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均しきさだめ 作者:奇伊都

第4回   純ちゃんは何をしに来たでしょう?

 庶はよく屋敷に遊びにきた。
 均実の様子を見に来るというのもあるが、それだけではないらしい。
 最近語彙も増えてきた喬は、簡単な文章なら話すことができる。そのために庶は初歩的な学問を教えてやっていると言っていた。理解しているとは思えないが、喬も庶によくなついているようだ。
 だが悠円はそのことに対して奇妙な顔をしていた。
 その理由を均実はすぐにわかった。
 庶がいないときを見計らって、悠円が喬にこう言っていたのを耳にしたのだ。
「元直先生の言うことは、半分だけ、本当ですからね。」
 本当にそうなのか、均実は知らないが、悠円は庶に勉強を教えてもらっていたことがある。その悠円が、次に教えられている喬にそういうことを言っている。
 ……真実か否かは考えるまでもないのかもしれない。
 悠円は子ども扱いされることを嫌う。だから自分より非力なものへの保護欲が強いように感じられる。この場合喬はその対象であり、その喬に変なことをふきこむ危険のある庶は要注意人物であるのだろう。
 悠円も成長したなぁ。
「どうした? 均実殿。」
 庶が問いかけてきた。それに横目で悠円をボンヤリとみていた均実は覚醒する。
 目の前には十七×十七の目の盤があり、黒と白の碁石がいくつもおいてある。囲碁は賭博として一般的だが、ただの遊びとしても親しまれていた。
 いつの間にか自分の番になっていたらしい。均実は一つ碁石をとると、盤上を眺めた。
 すっと手を伸ばし、石を置く。
 石の位置を見てから、小さく息をはいた庶に均実は話しかけた。
「兵の再編成を進言した単福殿としては、練兵を見に行かなくてはいけないんじゃないんですか?」
「今日は孔明が行っている。問題ないだろう。」
 そういいつつ、庶もすこし考えてから石を置いた。
「仕事は慣れたか? 結構大変だろう?」
 どちらの問いにも均実は肯定し、
「弟さん、いい人ですね。」
 と付け加えた。そして石を置く。
 均実はできる限り、ここ新野の民と触れ合おうとする。実際に話せる機会があるなら、できるだけそれを活用しようとしていた。
 それには理由がある。
 この世界の人間ではない自分が、仮にとはいえ、ここの政治に関わっているのだ。もちろん無責任ではいられない。それもあるが、劉備に民の暮らしをみて思ったことを聞かせてくれるよう頼まれているのだ。
 劉備は民の自分への評価を気にしている。それは熱心にといえるほどで、事細かく民の生活については調べているようだ。
 しかし確かに民と話して、新野の実情を把握しているのも大事なのだが、それを行うために目先の物事をつい忘れてしまう。そのせいで仕事をためてしまうこともしばしばだ。
 目の前の庶とよく似た顔で呆れながら、徐康はそれをよく手伝ってくれる。
 石を握りこんで眉間にしわをよせると、庶は口元に手をやった。
「ああ、あいつはな。均実殿のことを――知っているから。」
「やっぱり、そうなんですか。」
 すこし言い辛そうに言われた言葉に、均実は苦笑交じりで応えた。
 庶は均実の性別を知っている。なら弟である徐康はどうなのだろうと、最初は思っていたが、態度でなんとなく察しがついていた。
「潁川に母上を訪ねていた頃、話してしまっていたのでな。」
 均実は庶に気にしていないというように、首を横に振った。
 徐康は均実の性別を知っていたとしても、それを周囲に吹聴する気はないようだ。
 なら、問題はない。
 均実はそう考えつつ、庶の顔をじっと見つめた。
「なんだ?」
「弟さん、あまり似てないですね。」
「そうか?」
「顔とかは似てますけど……庶さんって剣が振るえるでしょう?」
 そう言うと均実の考えを庶は了解し、思い出すようにして笑った。
「あいつは、武芸よりも学問に偏っているやつだからな。」
 もやしっこ……とはいわないが、庶がそれなりに筋力のついた体格なのに対して、徐康はどうしてもひょろっとしたイメージが拭えない。頭はいいが、積極的に自分を売り込むことが得意な性格ではないらしく、だからこそ庶が新野に呼び寄せるまで、仕官もせずにひっそりと過ごしていたらしい。
「でも仕事を手伝ってくださるのは、本当にありがたいですよね。」
 悠円がそういって会話に加わった。さっきからしていた拭き掃除の布は片付けたらしく、手に持っていない。
「均実様ってすぐ無理しますから。」
 均実は苦笑する。こう悠円が主張する回数は、明らかに隆中より新野に来てからのほうが増えていた。
 保護欲の対象を、均実にまでむけているらしい。
「そんな無理なんかしてないってば」
「してますって」
 否定する言葉に、悠円は呆れたような顔をした。
「均実様って寝言言うんですよ。」
「え」
「この前うなされながら期日がどうとか、苦情がどうとか言っていましたよ。」
「……ほんとに?」
「本当です。」
 それは知らなかった。
 だが……それは仕事をしていれば当然のストレスであるはずだ。
 均実は納得できずに呟いた。
「でもほんとに無理してるつもりはないんだけどなぁ。」
「なるほど。なら均実殿は外に出ない不安が夢に出てくる性質なんだな。」
 ……前にも誰かに、似たことを言われたような気がする。
 庶の言葉に均実は降参というふうに両手を上げた。
 それを笑い庶は、再び碁盤に目を落とした。しばらくして思案を終えると、ようやく石の置き場所を決めたようだ。そして石で碁盤を弾く音がパシッと鳴ったとき、部屋に訪問者が現れた。
「あれ、元直殿がいらしてたんだ。」
 均実と庶が話しているのを見て、すこし意外そうに純は言った。
 おそらく均実一人だと思ってきたのだろう。一瞬部屋に入らず帰ろうとしたので、均実はそれを止めた。
 別に聞かれてまずい話はしていない。
 純にはできるだけ現在の情勢についての話を聞かせないようにしている。
 これは亮が均実に提案したことで彼女には言っていないが、純も口にはださないだけでそれを心得ているようだ。そちら関係の話をしているときは、用事があっても間に人をたてたりして聞かないようにふるまっている。
 庶が単福として働いていることを、純は知っている。だから均実とは統治や政治についての話をしているのだと考え、自分がいてはいけないと思ったのだろう。
 手招きをして部屋にはいるように促す。
「喬はどうしたの?」
 均実は純が養い子である彼を連れていないのをみて、そう聞いた。
「陽凛に預けてる。今、寝てるから。」
 そういうと純は均実の横に座った。
 純は自分付きの侍女である陽凛に絶大な信頼をおいているようだ。基本的に彼女と行動を共にしている。
 とはいえ、純は均実に暇があれば日常であったことを話そうと、こうやって部屋を訪ねてきた。陽凛に対する主従関係とは違う、親友とのふれあいを楽しんでいるようだ。
 それにしても、子供というものが側にいると、話題に事欠かないらしい。今日は喬にこれがあった。あれがあった。それをどうした、どうなった。そんな話をされた。
 純が話しかけてきたら、均実はけしてそれを止めようとはしない。そうやって話すことで、日ごろ家の一切を仕切っている鬱憤が晴れるならそれもいいだろう、と考えている。
 座って一息つくと、純は碁盤を覗き込んで首をかしげた。
「囲碁なんてヒト、できるの?」
「それなりにね。」
 実をいうと均実が女装して新野にいた間、暇だったので覚えたのだ。
 自分の石を手にとって、それを迷わず盤に置くと、庶が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「それなり……か?」
「元直殿? ヒトは碁が強いの?」
「私もそれほど弱くはないはずだが、さっきから打つ手打つ手が全て殺されていっている。」
 純が感心した声をあげた。
 均実は考えることが得意だ。実はこういうボードゲームも、日本にいた頃から結構強かったのだが、こちらにきてから様々な勉強をしたためか、相手の行動や先を読むという能力にますます磨きがかかっていた。
 結局均実の勝ちで勝負はついた。賭けをしていたわけではなく、ただの遊びなのでだから別にどうこうというわけではない。
 その後碁盤を片付け、三人で他愛もない話をしていた。庶が面白いことを話し、こちらを笑かせてくるので、結構盛り上がる。その笑い声が途切れるのは、時々家人が用を聞きにくるのを断るときだけだった。
 もともといた甘海は、劉備に亮が仕官するのをきっかけに、呉にいる瑾のもとへ身を寄せている。だが隆中にいたころはそれほど多くなかった家人は、ここに来てからは劉備の配慮か、その数が確かに増えていた。
「それでもちゃんと家を、純ちゃんが切り盛りしてるのはすごいよね。」
「そっかな?」
「そうだな。よくやっていると思う。」
 そんなふうに話していると、均実はあるひっかかりを感じた。
 わざわざ均実の部屋を訪ねて来たにしては、あまり発言をしようとしない純が、ときおりじっと庶のほうを見る。だが庶が見返そうとすると目をそらした。
 庶がいては話せないようなことでもあるのだろうか。
 同じことを感じたのだろう。しばらくして庶は席を立った。
「さて、そろそろ喬の目が覚めるころか。」
「えっ」
 若干濁った声をあげた悠円が、その庶の姿をみた。
 それをさらに庶が見返し、薄く笑む。
「悠円。お前も来るか? 半分は本当のことを言うぞ?」
「…………行きます。」
 かなり苦い顔をしたが、悠円はそう言って手早く細々した品を片付けると、それを持って庶よりも先に部屋をでた。喬のところへ向かう前に、それを元の場所に戻してくるつもりなのだろう。
 それを庶は苦笑している。どうせ後でもっと嫌味を言うつもりに違いない。
「では、な。」
 ゆったりと部屋の入り口へ向かう庶は、すこし意味深にこちらに視線をやった。
 自分たちは消えるから話を聞いてやれ、ということだろう。均実がありがたく思って頭を下げようとした時、純はそんな庶を呼び止めるかのように声をかけた。
「元直殿、あの」
 均実が純のほうをみると、彼女はすこし困ったような顔をしていた。
「……母君はお元気ですか?」
「え? ええ、一応。」
 唐突な純の質問に一瞬庶は止まり、頷いた。
「新野での生活も肌にあっているようなので。」
 彼は弟と暮らしていた母を、劉備に仕官することを決めてからこの新野に呼び寄せていた。すこし体も悪いらしく、あまり活発に動くことができないらしい。
 広元に自分の代わりに母をたずねてもらっては、何かと話を聞いてもらってきている。
 母は自分のことは気にせず、役目を果たせと言っているのだという。
「そう、ですか。」
 庶の言葉に純は軽く鼻の頭をなでて、そう小さく呟いた。
「どしたの? 純ちゃん、庶さんのお母さんと何かあった?」
「ううん、別に。ただちょっと聞いてみただけ。」
 突然の問いを均実がすこし不審に思うと、そういう答えが返ってきた。
「わざわざ違う屋敷に住まれてるって聞いたし、ね。
 ちょっと気になってたんだ。」
「ああ。そういえば……」
 あっさりと純の言葉に納得する。実は均実もそれは気になっていたのだ。
「一緒に住めばいいじゃないですか?」
 住んでいる屋敷は母子だというのに別々。外で弟である徐康に会ったとしても、お互い挨拶のみ。徐康が庶の弟であるということすら、知っている者はほとんどいない状況だったのだ。
「単福が? 徐の家にか?」
 この均実の問いに、庶は困ったような顔をして聞き返してきた。
 普通なら一緒に住むだろう。
 だが庶は単福が偽名であることを知らない周りには、遠い親戚だといっているのだ。劉備や孫乾にまでそう嘘をついているから、公然とは親戚に対しての礼しかとれない。
「なんで、そんなややこしいことするんですか?」
「徐庶と名乗るのは都合が悪い。前も言っただろう?」
 別に大した問題じゃないというように、庶は言った。
 庶は広元と常に行動している。
 だが庶が仕事から離れているような今は、彼はその庶の母のところに行っている。庶の代わりに。
 あまり母のところに親しく行き来すると、親子だとばれると考えているらしい。
 そこまで厳重にしてまで隠すような理由があるのだろうか。
 だが庶はそう言っただけで、言葉を続けようとはしない。
 均実はそれに肩をすくめた。
「説明は……なしですか。」
「悪いな。」
「庶さんも十分秘密主義じゃないですか?」
 すこしおちゃらけて均実は言った。
 以前も自分が秘密主義だといわれたことを暗にさしている。口元をゆがめただけで、庶は何も反論はしようとはせずに部屋をでた。
 庶の姿が消えると、均実は純の視線に真っ向から向き合う。
 やはり何か言いたげだ。
「どうかした?」
「……亮って仕事、好きだよね。」
 すこしため息まじりのその声に均実は眉をあげる。
 亮が仕事で帰ってこないことがあっても、純はこれまでそのことに対して愚痴を言ったことはない。珍しいこともあるものだ。
 だがそれには理由があった。
「この後、『三国志演義』では曹操が攻めてくるんだ。」
「えっ……」
 純の発言に均実は絶句した。
 この世界は均実たちが日本で読んだ『三国志演義』の流れにそって歴史が動いている。『三国志演義』自体に創作が多く含まれるためか、細かい部分では違ったりするのだがその大きな流れは間違っていない。以前関羽が劉備の妻を守るために曹操に降伏したことや、劉備が亮を三顧の礼をもって自分の幕下に迎え入れたことだって『三国志演義』に書かれていた。
 これらのことから均実は、『三国志演義』に書かれていたことがある程度現実になることを知っている。
 そうであるからこそ、均実は絶句したのだ。
 均実は仕事をするかたわら、民の生活に深く関わり、新野が平和であることを感じている。
 だが『三国志演義』では、この平和が破られることも示しているという。曹操が攻めてくるというのは、歴史の中でも大きな流れの一つといっていいだろう。十中八九、それは未来に起こるに違いない。
 不穏な動きが曹操に見られるというのは、それの前触れなのかもしれない。
 だが……
「亮は今より忙しくなるんだろうなぁ。」
 考え込んでいた均実に、すこしつまらなそうな声で純は言った。
「純ちゃん?」
「余計会えなくなるじゃない……」
 均実は自分と純の考えの次元が違うことに、思わず苦笑する。
 亮のことが好き。恋愛の末の結婚ではないが、純は亮とともに過ごす間にそう思えてきたらしい。あの優しさに触れるのが心地いいという。
 亮は仕事をしているのだから仕方がないことなのだが、なかなか会えないことはやはりすごく不満だったようだ。
 そっか……確かに戦争が始まるってことは、亮さんの仕事が増えるってことよね。
 だが均実は、そんな純の言葉に対して違うことを考え、素早く頭を働かせた。
 以前亮が劉備に仕官する前、平和な新野では功をたてる機会が少ないことを庶がぼやいたことがある。平時より戦時のほうが、そんな機会が多いのは明らかだった。
 それは均実にとっても同じことなのだ。
 亮より出世し、歴史を変えるために均実はここにいる。具体的に何をするかといえば、均実が亮より優れたことをするということだ。
 その亮はきっとこれから始まる戦争で、手柄をたてるに違いない。
 出し抜く……という言葉はあまり印象が良くないので使いたくないが、そういうことだって視野にいれておかなくてはいけない。ならば……
「純ちゃん。亮さんはこれからどんなことをするの?」
 知っておくべきだろう。これから亮が行うことを。
 均実の質問に純は首をかしげた。
「う〜ん……本の中では、曹操が攻めてきたから劉備は南に逃げ出すの。でも曹操は追いかけてくるんだ。
 それに対抗するために、劉備は呉の孫権と同盟を組もうと考えて亮を使者にだすの。それで曹操と戦うことを迷っていた孫権を、説得するはずだったと思うんだけど……。」
「孫権は曹操と戦うことを迷うの?」
「曹操は大軍だから勝てる確証がないって、皆から諌められるの。そんな人達の意見を退けて、曹操との戦いの意義を話すんだ。」
「そうなんだ……」
 純のその情報に、均実は考え込んでいた。
 どうすれば自分が功をたてることができるか、出世することができるか……
「本の中では、だからね。保証はしないよ?」
 だから純が自信無げにそう付け加えたことは、均実の耳には入らなかった。

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