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均しき望み 作者:奇伊都

第10回   甘海の帰宅
 こちらの世界にきてから二ヶ月は過ぎた。
 均実も十七になったが、いまだに髭は生えてこない(当たり前!)ので、亮は均実のことを十三ぐらいだと考えているようだったし、均実も訂正しようと思わなかった。
 足が治ってからは、亮にこちらのことを詳しく聞きながら、畑仕事を手伝うと言う生活を均実は送っていた。すこしでも恩を返せればと言う理由と、日本に帰る方法が何も思いつかないという理由が半々だった。
 そう。本当に何も手がかりがなかったのだ。
 悠円とともに均実は自分が落ちてきたと思われるところを見にいったが、何も変わった物はない。
 しかたがなくそういった生活をしていたのだが、最初のころは何をやっていいかもわからず、指示されたことをやるだけで精一杯。そして筋肉痛がひどかった。バレーでは使わない筋肉を使った動きがかなりあったからだ。
 畑仕事に慣れてくると、亮は何度か近くにある襄陽という大きな街に均実を誘ってくれた。どうやら何か隆中で手に入らないようなものがあると、襄陽にいくらしい。
 ついていくと除庶とも合流し、町を案内がてら散歩したのだが……。
均実が道に迷った挙句、何とか合流した時には、遊郭とかそういう遊び場が軒をつらねたような場所に、出てしまっていた。皆気まずそうな顔をしてとりあえずそこから離れることになった。
 そこから離れたあと、均実がああいう町並みをみたことがなかったというと、亮が困った顔をしながら、
「別に好むのはいいが、はまらないでくれよ。」
 といったので、庶が噴き出した。
 そう、悠円や庶は均実が女であることを秘密にするということは守ってくれていた。
 よって付き合いが薄く、亮の弟の喪式に参加しなかった人は、均実のことを均だと考えることも少なくなかった。亮は特別否定もしなかったので、均実も黙っていた。亮自身が均実が弟でないことをわかっていればいいことだと判断したのだ。
 春野菜の収穫も終えると、次は夏野菜の手入れに入った。
 いい加減畑仕事にも慣れてくると、亮はこちらの勉強を少しずつ教えてくれるようになった。
 やれ職業における地位の名前とか、やれ目上のものに対しての礼儀など……
 本来、名を直接呼ぶのは失礼なので、字で呼ぶのだと知ったときだ。
「えっ!じゃあ亮さんとか庶さんとかって呼ばないほうが……?」
「本来はね。もう慣れたからいいよ。」
「そうそう。均実殿も名だしね、一応。」
 二人はそういって、笑った。
 訂正することもできたのにそれをしなかったのは、私の国には字がないのだと知ったかららしい。
 そんなこんなで過ごす日々は確かに平和だった。
 どこかで戦争が起こっているなど思えないほどに。
 だが亮を訪ねてやってくる庶などの数少ない友人たちは来るたびに、現在の情勢について話し合っていた。
 彼らも独特の情報源をもっているらしく、誰がもたらした情報かは忘れたが、呂布が曹操に殺されたというものがあった。確実に本の通りに歴史は進んでいる。
 均実は亮の友人たちに請われて、日本のことを話すことが度々あったので、彼らの顔と名前も大体覚えた。
 一人は崔州平。彼は庶と同じくらい亮と仲がいい。それともう一人、孟建という人がきている。亮とは遠い親戚にあたるらしいが、なんだか長い説明だったので均実は覚えられなかった。
 そんな彼らに共通していえることは、亮をまるで尊敬しているかのように見えるということだった。
 聞けば、本来十五でこちらの学校のようなものは終わるらしい。亮はかなりの優秀児だったのだというが、それだけではなく、亮の人柄にひきつけられているようだ。
「均実殿はどこかに仕えようと思っておられるのか?」
 州平はそういって均実に話しかけた。
 基本的にこの世界の人は背が低い。
 亮は日本ではそう珍しくない身長だが、この数ヶ月でこの世界の基準で見ると、どうやら背がとても高いのだということがわかった。
 それゆえ、州平たちも亮どころか均実より背が少し低かった。
 自然と見下げるようになるが仕方がない。
 畑からの帰り道、偶然亮を訪ねてきた州平と並んで歩きながら、均実は首を横に振った。
「どうして?」
「……私が例え誰か英雄と呼ばれる人に使えたとしても、大成できるとは思えませんから。」
 これは結構本心だった。
 三国志演義では孔明という名前はあるようだが、均実なんて名前はでてこなかったはずだ。今呂布が三国志演義と同じように死んだとなれば、あの本に書いてあったことは、確かにここで起こることだという確信が強まってきていた。
 ということは亮ほど自分が活躍できるとは思えない。
「州平殿はどこかに仕えられるおつもりですか?」
「そうだな……孟建は曹操に仕えようかと思っているようだが、今のところ考えていないですね。」
「何故ですか?」
「孔明の言葉を借りるなら、『刻が来ていない』からですか。」
 亮の口調を真似するように州平は言った。
 最近よく皆誰に仕えるかという話をするようになった。
 その時に亮は必ずそういって、回答を避けていたのだ。
 均実が苦笑しながら屋敷と門をあけると、家人が慌てて走っているのが見えた。
「どうかしたのかな?」
「均実様。先生が呼んでるよ。」
 悠円が均実の姿を見つけてそう言った。
 州平と共に悠円の示すほうに歩き出すと、見慣れない馬がさっきの家人に世話されているのが見えた。
「なるほど、甘海殿が帰ってこられたようですね。」
 州平の言葉に均実は聞いた覚えのあるその名前を繰り返した。
「甘海殿、甘海殿……。ああ、そういえば情報源だとかなんとか言ってた……」
「彼はこの家の執事なんですがね。彼は自身で旅をし、この荊州にいてはわからないようなことを孔明に知らせに帰ってくるんですよ。ですからその情報の正確さはお墨付きなんで私もお会いしたいですね。
 それにしても今回はいつもより遅かったですね。」
 悠円につれられていった先は母屋の一部屋だった。
「ああ、均実殿。丁度よかった。」
 均実が部屋にはいっていくと、亮がその姿を認めて言った。
 部屋の中には除庶も孟建もいる。もう一人初対面の人間が亮と向き合っていたが、彼は亮よりかなり年上に見える。だが姿勢をただし、力のある眼光は歳による衰えを全く感じさせない。彼は少し険しい顔をして均実を見ていた。
「甘海。彼が均実殿だ。」
 亮の言葉に庶が気付かれないように苦笑しているのが見えたが、均実は無視した。
 こうやって生活をしているうちに庶は亮が均実は女だと気付くだろうと思っていたらしい。だがいつまでたっても気付かない友人を、最近は面白がっているところがあった。
 均実は甘海と紹介された男の前にいき、片手に握りこぶしをつくり、もう片方の手でそれを包む、拱手という挨拶をした。
「初めまして、甘海殿。均実と申します。」
 甘海は我に返ったように礼を返した。
「ああ、この家の執事の甘海です。」
 そして州平にも礼をすると、甘海は亮のほうを向きなおした。
「殿。それでご報告なのですが……」
 州平が目配せをして壁のほうをさした。
 庶が手招きをしている。下がっていようということらしい。
「劉備が曹操の下を逃げ出しました。」
 均実以外の部屋の中の人間は息を呑んだ。
 均実は促されるままに壁のほうにいきながら、やはりと小さく頷いた。
 三国志演義のままに時代は進んでいるようだ。
「どうやって?」
「袁術が袁紹を頼り、徐州をぬけていこうとしているのを、曹操が知ったからだと思われます。」
「それを防ぐため……兵を貸したか?」
「一軍を。」
「曹操も腑抜けたか?」
 亮は最後の問いを孟建にむかって言った。
「劉備の手並みが鮮やかだったのだろう。疑われぬようにな。」
 孟建はそう言ったが、どうやらこの報告の内容は不満があるようだ。
 劉備は一武将にしては名も高く、兵を与えて掌の上からだすのは危険すぎると、誰も進言しなかったのだろうか?
 自分がいればそんなことはなかった。と孟建は心の中でつぶやいた。
「それで? 他には?」
「劉備が許都を去った後、色々騒がしかったですな。詳しくはわかりませんでしたが、どうやら董承が詔を受けて、曹操反逆を行おうとして失敗したとか。」
「天子もさすがにあれだけの屈辱には耐えられなくなってきていたか。」
「甘海殿。その結果はわかりますか?」
 庶が口を挟むと、甘海は苦く笑った。
「詳しくは……、しかしけして死罪は免れないでしょうな。」
 均実はそのこともわかっていた。確か反逆に加わろうとしている証拠の血書があるはずである。
 確か劉備もその反逆に加わる密書にサインしていたはずだ。
 つまりそれは曹操が劉備を敵として認めるということだろう。
 それにしても、と均実は思う。
 本当に今になっても部屋の隅から「ドッキリカメラで〜す」とかいって誰かでてきそうな気がする。
 周囲の人間の話からどうしても三国志演義の世界のことを話しているというのはわかるのだが、実際に自分がその世界にいるというのはどうもしっくりこなかった。
「それで、甘海。これからどうするつもりだ?」
 亮がそう聞くと、甘海は少し黙ってから言った。
「しばらくはここで休もうかと。今回は予定外に長い旅になってしまいましたから。」
「そうか。では均実殿に色々教えてやってくれるか?」
 突然話をふられて均実は目を見開いて亮を見た。
 甘海も驚いたらしい。
「どういうことですか?」
「馬の乗り方を教えてやってくれないか? 以前頼まれたんだが、私は君ほどうまくないからな。」
 そういえばそんなことを亮に頼んだ覚えがある。
 均実は覚えてくれていたのか、と驚きそして期待をこめて、甘海をみた。
 甘海は均実と亮を見比べた。
「……いいのですか?」
 確認するようなその言葉に均実は何がいいたいのかわかった。
 亮の友人たちもその言葉に先ほど以上に息をつめている。
 亮の弟の均は落馬して死んだと聞いている。そして甘海は均実を一目見て、均と同い年(実際は四歳ほど上なのだが……)ぐらいの少年を亮がどう思っているのかを、すぐに洞察できたのだろう。
「均実殿は私の弟ではないよ。」
 亮はそうきっぱりと言い切った。
 その亮の表情をまじまじと見てから、甘海は納得したように笑った。
「わかりました。」
 部屋の空気がようやく和らいだのを、部屋にいた全員が感じ取れたのだった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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