ヶ月はたつ。
 冬休みにはいる最後の登校日に圭樹に呼び出されて来たこの図書室で、純は彼の告白を受けた。かなり緊張して返事を待つ圭樹にOKといったのは、告白する勇気をもっていることをかっこいいと思ったからである。
実際に付き合ったらかわいいと思うことがたくさんあったんだけどね。
心の中で独白しながら、圭樹にもたれかかりつづけていると、
「先輩〜……」
 情けない声をあげながら、圭樹はもたれかかってきてる純をふりほどくこともしない。どうしていいのか本当にわからないのだろう。
 こういう突然甘えたようなことをすると、必ず圭樹は取り乱す。けれど決して拒絶することはない。
 そういう優しさも純には心地よかった。
「大好きだよ。圭くん。」
 純は心の底からそう言ったのだった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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