「孔明殿、曹操の軍容についてお答えいただけるということでしたな。」 孫権が待っていたのは、謁見をする部屋と続きになっている部屋で、いうなれば彼の控え室のようなものだろう。 魯粛と共にはいり礼をすますと早速そう切り出された。 せっかちな気性のようだな。 亮はそう思った。 「はっきり言わせていただきますと、呉とは比べ物になりますまい。」 ならばこちらのほうが良い。 亮はとっさに言い方を変えた。 「む……」 孫権が不快感に眉をひそめる。 それにかまわず亮は続けた。 「曹操の兵力はおよそ百万……と魯粛殿には申しましたが、これは控えめにいわせていただいた数字。本当のところは百に数十を足しましょう。」 横で魯粛が腕をつついてきた。 言うなというのに何故言うのか。 「それほど……か」 「はい。 ですから戦われる意思なき場合、即刻下られるがよろしいでしょう。」 魯粛のあせりが横から伝わってくるが、亮はあえて無視した。 これも駆け引きのうち。孫権のこの反応ならば…… 「……だがその方の主君である皇叔は下られてはおらんではないか。」 「あたりまえではないですか。」 すこし貶すかのような声を亮は心がけた。 「殿はまぎれもなく漢王室の血を引く方。逆賊曹操に屈する理などありますまい。」 「では孔明殿は私には逆賊に屈せよと申されるか。」 「この土地はもともと多くの蛮族によって支配されてきたときいております。蛮族が曹操に代わるだけのこと。」 「蛮族……っ? 呉は三代続けて孫家が治めてきた場所。わが父兄を馬鹿にする気かっ?」 「それも降伏なされるとあらば、甘んじてうけるべきそしりでありましょう?」 亮の切り返しに、孫権は蓄えた髭がいらだたしげに揺れた。 「そのようなそしり。けして受けさせませぬ。」 と、そのとき誰もいれるなと孫権が命じたはずのこの部屋に、第三者の声が響いた。 ちょうどいい…… 亮はそのタイミングの良さに思わず苦笑した。 入り口に現れたのは周瑜だった。 「おお周兄。」 孫権が立ち上がるのを頷きで制し、周瑜は亮と向き合った。 先日会った時と同じ、落ち着いた目の色の中に……少々笑いが見えるような気がするのは気のせいではないだろう。孫権をわざとあおり、戦をしたいと思わせることに、周瑜が来る前にはもう成功していた亮を、周瑜はわかっているはずだ。 だがさすが周瑜もそれを孫権の前で出そうとはせず、冷静な声で質問をくり出した。 「孔明殿、呉は勝てぬといわれるのか?」 「そうは言っておりません。」 亮がそらっとぼけた顔を作る。 「ただ旗印として掲げられるべき者の心構えが揺れていては勝てる戦も勝てぬもの。」 はっと孫権は顔をあげる。 これまで孫権は内政に力を注ぎ続けていた。内乱なら数え切れぬほど経験がある。 だが外敵に対してはこれが初めてなのだ。 「もし戦われるのであれば策はあります。」 亮のその言葉に孫権が驚きの表情を浮かべる。 「何故それを先に……」 「失礼を承知で、孫将軍の度量を試させていただきました。」 亮は頭をさげつつ、孫権にそう言った。 確かに失礼は失礼だが、亮の立場としてみれば、孫権次第で劉備陣営の人間全ての命運が変わるのだ。それも仕方がないことだろう。 「殿」 しぶしぶながらも納得をみせた孫権に、周瑜が不敵に笑んだ。 「この戦、必ず勝って見せましょう。」
「この戦、我らが漢王室の者であることを示す重大なもの。 義は我らにある。」 朗々と説く周瑜の声に、頷くもの、喜色を表すもの、憤慨に顔を赤らめるもの、沈黙を守るもの、それぞれが聞き入っている。 「曹操と戦う。」 謁見の間に臣下を集め、導き出すことが延期されていたその結果を周瑜は告げた。 見事なものだ。 亮は部屋の隅からその光景を見つつ、そう思った。 孫権からみて、左側が文官。右側に武官が並んでいる。 皆周瑜の話を聞き、静まっている。それほどまでに信頼されている周瑜を亮は素直に感心した。 私も玄徳殿の下でこれほどまでならなくてはならない。 「呉の向かう先は決まった。 これ以上この問題をくりかえすものは……」 孫権は剣をぬき、机をきりつける。 端のほうが、鋭い切り口で綺麗に斬り落ちた。 「こうなる。肝にめいじろ。」 孫権は剣をおさめると、周瑜のほうをむいた。 「周公瑾。お主に全軍の責任を与える。 逆賊曹操の横暴に立ち向かうべく、呉は兵を挙げよう。」 「はっ。」 亮はそれをみて、頷いた。 自分の仕事はとりあえず終わった。
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