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均しき望み 作者:奇伊都

第16回   思ったより怒られなかったのは何故でしょう?
「まぁそれで?」
 二夫人は笑いをこらえながら、関羽の話に耳を傾けていた。
 夫人の後ろでは徽煉が形容のしようのない苦い顔をして均実を見ている。
「邦泉殿は頭が良いようで。李哲にもいろいろ用意させ、何かを作ろうとしていたようですし。……何かは教えていただけませんでしたが。」
 関羽は礼を守りながら丁寧にそう答えた。
 あの後無礼を平謝りした均実を関羽は鷹揚に手を振って許したが、そのとき李哲が持っていた箱の中身を見せることを条件にされた。
 しかたがなく見せると、関羽はしばらく首をひねったあと、何に使うのかを聞いてきたのだが……。
「うまくいくかわからないので、何を作ろうとしているかはいえません。」
 均実はそう言った。
 扇風機のことを話すのが難しいというのもあるが実際、その通りでもある。
 自慢ではないが均実は不器用だ。
 家庭科の調理実習も、理論上はうまくいくはずなのに、いつもうまくいかなかった。
 先生ですらさじをなげた程だった。
「理屈を考えるのは得意ですが、実際に作ることができるかは確かではありませんから。」
 二夫人はその言葉にまたおかしさを感じたようだった。
「徽煉、ほんとうに変わった娘さんだこと。」
「あなたが気にかけているほどだから、何かあるのだろうと思っていましたがね。」
「このような事態を想定していたわけではありませんが……」
 徽煉は夫人らに答えるのではなく、まるで均実に向かっていった。
「申し訳ありません。」
 部屋にいるようにいわれたのに、ふらふら出てしまったのは均実が悪いので、素直に謝った。
 関羽は均実が部屋にそのまま帰ろうとするのをとめ、そのままずるずるとこの二夫人の前に一緒につれてきた。いや、あれは体格差からいって引きずってきたというほうが正しいか。
 均実はどうあっても徽煉に呆れられるだろうし、二夫人の言いつけにもそむいたことになるから嫌だったのだが、思ったより皆強く均実を責めてこなかったのには不思議だった。
 実を言うと関羽の機嫌がとてもよいように見えた二夫人と徽煉は、関羽が均実のことを気に入ったのだと考え、叱ることをしなかったのだ。いやというより……
「いやいや、普段ならわしもあんなところにはおらんのだ。
 ということは結局どういう形にしろわしと邦泉殿が出会うのは、天がお定めになっていたことということだろう。」
「本来なら出会うはずもありませんでしたものね。」
 関羽に同調するように甘夫人もそういった。
 普段彼は弱い者、とりわけ女子供に対しては真綿につつむがごとく扱うのだ。それがどうやら均実とは対等に話しているように見える。
 ということは……と言葉を交わさずに、夫人達と徽煉は考えたのだった。
 そんなこと知らない均実は関羽がいったことがどういうことかわからず、目で問うと関羽は軽く笑い教えてくれた。
 今日、関羽はこの奥に向かう途中、ふと思いついてあの書庫に立ち寄ったのだという。
 普段はまずあの書庫自体に関羽自らはいることもない。
 そういわれればある種、運命めいたものを感じないではないが……
 均実はそう思いながら、上目遣いに徽煉をみた。彼女はもう呆れたような顔をしながらも、仕方がないなと考えているように見える。
 ほっ……よかった、怒られなくて。
「考えることが得意というのはいいことだ。ではそれが本当か、すこし考えてもらおうか……。
 そうだな……遠くに物を飛ばすためにはどのような方法がある?」
 均実が自分以外の女性陣の間でどういうことが考えられているのかなど知らず、一安心していると、関羽がそのような問いを発した。
 均実の書庫での行動や、その後の言動から関羽はそれなりに均実がさまざまなことを知っているのだとわかった。
 まあ義務教育+数年の高等教育を受けているのだから、少しぐらい役にたちそうなことは均実もわかっているので、それ自体は間違いではない。
 よって対等な立場に近い形で話をしていたのだが、本当に知恵があるのか、再度計るためこのような問いにこたえさせようとしたのだ。
 書庫で均実は「子供でもわかる」と関羽がわざわざ自分の居場所を知った方法を尋ねてきたことをいってしまっていた。関羽にしてみれば、頭のいい者と話すのは好きだし、その場合自分の無知が暴かれるのも仕方がないことだが、それほどの知者でもない者にバカにされるのはプライドが許さない。
 それゆえこれはある種のいじめでもある。
 戦でも建造でもそれこそ日常生活においてすら、物を運ぶというのは重要なことだ。
 その方法については古今東西いろんな学者が考えているが、完璧な方法というのはない。特に長距離になればなるほど、それは難しかった。
 なのでこの問いに正しい解などないのだ。
 均実は少し首をひねった。
 遠くに飛ばすねぇ……。私の世界で遠くに飛ぶものっていえば、ロケットだろうけどあんな威力のあるもの、この世界の技術力で作れるわけないしなぁ。
 技術力ということでは、初期の初期。技術というより人の数でものをつくる世界なのだということは亮と話をしたりして知っている。
 電気やガスとかをつかわずに、人力で大きな力を得るには……
 均実はそこまで考えて、うまく結論には達せなかった。
「どうした? 考え付かないか?」
 関羽が眉をしかめてそういった。
 自分が思ったよりこの目の前の娘は頭がよくないということか……
 関羽の顔に落胆に近い色が浮かぶ。
「考え付かないというか……実現可能かどうかっていうことなんですけど……」
 均実がどこか遠くをみるようにそういったのを聞いて、関羽は驚きそして笑みをみせた。
「ほう、とりあえずどのような考えか教えてもらいたいな。」
「人力で大きな力を得るならやっぱりてこの原理≠ェ一番簡単ですよね。」
「てこのげんり?」
 関羽は聞き覚えのない言葉に首をかしげた。
 二夫人や徽煉も興味津々といった感じで均実の解に耳をすましている。
「ああ、え〜と……力点と作用点がってこんなこと口で説明してもわからないですよね……。う〜ん。」
 どう説明しようか考えても、やっぱり今ここで何もない状態で説明するのは無理そうだ。
「つまりはその原理を使えば小さな力で大きなものを動かすことができるんです。
 それを応用すれば、物を遠くに飛ばす方法もいいものがあるんではないかと。」
「ほう……まったく主の話は本当に幻術のようだ。」
 換羽も均実の説明の途中ででてきた「りきてん」やら「さようてん」の意味がわからないので、結局今はそういうものがあるのだと理解しておくことにした。
「すみません、将軍。うまく説明できなくて。」
「は、は、は……。そのうち時間がとれたときにでも教えてもらおう。
 そうだ、邦泉殿。わしのことは将軍ではなく雲長と呼んでもらえぬか?」
「え、で、でも」
「頭のいい者と話すことはわしにとって楽しいことだ。そなたの知識は面白い。
 友として語りたいと思ったのだが?」
 均実は困った。
 諸葛という姓はこの徐州ではある程度名家としていわれているらしく、諸葛均となのったとき、関羽は目を見張った。
 名家の娘としてみているからこそ、こんな申し出をしてきたのだろうが……
 普通に考えて侍女ごとき者に字で呼ばせることなどしないだろう。
 均実は徽煉のほうをみた。
 徽煉は驚いたままの表情でいたが、均実が見ているのにきづいて
「邦泉の思うとおりになさい。」
 という。
 その前の二夫人がなにやら意味を含んだような目で互いを見返し、くすくすと笑っているのは気になったが、とりあえず均実は関羽の申し出をうけることにした。
「では……雲長殿?」
「そうだ。よろしくな邦泉殿。」
 改めて名を呼び合うことが奇妙に二人とも思え、どちらともなく笑い出すと、それを眺めていた二夫人も声をたてて笑い出した。
 こういったふうにいくらかの談笑を交えるうちに、何故奥方が関羽に会わないように初めに注意したのか、均実にも理解できるような気がしてきた。
 均実を関羽からみれば、とるに足らない一人の娘だというのに、一つ一つの挙措が均実を気遣っていることぐらいすぐにわかる。
 これをここで接する侍女全てにするとすれば、関羽はきっと疲れてしまうだろう。
 それを奥方たちは心配したのだ。
 だがどうやらその心配は均実に限ってはあまり必要のないことのようだ。
 出会い方が出会い方だっただけに、関羽は均実が結構学問をつんだ者だと思っているらしい。
 こちらに来てからの亮から教えてもらったことだけなら、それほどたいしたことはなかったかもしれないが、均実には日本でこの歳まで学んできた知識があった。
 それを話のところどころで披露したので、関羽はすっかりだまされてしまったといってもいいかもしれない。
 その場の雰囲気も落ち着き、うまくいけばということで均実の工作の完成品を夫人や関羽にお披露目するということも確約させられたあと、それは来た。
「将軍!」
 あれは鎧だろうか?
 ビラビラとした布や金属でできた胴回りの覆いをつけた男が部屋に飛び込むなり、そう叫んだ。
「何だ!ここは奥方様もいらっしゃるのだぞ。」
「無礼は承知で申し上げます。曹操が攻めてきました。」
「……そうか、ついにきたか」
 均実も同じ気持ちだった。
 ここがついに戦場になる。
 ここにきた目的がやっと果たせるのか。
 本の通りに進んでいるこの世界を、実感しなければ、均実は周りを事実として見回すこともできない。
 そのためにしっかりこれから起こることを目に焼き付けなければ。
 均実は今一度決心を改めた。
 劉備はここで曹操に破れ、関羽は曹操に下るのだ。
 関羽はそういい、凍りついた場を見回し、そして二夫人のほうに礼をした。
「義兄上に任されました大業。私は非才にございますが、けして投げ出したりはいたしませぬ。奥方様も心安らかに。」
「そなたは殿の大事な義弟。御身を大事にせよ。」
「我らのことは心配要らぬ。存分に忠をつくせ。」
 三人がそれぞれ言い終わると、関羽は飛び込んできた兵士をつれ、部屋から出て行った。
「あ、と私も失礼します。」
 均実はそう慌てて夫人らの前から辞すると、凄い勢いで歩いていく関羽の後を追った。
「雲長殿!」
 ずんずんと進む関羽を呼び止め、均実は走りよる。
「邦泉殿、今は失礼いたす。一刻を争うのだ。」
「わかっています。ですが一言だけ言っておかねばと思い」
「無事でも祈ってくれるか? それとも必勝の策でも与えてくれるか?」
 歩みを緩めはしたが、止めずに関羽はそういった。
 均実はそんなつもりでおいかけたわけではない、ただ……
「雲長殿……けして義兄弟の誓いをお忘れなされるな。」
 それだけをいった。
 関羽はそれに一瞬眉をしかめたが、
「承知」
 と短く答え行ってしまった。
 きっと均実の言葉を奇妙に思っただろう。だが詳しくいうわけにはいかない。
 彼がいい人だというのはよくわかった。
 だから死んで欲しくない。
 それならここからは本の通り時が流れるほうが一番確実だ。
 関羽はこれから曹操によって丘に少数の部下達と孤立することになる。
 その間にこの下邳は曹操たちが攻めとってしまい、奥方達を人質にとられるのだ。
 だがそれは別に関羽の命を脅かす危機ではない。
 降服するとき関羽が曹操に下る理由の一つとして、劉備との義兄弟の誓い「死ぬ時は同じ時に」というものがあったのだと均実は知っている。
 その誓いを関羽が忘れさえしなければ、この戦いで彼が死ぬことはないだろう。
「……少しお節介すぎるかな?」
 均実は去ってしまった人の後姿を見つめながらそうつぶやいた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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