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均しきさだめ 作者:奇伊都

第43回   風はおこせる

 曹操はその報せをうけて、まず眉をひそめた。
 あまりにも常道過ぎる。
 それが感想だった。
 黄蓋というのは聞き及んでいる老将の名だが、それをこの常道の策に使うとは周瑜というのは阿呆か、それとも裏にまだ何かあるのか?
「黄蓋の降伏の願いは聞きあげる必要があるか?」
「……真実ならば、間違いなく益あることです。」
 曹丕が横で自分と似たような苦い顔をしている。
 戦場が膠着した場合、やはり一番常道なのは相手を内から瓦解に追い込むことだろう。
 だが川がそれを阻む。
 なれば味方をこちらに送り込めばいい。
 曹操もその手は使う。
 実際例えば下邳で、関羽が篭城したときは、兵を送り込み呼応させて城門を開かせたりした。
 だからまさにその手だろうとしか思えないのだが……
「この陣を攻め落とすのに老将一人で、ことが足りるとは思えませんが。」
「ではまだ何が?」
 息子の意見を曹操は聞いてみた。
 曹丕はしばし考え込み、そして曹操を見返した。
「火……ではないでしょうか?」
「火だと?」
 曹操は曹丕の言葉を笑った。
「ここは北西からの風がずっと吹いている。
 もし我らの舟に火をかければ、南東に位置している奴らが逆に火にまかれる。
 それがわからん周瑜ではあるまい。」
「そうですが……」
 曹丕は対岸を見た。
「他にはないと思います。」
 はっきりとした言い方に曹操は笑った。実直な意見であり、もっともであるのもわかるが、机上の空論にすぎない。
「火攻めなど南東の風が吹かなければ、無理な話だ。」



 亮は周瑜を訪ねた。一つの考えを持って。
 彼はこの数日ずっとふさぎこんでいるという。
 確かに疲労の濃い顔にはクマができ、目も血走っているように思える。
「どうやらかなりご心労がかかっておられるようですね。」
 亮の言葉に周瑜は苦笑した。
 薬湯を飲み干しその器を渡すと、重いため息を吐いた。
「孔明殿はこの膠着状態をうちやぶるものは何か、お考えか?」
「一応。しかし公瑾殿も考えておられるはずでしょう?」
 二人はしばらく互いを見合い、
「では各々の手に、それを書いてみませんか?」
 亮の提案に、周瑜は頷いた。
 まるで武士と武士の斬りあいのように、それは知恵と知恵の比べあいのようだった。
 だが墨でそれを手に書き、見せ合うと
「ははっは」
「はっはは」
 どちらともなく笑い出した。
 書かれていたのは同じ。ただ一文字。
『火』
 それはそれは、同じようなことを考えるものだ。
 二人ともひとしきり笑うと、手を拭きつつ笑みをおさめた。
 ここら一帯は北西の風しか吹かない。
 火攻めをするなら、南東の風がいる。
 それは共通の認識だった。
「風がいるのですね。」
 亮のその言葉に、
「邦泉殿に聞いてみてくれないか?」
 周瑜はそう言った。
「邦泉に?」
「この前も聞いたことのない異国の知識をもっていただろう。」
 細菌だかういるすだか知らないが、確かに曹操軍は病にかかっているものが多く出ているらしい。
 猫の手でも借りたいところだった。
 その現状を包み隠さずにいう周瑜に亮は好感をもっていた。だからこれ以上出し惜しみをしてやる気にはならなかった。
「邦泉に聞くまでもありませんよ。」
「え」
「風を起こすことは私にできます。」
「本当かっ?」
 勢い込んで周瑜は言った。
 もったいぶっても仕方がないので、亮は考えていることを周瑜に明かした。
 驚きつつ周瑜は言った。
「そんなことを……」
「邦泉が住民に聞き込んだ話らしいのですが、ここ数日川の水量が増えているといいます。西のほうで雨が降った証拠でしょう。
 それに今の季節、南方とはいえ乾燥していますし。」
「それはそうだが……」
 考え込んだ周瑜を見て、亮が細かく説明する。それが終わると、ようやく周瑜は安心したような顔に笑みを浮かべた。
「なるほど……そういうことか。」
「少なくとも三日三晩のうちには風が来るでしょう。」
 その話がもし本当ならば、間違いなく呉軍は勝利するだろう。
 周瑜はそう思い、ついで兵のことについて考えた。
「兵たちは何故そうなるのかがわからないだろうな。」
「確かに……」
 今周瑜に説明したことを、全員に説明するのはとてもじゃないが時間がかかる。
 しかし風が吹くことを兵が納得していないと、この戦での兵の動きが鈍る懸念が生じる。
 しばらく考え込んでいた周瑜は、思いついて顔をあげた。
「……孔明殿、鬼神となってもらえないか?」
 周瑜の言葉に亮は一瞬驚いた。
「私は指揮をしなければいけない。孔明殿は風をあやつることができる、という噂を流し、実際に風が吹くまで何らかの儀式のようなことをしてもらう。
 兵たちはそれで信用しないだろうか?」
 亮は言われたことを反芻してみた。
 自分が言い出した策だし、確かに兵たちに作戦の成功を信じさせるため、必要なことかもしれない。
 了解をこめて頷くと、
「黄蓋殿をあちらへ投降させる日は、その準備が整い次第ですね。」
 亮は最後にそういった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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