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均しきさだめ 作者:奇伊都

第8回   心境の変化

「何の話だったんですか?」
 屋敷に共に帰ろうとするとき、均実は聞いた。
『それを用いることは、すでに決めておられるのでしょう?』
『……確かにな』
 一体何を劉備は用いることを決めているのか。
『もしかすると……手段の一つになるかもしれませんね。』
『……最悪の一歩手前でか?』
 手段とは何なのか。
 最悪とは……?
 均実の前でさきほど劉備と亮によって交わされた話は、わからないことだらけだった。
 亮は困ったような顔をしている。しばらく迷うように空を見上げてから、ため息とともにつぶやいた。
「まだ確定はしていないから、言明はできないのだけれど……」
 亮のその言葉より、表情、声音に不穏な物を感じた。
 確定していないものというのは、良いものではなさそうだ。
 ならば何の話か、などと考えるまでもなかった。
 この新野での懸案事項であるのは間違いなく、曹操のことだ。純も曹操は南下してくると言っていたのだから。
 平和な新野が、戦に巻き込まれることへの対策についてだろう。
 もしかすると新野の民をどこかへ非難させるという話かもしれない。
 均実は黙って亮の言葉を待った。
 自分には何でも話すと、彼は約束したのだから。
 だが亮は戦のことを何も言わなかった。
「確定しても君にだけは話せない。」
 日が翳ってきていた。
 顔の影が濃くなり、よく亮の表情はわからなかったが、均実は何故か彼が傷ついているような気がした。
「……約束、しましたよね?」
「したよ。」
 話してくれると、約束した。
 それは二人とも知っている、二人の約束。
「それでも……君にだけは言えない。」
 だがそれにはっきりとした肯定を示しても、亮は自分の要望を曲げなかった。
「言うことが約束なのはわかっている。本当なら言うつもりだった。
 だが、言えない。」
「どうしてですか?」
「……」
 わからない。
 亮は何を考えているのかが、均実にはわからなかった。
 すこし前までは均実に話すこと、話すことができることを喜んでいる、というとすこしニュアンスが異なるが、少なくとも話すことを拒絶はしなかった。ちゃんとこれからも話して下さいね。と均実が念を押したときに亮が返した微笑には、何の翳りもなかったはずだ。
 あのときと今と、何が変わったために、亮の心境が変化したのだろうか?
 即答せずに眉間にしわを寄せている亮は、言葉を選んでいるかのようだった。
「君に明かすことで、守れないものができるからだ。」
 視線を遠くにやっているのに、亮の声は低くおさえられている。
 均実以外には聞こえないようにするかのように。
「悪いが約束は、破らせてもらう。
 だが私の選ぶものの結果、君が傷ついたら――」
 亮の見る方角を眺め、均実は眉をひそめた。
 毒々しいほど、夕日は赤かった。
「私を憎んでくれないか。」
 そしてあたりも真っ赤に染まっている。それはこれから亮が進む道を暗示しているようだった。名軍師として決断によって失われる、数え切れないほど多くの命の色に染まった大地を、歩まなければいけないのだと。
 しつこく約束をたてに、何が話せないのかを聞き出そうかとも均実は思ったが、
「……わかりました。」
 口から出た言葉は、そんな考えとは正反対のものだった。
 約束を、亮が必要としていないことがショックだった。彼を支えることができるのは、純ではなく自分だと考えたのは自惚れだったのだろうか。
 たとえ均実に――誰に憎まれたとしても。
 亮は守りたいものを守ろうとしている。
 たった、一人で――
「――凄い夕焼けですね。また明日も晴れそう。」
 その赤に不吉な想像ばかりしてしまいそうになるために、何とか明るい方向へと思考をそらそうと、均実はあえてそんなことを言った。
「最近ずっと晴れが続いてますよね。」
「ああ……その場合、確か高気圧にこの辺りが覆われているんだったね。」
「覚えていたんですか。」
 亮のその言葉に、均実は素直に驚いた。
 天気には気圧配置が関係しているということを、亮に教えたことがある。
 高気圧は上昇気流をもつため天気が良く、低気圧は下降気流をもつために天気は悪くなる。そういったことを請われては詳しく説明もした。小学校の理科の知識だが、それでもこちらにはない、日本の知識であるため亮は興味深かったらしい。だが、それはかなり前。隆中にいたころの話だ。
 他愛もない会話の中で、サラッとでてきただけの話題を何ヶ月もよく覚えていたものだ。
 亮は均実をみて微笑んだ。
「面白い話だと思ったからね。」
「先生っ、均実様!」
 そのとき慌てた様子で悠円が駆けてきた。
「さっき、屋敷に、報せがきて……」
「何の?」
「曹操が、攻めて、きたって!」
 切れる息を直す暇なく、悠円はそういった。
 均実は亮の顔を慌ててみる。
「始まってしまったようだね。」
 声を絞り出すかのようにして亮は言った。
 今日が平和な新野での夕日の見納めになったのだった。



 劉表が死んだ。
 その知らせが入ってきたのは曹操が攻めてきたという報に対して、亮が均実とともに劉備の屋敷に引き返し、兵を動かすよう進言したときだった。
 均実はそれを聞いて、亮の表情をまずうかがった。だが亮は一瞬息を止めたが、それ以上は別に変わったこともなく、詳しい話を使者から聞きだしていた。
 小康状態だった病状が一気に悪化し、医師が駆けつける間もないほどあっけなく亡くなったのだそうだ。そして劉表は長男劉きをさしおき、次男である劉そうに荊州を任せると遺言したという。
 急速に平和が乱されていった。
 今まで当たり前のように畑に出ていた人々が剣をとり、鎧を着、戦色に染まっていく。
 慌しい出陣だったが、不備はなかった。兵も慌てた様子もなく、皆整然と進んだ。
 前もって用意ができていたのだろうか?
 出陣の風景をみて、そんなふうに均実は考えていた。
 均実は今回も従軍はしなかった。劉備の屋敷で開かれた軍議には参加したが、どうやらもう策は決まっているらしかった。この何ヶ月もの間に、劉備と亮は曹操の南下についてずっと話し合っていたのだろう。軍議は均実が発言する暇もなく亮の意見が通り、あっさりと終わったのだった。
 亮と庶が作戦の総責任者となり、軍を統括することになった。
 魏軍は以前の博望で戦いと同じほどの戦力をもって攻めてきているらしい。だがこれは先陣であり、曹操率いる本陣は後から追いついてくるに違いなく、叩くなら早いほうがいいという。
 だからあっという間の戦準備だったし、あっという間の出陣だった。
 そして翌日、博望まで攻めてきていた魏軍の出鼻をくじくことに成功し、兵たちは凱旋した。詳しい話を聞くと、宛城という博望の北にある街に、魏軍は一旦退いたらしい。
 戦場から引き上げてきた兵たちも気分が高揚しているのが目にみえたし、それを迎える新野の民も皆嬉しそうな顔をしている。亮たちも無事だった。
 しかし依然として事態が悪いということは変わっていない。魏軍が許都に戻らず、宛城に留まったということは、曹操が南下を諦めたわけではないという事実を示していた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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