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均しきさだめ 作者:奇伊都

第48回   均しきさだめ

 病院というのは、どうしてこんな堅苦しいんだろう。
 ベッドで本を読みながらそう思う。
 面会時間も決められているし、食事だって毎日同じ時間だ。
 ゆっくりと過ぎていくのが変化のない毎日であることを、焦る気持ちと共にどこか落ち着いて過ごしていた。
 長い、長い夢から覚めてしまった、ようやく覚めることができた。
 歓喜か悲哀か、自分の心はわからなかった。
 だから周囲に流されるまま、均実はここにいた。
「辻本さん。そろそろ退院できるわね。」
 とりあえず数日の検査入院。
 何年も神隠し状態だった人間への対応だから仕方がないだろう。
 検査の結果はほぼ正常値を示しているときいている。
 均実は頷くと、時計をみた。
 もうすぐ十四時だ。
「そろそろ面会時間が始まるわね。お兄さん達、今日はくるの?」
「いいえ、今日は二人とも来ないって聞いています。」
 その言葉に看護婦は頷くと、まだ引き取りにきてなかった均実の食器を片付けた。
「そう、じゃあ今日はその本も全部読めるわね。」
 均実は苦笑して、目で本の文字の続きを追う。あと数ページで終わりだ。
 もう会話するつもりがないのだと判断したのか、看護婦はさっさと部屋を出て行こうとした。
「おはようごさいます。」
 そのとき声が廊下のほうでした。
 まったく律儀なもんだ。もう昼だ。おはようっていう時間でもないのに……
 均実がボンヤリとそう思っていると、外で会話が続いた。
「あ、すみません。ここ、辻本均実さんの病室ですか?」
「ええ。あら、彼女のお友達?」
 均実は看護婦のその声に顔をあげた。
 そのまま固まる。
 ありえない人物。あるわけがない人物。
「季邦……」
「久しぶりだな、邦泉」
 間違いなくそこにいたのは季邦だった。
 着物ではなく、こちらの格好。ジーパンにすこし落ち着いた紺色のチェックのニット。
「どうしてお前が」
「こういえばわかるか?
 ……辻本先輩もおはようございます。」
「!」
 懐かしい。
 酷く、懐かしい。
 均実は声が震えるのを感じた。
「一応、おはよ。……岡田君。」



 季邦――圭樹は備え付けの椅子をひっぱってきて座った。
「記憶を失ったのが、あちらの世界に行ってすぐだったんだ。」
 均実と同じように『門』を通って圭樹はあちらへ行った。
 そして均実と同じように落下した。
 その時うちどころが悪くて、記憶を失っていたのだという。
 小さいころ死んだ蔡封、季邦と名づけられ、学問をつんだ。
 あの戦場で均実と別れた後、処刑されそうになったときに、突然あたりは真っ白になった。そして日本に戻って記憶を取り戻し、今に至る。
「全然気付かなかった……」
 すこし呆然としつつ、均実は言った。
 あちらの世界に行ってから、圭樹と初めてあったのは徳操の塾でのことだ。
「一年経って、背格好もすこし変わってたし、何しろあちらの世界で俺に会うとは思わなかったんだろ。」
「口調も違ってたしね。」
「……先輩とは知りませんでしたから。」
 そういってから圭樹は笑う。
「なんだか変な感じがする。」
 それは均実も思ったことだった。
 あちらに行く前、ずっと圭樹は敬語だった。
 それがこんなため口だ。
「別にいいよ、友人のままで。」
 圭樹と日本で関わったのは本当に数ヶ月だ。それに比べてあちらでは何年も友人でいたのだから。
「というか本当に死んだと思ってた。」
「俺も殺されるはずだったんだがな。」
 曹操の命で処刑が実行される前夜、突然こちらにもどってきてしまったのだという。
「俺があちらでやるべきことが終わったから、戻されたんだろうな。」
 圭樹はそういってすこし笑った。
「やるべきこと?」
 均実は圭樹の言葉に怪訝そうに眉をひそめた。
「歴史を変えないために、『門』は開くんじゃないの?」
 均実の言葉に圭樹は首をかしげた。
 『門』の意味がわからないらしいので、簡単に説明してやると、
「それだけの理由なら人の生死に関わるような状況にならないと、『門』が開かないのはおかしくないか?」
 そういわれれば……
 均実はその指摘に驚いた。
 今まで考えなかったことが不思議だ。
「きっと入れ替わったんだ。」
 『門』の移動の共通点。
 圭樹があちらに行く前、蔡封は死んでいた。
 均実があちらに行く前、落馬で死んだ均がいた。
 純も日本に来る前に、両親には交通事故で死んだ子がいたといっていた。
 移動した先での立場の人間は、すでに死亡していること。
 入れ替わる。まるで人が駒のように死の瞬間をスイッチにして。
「そしてまたスイッチが入れば、入れ替えが起こる。」
 入れ替わったのだ。
 もともとその世界にいた人物の描くはずだった道を歩くために。
 それがこの『門』の答え。
 均実が歴史をなぞっているような気がしたのは当然だった。
 すでに存在している駒のように、世界で動いた。
 死の瞬間に『生きる』か『死ぬ』かを選ぶために『門』は開くという純の考えは、あながち間違っていなかった。
 ただあちらに空席がない場合は『門』が開くこと自体不可能だということだろう。
「今考えるとまるで……夢みたいだ。」
 圭樹はそう言った。
 均実の左のわき腹には、未だに傷痕が残っている。
 笛の吹き方だって覚えているし……
「夢なんかじゃないよ。」
 均実の言葉に圭樹は首をかしげた。
「全部……本当にあったことだ。」
 亮を支えたいと、邦泉として生きていきたいと思ったのも。
 窓の外で首をかしげた鳥は、小さく鳴いた。
 それに二人が顔を向けたとき、上から植木鉢が降ってきた。
 二人が声をあげる暇もなくそれを見ていると、一瞬鳥の姿がぼやけた。
 がしゃ
 圭樹は病室の窓を慌てて開ける。
「す、すみませんっ。怪我なかったですか!」
 上の階の人だろう。そんな声がしたが関係ない。
 植木鉢をのけたが、その下には何もない。
「『門』?」
 均実のつぶやきに、圭樹は頷いた。
 その鳥をこちらで見ることはもうできなかった。
「あの鳥もあちらで死んだ鳥と入れ替わったんだろうな。」
「でもあちらで何をするかは、あの鳥が決めることだよ。」
 均実の言葉に圭樹は目を見開く。
 純がこちらの世界にきて、育ててくれた両親を慕い、圭樹を好きになったように。
 圭樹があちらに行って、季邦となり、蔡家のために尽くし、親友のために命を投げ出したように。
 均実があちらに行って、邦泉となり……
「私が亮さんを支えようと思ったように」
 それはたとえどこで『門』が現れようが、関係ない。
 自分が決めたこと。
 選択し、選び取って、決心していった一つ一つを思い出す。
 初めてあちらの世界に行き、本当に三国志の時代なのか疑ってかかったこと。
 関羽と出会い、暴漢に襲われ、変な噂がたちまくったこと。
 許都をとびだし、隆中に戻り、純と再会したこと。
 日本へ帰るために勉強し、新野へ行き、刻を待ったこと。
 戦場を歩き、眼前の死を知り、そしてようやく選んだこと。
 すべては自分の決断。
 誰の責任でもない。
 亮も自らの決断で生ずる犠牲すら、自分の中で消化する術をつかんだ。
 そして私は……この戻った世界で生きていくのだから……
「私は……『均実』。辻本均実。」
 心が痛む。
 亮の側にいた自分は『邦泉』だった。
 それを今……また切り捨てる。
 均実は一度閉じた目を開いた。
「この世界で、精一杯生きることを選んだ一人の人間になる。」
 たとえ胸を打つ痛みにさいなまれても、選ぶことができた自分をいつか誇りに思うだろう。
 均実は目を落とし、開いていた『三国志演義 上』の数行を読んでから閉じた。
 話はまだ続く。でも均実の話はもうここにはのっていない。
 しっかり前を見据えて、後悔のない道を選び続けよう。後悔のある道を選んでも、それを誇りに思えるように、歩き続けよう。
 どちらの道を選ぼうとも、次から次へと選択は迫られる。
 どちらの道を選ぼうとも、均しきさだめが待っている。







 走り去り、後になりて振りむく。
 選んだものさえ、人はときに欺く。
 強き想いを抱くなら、人の心は乱される。
 人の子よ、汝の末は一つにあらず。
 人の子よ、汝はたどりつくだろう。
 見定めよ、広き大地と空に挟まれ。
 選んださだめは儚く辛い。
 続くさだめより逃げることなく、天に高く舞い上がれ。
 それが均しきさだめとなりて、汝の翼をもがんとも。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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