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均しきさだめ 作者:奇伊都

第34回   竜を試す

 日を改め、亮は孫権を訪ねることになった。
 実を言うと周瑜が帰ってきた次の日の会議は、周瑜に対して延々と参戦論者と反戦論者とのディペートがみせつけられたらしい。そのために亮が召喚されるタイミングがつかめない会議自体が、日を改めることになったのだ。
 亮は魯粛が手配した使者に導かれて、そこへ行った。
 というが、すぐに彼に会えたわけではなかった。
「孔明殿は臥竜であるとか。さぞ学にも明るいのでしょうな。」
 こちらを見下すような声に、顔にはださないが亮は苦笑した。
 連れて行かれたのはある一室。入った途端、中に集まっていた者が一斉にこちらを見た。
 周囲に周瑜どころか魯粛もいない。よってここが正式な謁見の場ではないことはわかっていた。が、このあまり好意的とはいえない扱い。どうやら反戦論者の控え室のようなところに通されたらしい。
 どうしようもなかったために好奇の目に黙ってさらされていたのだが
「魯粛殿も何を考えておられるのか」
「曹操に無理にはむかうよりは、恭順をはかったほうがよいだろうに」
 好奇だけではない。邪険もあらわにし、皮肉げに言葉を発するものもいる。
 ざわめきの中心であまり好意的でない視線の標的になっていた亮は、特に不快感をしめすこともなく周りを見回した。
 これは……試されているのか?
「……ここにおられる方は、呉の臣か。それともただの盗人か。」
 ずっと黙っていた亮がそうつぶやいた途端、場は静まり返った。
「……何を申されましたか?」
 一人の老人がこちらを鋭い目で見てきた。さきほど張昭と名乗っていた者であることを亮は思い出す。
 確か彼は孫権の幕僚の中でも古株にあたり、前主孫堅より使えているはずだ。そして今回の戦に対しては、非戦論者である。……彼を論破せねば、孫権など説得できまい。
 亮はできるかぎり柔らかい笑みをつくったが、言った言葉は辛らつだった。
「常時碌を食むのみで、職務を果たさず、いざという時は家財一切を懐につめ、主に忠をしめすことなき者はただの盗人でありましょう。」
 数人が苛立ったように息を吸ったが、黙りこくった。
「例えばさきほど、『魯粛殿が何を考えておられるのか』という問いを発せられた方。」
 亮はそういって視線をむけた。しかめつらでこちらを睨み返してくるのは虞翻という男だ。
「魯粛殿のお考えは、孫将軍に皆様の前でお伝えになられているはずでしょう。聞いておられなかったというのは職務怠慢としかいえませんな。
 それから『曹操に恭順をはかるべき』と言われた方。」
 虞翻の反論を封じ込めるように、亮は視線の向きを変えた。
 そこにいるのは薛綜といった。
「あなたはあえて自らの主を貶めるつもりですか?」
「何?」
「逆賊曹操に対して膝を屈するということは、孫将軍自身をも逆賊に陥れることと同じでありましょう。」
 顔を真っ赤にして薛綜はこちらを睨んできたが、亮は涼しい顔でそれを見返した。
 張昭が間に入り、薛綜をなだめつつさらに口を開いた。
「曹操は逆賊。なるほど、漢王室の血筋を引く皇叔殿の臣である立場から見ると確かにそうですな。しかし、その逆賊もあなどれないほどに力をつけておりますなぁ。曹操は軍略にも長け、権謀術数たる朝廷を味方にしておる。
 そして現に皇叔殿は新野から彼に追われてきたではありませぬか。」
 張昭の言葉に、周囲の者たちの顔に生気が戻る。
「そこまで曹操に対しての大言を吐くというのならば、よほどあなたは兵法にも自信がおありのようだ。しかし何故あなたの仕える皇叔殿は追われたのでありましょうか?」
 劉備の荊州での敗走は呉にまで伝わってきている。
 だが亮は表情も変えずに、張昭に対した。
「強い薬も、病人に体力がなければ病を治すどころか身を滅ぼしましょう。」
 その言葉の意味を捉えかねたのか、数人がざわついた。
 できの悪い子供に、噛み砕いて教えるように、亮はわざと優しげな声をだす。
「新野の地で、私は曹操を打ち払う策を献ずることもできました。
 されど玄徳殿の兵は、汝南で曹操に苦しめられた末に、かろうじて荊州にたどりつかれた。新野は小県。回復をしようにも、なかなかうまくはいきませぬ。
 そのような状態では体力のない病人と同じ。よって有効な策を使うこともできなかったのです。」
「……詭弁だっ」
 ぶるぶると震えつつ、そう怒鳴った張昭の後ろから好々爺といった男が現れた。
「おや、このようなところで臥竜殿は何をしておられるのか。せっかくのご高見ならば、このようなところではなく、わが殿にお話くだされ。」
「公覆殿っ」
 張昭の言葉でその好々爺が誰か、亮はすぐにわかった。
 公覆という字を持つ、呉の武将といえば黄蓋。孫堅のころからの幕僚であり、鉄鞭の使い手と記憶している。
「私もそのようにしたかったのですが、こちらの方々が次々に問いかけてこられましたので。」
 亮がそうこたえると、黄蓋はあからさまに大きくため息をついた。
「各々方。当代きっての奇才と名高い孔明殿に、いらぬ議論を吹きかけるとは、客を迎える礼とは申せますまい。曹操の脅威が迫っている今、口先だけの論議を楽しむ暇などありはしませぬぞ。」
「孔明殿」
 そのときもう一人、部屋に入ってきた。
 まるで見計らっていたかのようなそのタイミングに、亮はおもわず口の端をゆがめる。
「魯粛殿か。」
「わが殿がお会いになられるとのこと。こちらへどうぞ。」
 亮が魯粛に連れられ部屋をでると、黄蓋も後ろについて出てきた。
 三人で歩くと、後ろのほうで憤慨の声が聞こえてきた。彼らにしてみれば、反論もろくにできないで、亮に勝ち逃げされたような気分だろう。
 それに苦笑していると、魯粛が心配げに顔をよせた。
「孔明殿、わかっておられるか?」
 その言葉に亮は黙ってただ頷いた。
 魯粛は曹操の軍勢が百万はある、という亮の言葉をそのまま孫権に伝えるべきではないことを、ここにくるまでの間、ずっと亮に訴えていた。
 さきほどの臣たちの話からもわかる。厭戦の考えをもち、それをはっきり示す者だけでもあれだけいた。隠れてそう思っている者も合わせれば、かなりの人数だろう。
 孫権とて一人で呉を治めているわけではない。臣の言葉をまったく聞き入れないわけにはいかない。
 そしておそらく孫権は交戦派の魯粛がいなくなったことで、彼ら厭戦派の言葉を聞き、今は戦いを避けたいとより強く考え始めているのではないか。
 ならば余計、戦うべきでない情報を孫権に与えるべきではない。
 というのは常識だろうが……それは孫権次第だ。
 亮は考えを終え、横を歩く老将軍を見た。
「黄蓋殿は曹操と戦うことを賛同されているのですね。」
 名乗ってもいないのに名前を当てられたことにすこし驚いたのか、黄蓋がこちらをまじまじと見たが、快活な笑みを浮かべた。
「わしは年をおおうが、腐ろうが、武の者でしてな。
 戦自体が好きなのでしょう。」
 ついつられるように笑みを浮かべると、前から歩いてくる人がいた。
「こちらに来ていたのだな。」
 瑾の姿をみるのは、本当にどれだけぶりだろうか。
 亮は顔に笑みが浮かびそうになったのを、押し留めた。
「お久しぶりです。」
「何故屋敷にこないんだ?」
「私は私の仕事がありまして、それを済ますまで私事をするわけには……」
 その返答に瑾は持っていた羽扇で口元を隠した。
「兄上?」
「また真面目な……ではその仕事とやらが済んだなら、訪ねてきなさい。」
 間違いなく笑みをこもった言葉を亮に告げると、瑾はそのまま通り過ぎていった。
「御兄君とは確かに似ておられるな。」
 再び歩き出し、しばらくしてから黄蓋がそう言った。
 亮はさきほどの兄の顔を思い出す。
 全体的にのっぺりした感を抱くほど、額と顎が長く。面長なその輪郭は正直、まったく異なるのだが、よく目は似ていると昔から言われていた。
 記憶にある顔とそれほど相違のない兄に出会えたことで、少々緊張気味だった肩の力もぬけていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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