「異常はないか?」 「はっ、今のところありません。」 城門にある見張り台から覗く、あの膨大な数の人は全てこの城を落とすためのものか。 関羽は見張り番の男に声をかけたあと、そこから見える景色をみながらそう思った。 一昨日より昨日、昨日より今日、兵が増えている。 今日はいった知らせだが、確かにそうだと関羽は思った。 一週間前にこの城は包囲された。 最初からこの城を囲めるほどの軍勢だったのだし、戦端も開いていない。 相手が援軍を求めていて、それがついたのだとは考え難い。 それはつまり後続部隊がついたということだろう。 兄者、翼徳……無事だろうか。 雲ひとつない、冬の青空を見上げ関羽は別れた義兄弟のことを思い出した。 曹操が攻めてくることは前々からわかっていたことだ。 それになんとか抗うために、関羽は義兄弟たちと別れ、この下邳に駐屯していたのだ。 「お主の姿は見えずとも、姿をみせず妻をひたすらに守ってくれているのだと思うと、思う存分戦えるわ。」 「そうそう、ここは心配いらねえ。頼むぜ兄者。」 成都をでる前に、出立の挨拶をしにいった劉備と張飛はそう言った。 別れた理由は曹操の後続部隊を後ろから叩くためだったはずだ。 それが無事ここについたということは…… 悪いほうへ考えがすすむのを止めるため、関羽は頭をふり見張り台から下りた。 だがどれほど考えを無視しようとしても、そこに戻る。 最悪のことも考えておいたほうがいい。 そこまで思考が進んだので、関羽は眉をしかめた。 「駄目だ駄目だ駄目だ。わしのやるべきことは何だ? この下邳を守ることだ。 このような心構えではできることもやれぬわ。」 自分を叱咤するようにそういうと、城門に近い詰め所ともいうべき場所に戻った。 本来なら屋敷に戻ってもいいのだろう。だが関羽は劉備の奥方を今は最上の人間としておいていた。 自分は下の者であり、そこらにいる門番と変わらぬ。 そう考え、ひたすら曹操軍の気配の変化に気を配っていたのだ。 その変化が嫌な予感を与えたことを腹立たしく思う。 気分を紛らわそうと自分の武器を手入れしようと手にしたとき、ふと一ヶ月ほど前屋敷で出会った変わった侍女のことを思い出した。 確か……字を邦泉といったか。 最初は自分が何者かわからなかったようだが、正体を知ってからもそれほど態度に変化はでなかった。 それが最近関羽は嬉しかった。 黄巾の乱では自分の武勇を誇ることできるようになるほど、さまざまな戦に参加した。 それ自体は悪いことではないのだが、どうも『関羽』という名前が一人歩きしてしまっているような気がしていたのだ。 それこそ一市民にいたるまで、関羽と言う名前を聞くと恐れおののくほどだ。 実際最近この下邳の統治のために知り合った行政官は皆、そのような態度をとった。 だからこそ均実の態度は関羽にとって新鮮だったのだ。 そのうえ均実は変わった知識をもっていた。 よく話してみたいと思ったのだが、城が包囲されてはそんなことはできない。 「そういえば……」 関羽はふと自分の武器である青竜偃月刀の刃の部分に映る自分の姿に目を留めたとき、口から考えていたことが漏れた。 「別れ際に何か言っておったな……」 そのときは何をいいだすのかと怪訝に思ったことは覚えている。 追いかけてきたので少し息があがっていたようだが、はっきりと…… 『雲長殿……けして義兄弟の誓いをお忘れなされるな。』 じっと関羽の瞳をみつめてそう言ったはずだ。 「誓い……か。そうだな……」 さきほどまで険しかった目が緩められた。 そうすると周りからみて少し幼げに見えるが、本人は気付いていない。 彼女の言葉を思い返すと、自分の苛立ちを落ち着かせられる。 最悪のことなど、考える必要はないのだ。
状況としては籠城しているというらしい。 城の一番高い建物に登ると、下邳のまわりを全くの隙間なく取り囲んでいる無数の人が見えた。 これが……戦なんだな。 なんだかまだ映画か、本かの世界にいるような気はするが、実際にみることができたその状況によって、均実はなんとかこれが現実であることを飲み込むことができた。 街に下りることはさすがに禁止されたが、そのこと以外は特に不自由もなかった。 ただし家人の少ない数がこの下邳をでていったらしく、人手不足のためこれまで仕事がまったくまわってこなかったのに、均実にも仕事がやってきた。 といっても奥方達の周りでただ用事ができるのを待っているだけだったが。 それゆえ夫人らと一緒に行動する時間が増えた。 夫人らもあまり明るくはなかったが、沈んでいると言うわけでもなく、徽煉と談笑したり、香あわせをしたり、書物を読んだりと様子は以前とあまり変わりなかった。 糜夫人がいうには戦場では女子は何もできない。戦が終わった後が女子の戦なのだ。ということだったが、均実にはよくわからなかった。 「邦泉。その後雲長殿には会ったのかい?」 甘夫人がふと歓談の途中に思いついたように言った。 ここしばらくでわかったが、甘夫人は糜夫人より少し幼いところがある。 それゆえ甘夫人が側室、ひらたく言えば愛人であり、糜夫人が正室、つまりは正式な奥さんなのだろうか。 糜夫人は甘夫人が発した問いにこちらを見ながら微笑んでいた。 「いえ、お会いしてませんが?」 夫人らが喉が渇いたというので白湯をそれぞれの湯飲みに注ぎながら、均実は答えた。 「あらどうして?」 「え、だって雲長殿、最近ここに来られないじゃないですか。」 どうしてっていわれてもなぁ…… 均実はそれ以外理由はない。というように言った。 夫人らは顔を見合わせて、首をかしげた。 「会いたいとかは思わない?」 「それは、会いたくないわけじゃないですけど……。ここに来られないんじゃ仕方がないじゃないですか。」 「お訪ねするつもりもないのかい?確か城門の詰め所にいらっしゃるはずだろう?」 糜夫人まで質問に加わってきた。 「街にでることは禁じられているじゃありませんか?」 「だがそなたは一度もそれを請うたこともないではないか?」 「禁止されているんじゃ、願い出ても仕方がないんじゃないですか?」 何故ここまで夫人二人が執拗に関羽に会いたくないのか聞いてくるのか均実には理解できない。 均実は恋愛対象として関羽をみていなかったのだ。歳にしてみれば二十は離れているし、自分はこの世界の人間ではないと考えているので、均実にしてみればそういうふうに見れるわけがない。 夫人らはもし均実が関羽に会いに行きたいといえば、すこしだけなら許可を与えようとおもっていたのだが、均実の反応にすこし呆気にとられている。彼女らも徽煉と同じく関羽と均実に大きな誤解をもっているのだが、その誤解の内容がわからない均実は結局その誤解を解くことができてはいなかったのだ。 いつもなら徽煉が側にいるので、この質問戦に彼女も加わるのだが、今は所用で席をはずしていた。 「まあいいでしょう。 それより作っていた物は完成したのかい?」 糜夫人が甘夫人がまだ質問を続けようとしていたのをさえぎってそう言った。 均実が別に関羽に会いたいわけではないのであれば、わざわざ例外を許して均実を街に下ろしてやる必要はなかったので、糜夫人は話題を変えたのだ。 「一応は……」 均実は自分の部屋にあるあの工作物を思い出して苦笑した。 「それでは見せてもらえるはずでしたね。」 糜夫人に言われ、気が進まないながらも均実は御前を辞して部屋に戻り、言われた完成品を持ってきた。 長方形の箱の表に羽が四枚ついていて、裏には回転させることができる取っ手がついている。自分でつくったものだが均実にはその形は扇風機の羽を覆う網がなく、スイッチの変わりに取っ手がついているものを想像させる。 「これが?」 質問をやめさせられて、少し不服そうだった甘夫人が、興味深そうにその箱を見つめた。 「動くことは動くのですが……動力不足みたいですね。」 「やってみせてたもれ。」 均実は要請に従い、取っ手を時計の方向に回した。 「動かぬではないか?」 「これは錘を巻き上げているだけで、巻き終わったら動きますよ。」 どうやら取っ手を回すと同時に羽が回るのだと考えていたようで、不満そうにいった甘夫人に均実はそう答えた。 「はい。巻き終わりました。はじめますよ?」 均実はそういい、二夫人に確認をとってから取っ手から手を離した。 取っ手がゆっくり逆方向に回るのよりは少し早く羽が回りだした。 何も触っていないのに動くその羽に、夫人達は歓声をあげた。 「まるで見えぬ人が回しているようではないかっ?」 「面白いものじゃ。一体どういう仕組みになっておるのだ。」 何度もやったうえではまり込んでくれた歯車は、考えたとおり連動して動き、最終的には羽を回すことを可能にした。 だが風を作りだすには羽の動きが遅すぎて、本当に微風しか吹いていないし、二十秒ほどすると羽は回転をやめてしまった。 「もっと大きな歯車とかもっと重い錘とかがあればもっと速く、もっと長く羽を回すこともできるんですけど、手に入った材料ではこれが限界なんです。」 均実は拙い完成品に恐縮しながらそう言った。 「いやいや、面白いものじゃ。」 夫人らはそんなものでも満足したらしい。今度は自分に取っ手を回させてくれと、均実に頼み、何度かこの扇風機もどきを動かしていた。 そんなとき徽煉が部屋にもどってきたので、二夫人は徽煉にも扇風機もどきを動かさせようとしたが、彼女の深刻そうな表情にそれをやめた。 「どうかしたのか? 徽煉。」 糜夫人がそういうと徽煉は低い声で問いに答えた。 「……雲長様が討って出られました。」
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