「孔明殿はあの方の良き友となってくれたようですね。」 小喬は何気なくそう言った。 大喬が実家に帰るというため、その見送りに朝からすこし均実を一人にしていた。どうやらずっと笛を吹いていたらしく、小喬が戻ったことにも気付かずに吹き続けていた。 小喬は黙ってそれを聴いていたのだが、亮が帰ったことを家人から聞き、そのことを均実に告げたときにそう付け加えたのだが…… 均実が一瞬表情を曇らしたのを小喬は見逃しはしなかった。 「邦泉殿?」 問いかけても彼女が話せないのはわかっている。 きっと声がでたとしても、彼女は今何も言わなかっただろう。 そう直感的に小喬は思った。 「あなたの友人に不幸でも?」 小喬の言葉は的をいている。だが均実は首を縦にも横にも振らなかった。 不幸だというのは失礼な気がした。犠牲ではあったが、それは彼の、季邦の望みだった。 自分のための、望みだった。 ただ許せないだけ。 もうすこし上手く行動していれば、全てもっと上手くいったはずだった。 『邦泉』 季邦の声が耳に戻る。 その名は本来の名ではない。 結局彼には最後まで、自分の名を告げることはできなかった。 徽煉が自分につけてくれた字。 この世界の者でない自分がまとうこの世界の仮面。 「……あの方は一人で戦っているの。」 小喬がゆっくりと口を開いた。 周瑜のことを言っているのはわかったが、何をいいたいのかわからなかった。 「前主孫堅様と親しくされていて、この天下を安んずるのが二人の夢だったけれど、今は一人。いくら側で支えても、どこか遠い目をされる時がある。 あれはきっと孫堅さまのことを考えておられるのね。」 小喬は寂しげに笑う。 側にいるのに、自分では役に立てない。 それは自分にとっても苦痛だが、その苦痛を悟らせるのはもっと苦痛だ。 周瑜の側にいるのは、彼を苦しめるためではないのだから。 「今、孔明殿があの方と話しておられる姿は、まるで孫堅さまと話されているころのあの方とよくだぶるわ。次へ次へと進む思考を楽しまれているように……でも」 均実がこちらを見ているのを見て、小喬は微笑んだ。 「孔明殿のかたわれはあの方ではないのでしょう。」 小喬はそういつつ均実の頬をやわらかく撫でた。 「人は一人では生きられない……違いますか?」 均実は喉を詰まらせた。 知っている。だから私は亮さんを支えたいと思ったんだ。 均実は顔が歪むのを感じた。 糜夫人が死の直前まで劉備を気遣っていたような強い優しさと、同じ物を彼女は持っている。本当にこの人は糜夫人を感じさせることばかり…… この屋敷にきて、亮は確かに周瑜と話している。だがそれが彼にとって、ついでであることを小喬は知っていた。 亮にとって均実は確実に、「特別な存在」なのだ。 その感情に均実は気付いていない。気付こうとせず、声が出ないことを理由に彼と話すことから逃げている。 「だめよ。逃げては。」 頬を撫でる手をかたく固定し、均実の顔を覗き込む。 「逃げ続けていては、道はなくなってしまう。 どれほど選びたくない道も、選ばなくてはいけないときもある。」 確信した声。 小喬は促した。 「孔明殿のもとへ戻りなさい。」 その宣告は、逃げを許さなかった。 「孔明殿ときちんと話しなさい。」
|
|