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均しき望み 作者:奇伊都

第12回   保護を離れて……
 馬上から見える町はかなり小さく見える。
 城壁に覆われた中に町があり、その奥におそらく関羽がいるだろうと甘海は均実に教えた。
「とにかく城門が閉まる前に町の中に入りましょう。」
 甘海はそういうと町を眺めていた丘から馬を引き返した。
 城門は夜になるとどこの町でも閉ざされて、夜になるまでははいることができない。
 この下邳につくまでどうしても間に合わず何度か野営をしたから、均実にもわかっていた。置いていかれないように慌てて馬首をかえす。
 隆中をでてから、東にむかって一週間ほど経っている。
 出発はかなり遅れた。夏が過ぎ、秋も半ばになってからにだった。
 その間にこの世界の情勢は確かに変化している。
 袁術は死んだが、劉備は曹操に兵を返さず、いまだ徐州に滞在している。曹操から攻撃をされるのを恐れた劉備は袁紹に曹操へ軍を向けるように要請した。そのとき戦を始めるということを諸所に伝える曹操への悪口を書き綴った檄文の写しが、亮たちの手にも入った。
「これはこれは……曹操は怒るだろうな。」
 庶はそれを読むとそう言った。均実もみせてもらったが、漢字だらけで読めない。解説を請うとつまりは罵詈雑言のオンパレードなのだという。
 よって曹操と劉備・袁紹は陣をそれぞれが敷いたが、大きく戦況が動いたということはないようだった。
 これらの情報がいろいろな筋から入ってくるのを均実は亮の後ろで聞いていた。
 甘海には亮が話を通してくれたらしく、出発する準備ができたら……ということになっていた。馬の練習もほぼ終わり、自在に乗りこなすぐらいは十分できる。
 そろそろか……
 あまり長い間旅にでるつもりはない。
 下邳が攻められる直前ぐらいに行くのが一番いいが、それにはその時期が正確にはわからないという問題があった。
 劉備が曹操の配下の二将を捕まえ、そして解放し、袁紹も曹操と戦ったという情報がもたらされたとき、均実は出発を決意した。三国志演義ではそろそろだったはずだ。
 均実は自分が日本から持ってきた数少ない物のうち、Gショックだけこの旅に持ってきていた。時間をみることはあまりないかもしれないが、短時間ならわざわざ火を焚かなくても灯り代わりに使えるからだ。
 初めてGショックを見せた時の反応は悠円も亮も皆同じものだった。
「何か変な模様が書いてある」
 といって、一分経った時数字が変化するのを見て驚くのだ。
 まだこの時間はアラビア数字を使っていないらしいので、仕方がないがその反応は何度見ても面白かった。
 そんなことを思い出していると、やはり隆中をでるときのことを思い出してしまう。
 亮の友人たちは揃って見送ってくれた。庶なんかは、
「土産を楽しみにしている」
 とまで言っていた。悠円も今にも泣きそうな顔をしていたが、門前に立ってこちらから見えなくなるまで手を振ってくれていた。だが亮の姿は……なかった。
 出発する前に簡単に礼だけはしたが、淡々と返されそれ以上何も言わなかった。
 後ろを何度も振り返りつつ進んだので、甘海から馬上で動きすぎて、あまり馬を疲れさせないようにと注意され、やっと前だけをむいて進みはじめたころだった。
 ベン…ベンベベン……
 聞きなれない音に均実はあたりを見回した。
「殿の琵琶です。」
 甘海がそう言った。
 そういえば音楽の授業で琵琶の音をCDで聞いたことがあるが、それとよく似ている。
 どこか悲しげなその音があの日の悲しげな亮の笑みと重なった。
「亮さんって琵琶を弾いたんですね。」
「均殿が亡くなられてからは一度も弾いているのを聞いたことがありませんでした。……見送りの代わりでしょう。」
「……はい。」
 約束を絶対に守る。
 その決意を強くして均実は頷いた。
 山のほうから琵琶の音は聞こえてくる。もしかすると実際に亮は山のどこかに登ってこちらをみているのかもしれなかった。



 どういった知り合いなのか、甘海は下邳につくと街中でも結構奥に位置している大きな館を訪ねた。
 最初はここが関羽のいるところか、直接行ってどうするのか、と思っていたがそうではないらしい。
「甘海殿っ!これは懐かしい方がいらっしゃったものだ。」
 通された先の部屋で待っていたのは甘海とさして歳は変わらないだろうと思える老女だった。
「徽煉殿。息災ですか?」
「まあ、ずいぶんと丁寧な物言いができるようになられたのね。」
 甘海が困ったような表情を浮かべると、徽連は持っていた扇で口元を隠して笑った。ころころと笑う徽煉はその表情で歳が一気に若返ったようだ。きっと四十年ほど前はとても美しい女性だったに違いない。
 徽煉はひとしきり笑うと、甘海の後ろにいた均実のほうに目をやった。
「そちらの方は?」
「あなたに頼みたいことがあるのです。」
 問いに直接答えず、甘海はそう言った。
「この方を宮で働かせてやっていただきたい。
 あなたは左将軍の奥方に重用されていると聞いてきたのだ。」
 左将軍とは劉備のことである。
 曹操を頼って劉備が許都にいったとき、曹操が劉備に与えた地位が差将軍だったため一般にこう呼ばれていた。
「あら……昔馴染みの相手にいきなり願い事? ずいぶん強引なことね。」
 徽煉はそういいながら、均実の前に立った。
「あなた、お名前は?」
「均実、といいます。」
「……変わった名前ね?」
 甘海に説明を求めるような目つきをよこすと、甘海は肩をすくめた。
「私は殿にこの方の世話をするよう命じられただけで、詳しいことは知らないのです。」
 すこし嘘である。
 甘海にも日本からきたのだということはちゃんと話している。まあ甘海は信じていないようだったが……
 どちらにせよ、ここで話しても理解してもらえないだろうし、納得もしてくれないだろうからいいけれども。
「あなたは諸葛家にまだ仕えていらっしゃるの?」
「はい? そうですが……」
「では諸葛家ゆかりの方?」
 徽連は今度は均実のほうを向いてそう言った。
「え〜……と」
 甘海を伺うように見たが、何もいってくれない。
 なんとかフォローしようとしてよ……
 均実はそんなふうに思っていると、徽煉はじっと均実を見つめた。
「あなた……」
 そうつぶやくと徽煉はふ、と笑みをみせた。
「甘海。わかったわ。この子は私が預かってあげます。」

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Novel Editor by BS CGI Rental
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