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均しき望み 作者:奇伊都

第15回   暇な一日の予定だったんじゃ?
 一体何をするのかわからなかったが、基本的にやることなどなかった。
 まあ別に必要な人員ではなく徽煉のごりいれでの就職?なのだから、仕事がないのが当たり前であるし、細かいことは苦手なので有難いと言えばその通りなのだが。
 だがしんどいの仕事ではなく、人間関係のようだ。
「あら、邦泉殿。暇そうでうらやましいわ。」
「そうねぇ。まったく徽煉殿も何を考えておられるのやら……」
「…………」
 夫人二人との対面の次の日。
 均実とさして変わらない歳だろうと思われる女から似たようなことを散々言われ、均実は嫌気がさしていた。
 もともとこういうところで働ける女性というのは家柄もそれなりに高く、身元のきっちりわかった良家の子女といったやからだけなのだという。
 それゆえか、均実の異例の入宮ゆえか、はたまたただ単にそういった性格の人間ばかりが集まってしまっているのか、もともといた侍女たちにとってプライドがかなり刺激されたらしい。
 言い返すのもめんどくさいので、均実は黙って彼女達の前を通りすぎた。
 純ちゃんならこんなことはなかったのになぁ……
 姿がみえなくなってから均実はため息をもらした。
 もちろん日本でだって女子のかかわりは均実にとって苦痛だった。そんな中で純だけは均実の独特なテンポとあったのか苛立たず、長い付き合いをすることができていたのだ。
 純ちゃんどうしてるんだろう。
 廊下から望む家の中だというのに広い中庭をみながら、均実は足をとめた。
 均実は自分でも運がよかったのだと思っている。
 本当に野垂れ死んでいてもおかしくない状況で、亮が保護してくれた。
 純がもし、この世界に均実と同じようにきているのだとしたら、そんな均実にとって亮のような人に出会えているだろうか……。
「邦泉?」
 声をかけられそちらをみると、徽煉がいた。
 彼女の後ろにはいくつもの香炉をもった女官たちが付き従っている。
「こんなところで何をしているの?」
「……暇だったもので庭をみていたんです。」
 嘘はついていない。
 だがこの返答では満足されなかったようだ。
 徽煉は一瞬顔をしかめると、すぐ表情をもどした。
「まあいいわ。香あわせをするのだけれど、暇だというならあなたも付き合いなさい。」
 今度は均実が顔をしかめる番だった。
 あの甘い匂いのする香というのはいくつもの原料を混ぜ合わせることによって生まれるのだという。
 そのことを香あわせというらしく、徽煉はその技術が突出しており、それゆえ二夫人に重用されているのだという。
 だが均実はそんな細かそうなこと絶対にできそうもないし、第一あまりあの甘い匂いも好きではない。
 あとで聞くとあの甘い匂いには媚薬の成分が含まれているのだという。
「……」
 暇だと自分でいってしまったので、断るわけにもいかず、均実は徽煉と並び歩きはじめた。
 横に並んだだけで徽煉の香の匂いが鼻をくすぐる。
 あの部屋の甘い匂いよりかは幾分かマシな匂いだが、それでもまとわりつくような香の匂いは好きになれそうにない。と均実が思っていると
「あなた、香を焚いていないでしょう?」
 徽煉がそういった。
「え、はい。」
「ダメよ。あなたぐらいの歳の女が、香も焚きもせずに歩き回るなんて。
 ちょうどいいからあなたにあう香を作ってみましょうか?」
「……」
 均実はどういっていいかわからず、微妙に徽煉から遠ざかった。
 この世界では香は女性の身だしなみともいえるようなものらしい。入浴の習慣があまりないらしく、それゆえ男であっても香はたく。それが女性ともなると体の汚れをごまかすというものだけではなく、男をソノ気にさせるという効用も必要になるのだという。
 均実は毎日水で浸した布で体を拭いているので、別に臭いというわけはないはずでむしろほとんど匂いがしないといえるだろう。それでいいと思っていたし、逆に香をまとうと言う感覚がなんとなくうっとおしい感じがした。
 均実の無言の拒否を感じ取ったのか、徽煉が笑った。
「あなたは花嫁修業にきたのよ? 忘れていないでしょうね?」
 いやそれは夫人にたいする口実でっ?
 口にだして反論しそうになるのを均実はなんとかとどめた。
 後ろに続いている女官たちの耳に入れるのは得策ではない。均実のことをよく思っていない侍女たちの耳に伝われば、余計ややこしい事態になるだろう。
 そんな葛藤をしているのを見透かしているように徽煉は微小を浮かべて均実をみていた。
 均実は拒否しきるのが不可能だと知り、了解をしめした。
 それには満足したのか、徽煉が頷くと一つの部屋にはいるよう示した。
「ここは私の香部屋でね。奥様方がわざわざ用意してくれたのよ。」
 部屋の入り口ですでにいろんなものが混ざり合った匂いがする。
 思わず足をとめ、嫌そうな顔で徽煉を振り返ったが、許してくれそうもない。
 と、
「徽煉様。」
 女官の一人が慌てたようにやってきた。
「どうしましたか?」
「将軍がいらっしゃいました。」
 徽煉はその報告に部屋にはいろうとしていた足をとめた。
「雲長様が?……そう、では私はおもてなしをしなくてはいけないわね。」
「え、あの雲長様とは?」
「ああ、関羽様のことよ。」
 雲長というのが関羽の字だということをそのとき均実は思い出した。
「え、でも関羽様がいらっしゃったときは、侍女達は姿をみせないようにと……」
 確かに均実は夫人にそういわれた。
 均実の疑問に徽煉は
「私は特別。さあ邦泉は部屋に帰っていなさい。」
 そういって均実に帰るように促した。
 部屋に帰ると均実は首をひねってどういうことか考えようとした。
 侍女達はそれほど大きくないが一人ひとりに個室を与えられている。
 割り振られたその部屋に入ると、ほとんど無臭といえる状態であり、均実は頭がやっとしっかり働くような気がしてきた。
 この部屋以外どこにいっても香の匂いがする。
 侍女たちは当たり前のように焚いているし、夫人も焚いている。
 屋敷自体が開放的なつくりで、扉によって密室にするようなことができないため、少しはマシなのだろう。だがここは女性たちがすむ建物のようだから、仕方がないとはいえ、いい加減むせ返るようなその感覚は何とかしたかった。
「換気扇みたいなものがあればいいのになぁ。」
 均実は頭の中で扇風機を思い浮かべ、ああいうのがつくれないかと思案した。
 ……いつのまにか思案の対象が変わっていることに均実は気付いていなかったが。
 必要なのは風を起こす羽と、それを動かす動力となるものだろう。夏休みの工作気分でそんなことを考えていた。
羽はなんとかなるだろうが、動力となると……そんなものが手にはいるだろうか……
 思い立ったらフラフラと足を外に向けた。
 昨日屋敷の中を案内してもらったときに、入用なものがあればここにくるようにと示された場所がある。
 屋敷の庭を突っ切り、屋敷の奥ではなく外側の建物に位置する目的地を目指す。一際大きな入り口その部屋をみつけると、均実はそこで見つけた人影に声をかけた。
「李哲殿。」
 いくつかの竹間を見ながら部下に指示を出していた男がその声に振り向いた。
 歳の三十を過ぎ、落ち着いた雰囲気を持つ李哲はここ、物資を貯蔵している倉庫の管理人ともいうべき職種についている人だった。
「おや……確か邦泉殿でしたか。何かご入用な品でもありましたか?」
 昨日一度徽煉につれられて挨拶したときのことを覚えてくれていたらしく、李哲はそういって近づいてきた。
「まあそうなんですが、用意できますか?」
 均実はそういうと、いくつかの品を言った。
「そんなものでしたら。ですが何に使われるのですか?」
「ええと……まあ環境改善の一手です。」
「環境……改善ですか?」
 この世界に扇風機があるとは思えない。説明するのがめんどくさいと考えた均実は李哲の怪訝そうな顔に向かってそういった。
 納得しているとは思えないが、李哲は徽煉から均実のことをよろしくといわれている。多少破天荒なことをすることもあるだろうと含まれている。まあここらへんは均実は男装を自分からしていたところから徽煉が付け加えたのだろうが、今はその言いつけがなかなか効を奏した。
 李哲はそれ以上詰問せず、部下に言われたものをそろえてくるように指示をだした。
 均実がそれに対して礼を言うと、李哲は微笑した。
「かまいませんよ。これが職分ですし。
 すこし時間がかかりますから、お待ちいただくことになりますが。」
「ならこの倉庫の中をみまわってもいいですか?」
 この願いには李哲も驚いたようだが、すこし考えると了承した。
「私はまだ仕事が残っていますので、失礼しますがどうぞご自由に。」
 そういうと李哲は竹間を読み返しながら、待っていた部下とともにいなくなった。
 均実はその姿を見送ると、何人かがまだ働いているのが見える倉庫の中を見回した。
 天井まである棚が何列もある。
 一瞬学校の図書室を思い出させるが、ここは本は置いていないようで紙の匂いはしない。日常に使う小物が整理して収められているのだという。
 まったくの異世界で亮の家にいたときも見るもの全てが新鮮だったが、ここでもそれは同じだった。
 電気がないので昼尚薄暗く、李哲の部下から渡された燭台をもって歩き回る。
 籐でできた椅子や入れ物、象牙を彫った像やら一体に何に使うのかわからないようなものまで置いてある。
 基本的に均実は知るという行為が好きだ。だから亮たちともいろいろな話をしたし、あちらにいるときもいろいろ歩き回ったりしていた。
 かなり奥に入ってくると余計光が入らなくなる。いつの間にか李哲が持っていたような竹間がまとめられているような場所にきた。
 読めもしないが、棚から一つ試しに竹簡を取る。燭台で照らし目を這わすがまったく何を書いてあるかはわからない。
 それにしてもこの数は凄い。この竹間の収められた棚は果てがみえない。
「へぇ〜………」
 独り言のように口をついて感嘆だか尊敬だか声が漏れ出た。
「誰かいるのか?」
 聞き覚えのない声がかけられ、均実は一瞬息を多く吸い込んだ。
 声の主はここから見える範囲にはいない。微妙棚と棚に反響しあうのか、どちらの方向から聞こえているのかもわからない。といっても棚が邪魔なので、棚一つ隔てているだけなのかもしれない。
「え〜と、はい。います。」
 なんと言っていいのかわからず、トイレでノックされたような気まずさで均実はそういった。
「ここにいるということは勉学中の学生か?」
 声は姿を現さないままそう続ける。
 よくわからないが、低く少しかすれた声でこの主の年齢は李哲とさしてかわらないのではないかと思える。少し偉そうなしゃべり方であることを踏まえると、相手はこの屋敷である程度責任のある職についている人物と言うことなのかもしれない。
 ただそんな人物のくせに姿をみせずに、会話をしようとするのに腹が立つ。
 均実はそう考えながら声が聞いてきた質問のほうにひっかかった。
「学生?」
 確か亮も勉強を十五までやっていたというから、そういう人がこの世界にもいておかしくはないだろうが、それにしてもこの屋敷のこんな書物庫にいるだろうか?
「学生ではないですが……」
「違うのか? 孫子の兵法を読むのなら、学があるものだろうと思ったが、それにしては声が幼い。もしかするとただ迷い込んできた家人か?」
 この人物は均実が今手にもっている竹間の内容を知っているらしい。
 兵法か……余計読めるわけないな。
 均実はそんなことを考えたときハッとした。
 相手は均実が竹間を手にもっていることを知っている。ということはあちらにはこちらのことが見えているのか?
 そう考えて均実はその可能性が低いことに気がついた。
 それならこの声の主は最初に「誰かいるのか」などと尋ねはしないだろう。
 とりあえず居場所をつきとめてやる。
 均実は自分の燭台の灯りを吹き消した。
「……」
 暗がりといっても明かりがなければみえないほどではない。
 均実が黙ってあたりを見回すと、先ほど竹間をとった棚から光が漏れ出ている。
「なるほど、そちらにいらっしゃったんですね。」
「?」
 とりあえず言葉を敬語にしておいて、そう言った。
 声が困惑している間に均実は竹間を元の場所にもどすと、すばやく元いた棚の列から出て、一つ隣の列にはいる。
 思ったとおりそこには燭台を手にした男が立っていた。
「話をするのに、相手の顔がみえないことほど気持ちの悪いものはありません。
 外にでませんか?」
 男は最初呆気にとられたような風情だったが、同意したようにこちらに歩き出した。
「どうしてわしの居場所が?」
 棚の列からでて、共に外に向かって歩き始めると男はそういった。
 顔は薄暗いのでよく見えないが、男は背丈が高く、高さだけなら亮よりもあるだろう。ただがっちりとした筋肉が体についており、高いというより大きいというイメージを抱く。
 均実は男を見上げると、彼は興味津々といった感じでこちらを見下ろしているのが感じられた。
 均実が苦笑して自分の灯の消えた燭台をもちあげた。
「これですよ。」
 男にそれを示して均実はそういった。
「あの中歩くなら、相手も燭台を持っているだろう。ここまでは簡単に予想できます。それなら相手の姿を探すのではなく、相手の燭台の灯りを探せばいいこと。
 ですから私の燭台の光を消して、どこから灯りが見えるか探しただけです。そしたら案の定竹間の隙間から灯りが見えました。会話からそう遠くないのもわかっていたという背景も忘れることはできませんが……。」
 この倉庫の棚は置いてある物をのかせば、隣の通路が見えるようなものだ。燭台の灯りをみつけることができるのは当たり前だった。
 説明を終えると男は豪快に笑った。
「は、は、は……。いやさては変な術でも用いることができるのかと思っていた。」
「そんなわけないじゃないですか。子供でもわかる簡単なことでしょう?」
「いやはや全く。」
 笑みを収めずに男はそう答えた。
 そんなことを言っているとようやく外の明かりが届くようなところまでやってこれた。
 均実が改めて男をみると、ゴツゴツした赤ら顔。酒に酔ってというわけではなく、もともと色が黒いようだ。それに鋭い目、何よりもみ上げからあごまで続き、腹まで垂れる長い髭がわずかに入ってきたそとの明かりを反射してきらめいていた。
 ……なぁんか嫌な予感がするなぁ。
 均実はその髭をみてそう判断した。
 美しい髭といえるだろう。だが美しい髭というのをどこかで聞いた覚えがあるような気が……
 均実のそんな思考に気付かず、男は倉庫の入り口までやってきた。
 するとそこには李哲がいた。手には両手で抱えるほどの箱を持っている。
「あ、李哲殿。それは用意していただけたものですか?」
 均実が声をかけると、李哲はそれに返答しようと口をあけた瞬間にかたまり、そして箱を地面に置いて拱手した。
「へ、あれ?」
 均実が戸惑っていると、後ろから髭の男が均実を押さえ前にでた。
「李哲。面白い者に書庫で出会えた。」
「は……あの……」
「人とは明るき場所で話すべきと説かれてな。このわしに説教する者がこの屋敷におるとは思わなかった。」
 男がそう笑い声交じりでいうと、李哲の顔色は真っ青になったのがよくわかった。
「あの〜……」
 均実がひしひしと嫌な予感を強めながらそう二人に声をかけた。
 李哲が真っ青な顔色のまま、言葉をなんとかつむいだ。
「邦泉殿。一体何をなされたのですか?」
「は?」
「その方はこの下邳を守る将軍、関羽様です。」
 均実が驚いて関羽を見上げると、彼はさっきと同じように本気でおかしそうに笑った。
 その時揺れるその髭を見て均実は頭を抱えた。
 思い出した。美しい髭を持つとされ、関羽は美髯公と呼ばれたのだということを。

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