到着後、周瑜に会うのが最初だといわれた。 直接孫権に会うこともできなくはないが、呉は周瑜という水軍を統括している武将の帰りを待っている状況だという。周瑜にわたりがつけられれば、孫権の説得もたやすくなるだろう。 周瑜……亮はその名前に聞き覚えがあった。 先代の党首から孫家に仕え、武勇もさることながら、その智謀は有名だった。彼はその優美な風貌と、美麗な妻も名高い。 客舎に案内され、しばらくはここで滞在されるように、と魯粛は言ったため、部屋に亮ははいると、一旦落ち着ける場所に腰を下ろし、顎を撫でた。 魯粛は魏の兵力のことをいうと、驚いてみせた。 簡単にいえば百万ほどの兵力だと伝えたのだが……それは孫権には言わないほうがいいだろうと忠告された。 孫権に言わないほうがいいということは…… 亮は眉をしかめた。 孫権は戦うことを決めかねているということ――いや、もっと深読みをすれば、戦いをさけることに心が傾いているということか。 これは少々、気をつかわねばならないかもしれない。 亮は荷駄をほどくことすらせず、家人たちを下がらせると、部屋には一人だけになった。しかし部屋には、笛の音が聞こえてきていた。 また……吹いているのか。 その姿を探すと一室にたどりついた。さきほどまで自分がいた客間とあまり変わらない大きさの部屋で、落ち着いた雰囲気の調度品が品良くかざられていた。 しかしそのようなものより目をひきつけるものがあった。 「均実殿」 狂ったように続いている笛の音だけが、そこにはあった。 「均実殿。」 もう一度呼びかけてみる。 「疲れはないかい? 休んでいてもいいのだよ?」 その言葉に均実は笛をやめず、首を小さく横に振った。 亮は悲しげに顔をしかめた。 「私は……謝らない。」 音色が消えた。 止まった音色を奏でていた笛は、ゆっくりと下ろされ、均実がこちらをみた。 均実も何か話そうとするのだが、やはり声がでない。 だから必然と静かになる。 耳が痛いほどの静寂。 「選択が間違っていたとは思わない。」 それを破りたいとは思わなかったが、今は言葉を発さなければいけないと思った。 「君に言えばこの道は進めなかった。」 息を吸い込み、そこで一旦区切ると均実を見つめなおした。 「謝りはしない。」 精神的に追い込まれたために、均実は声を失った。 追い詰めたのは自分だ。 だが何度決断をせまられようと、同じ道を選ぶだろう。 「だから私を憎んでくれ」 均実は亮を見続けていた。 しかしその目に憎悪は感じられず、ただ悲しみだけが伝わってくる。 決断をしなければならなかった自分を哀れんでいるのだろうか……? 亮は強く掌を握り締めた。 「どうして……憎んでくれない?」 違うんだ。自分が彼女に求めているのは、哀れみの瞳ではない。 「君が私を憎んでくれることで、私は自分の罪を自覚できる。 憎んでくれ。私が鬼とならないために。」 それが均実に求めていること。 「例えどれほど私が人の死を望んだとしても、私の側で、私が道を踏み誤らないように、私を憎んでくれ。」 自分を戒めてくれる存在。それを均実に求めた。 均実は呆けたような……魂が抜けてしまったような、そんな顔をした。そして何かに気付いたように眉間にしわをよせると、苦しそうに何か言おうとして、首を横に振った。 喉元をかきむしるかのようにするので、爪で引っかいた小さな傷が赤く浮いた。亮は慌てて彼女の手を奪う。 「やめなさいっ」 「っっっ……!」 声が出ないかわりに、熱い息が彼女の口からは吐き出される。 表情に浮かんでいるものは相変わらず虚無でしかないが、何かを覆っている薄い破璃を思わせる。小さな衝撃一つで、それは簡単に破ることができそうだ。 だがそれが今、唯一の彼女の防御術のように思え、それを破ることには躊躇した。 こんなにも壊れやすいものだっただろうか。 初めてそう思った。 均実と純が一緒に話している姿を見ても、常に純を均実は守るかのようにしているように見えた。 だから均実が壊れることなど考えもしなかった。 目を大きく開けて、ただ苦しげにあえぐ。 その背中をさすりながら、亮は本心が口からもれた。 「君と話がしたい。」 声が聴きたい、言葉を聴きたい、考えを、思いを知りたい。 確かに自分は均実と今まで話さな過ぎたと思う。それらを想像する術はあまりにも貧困で、想像することもできない。 均実の体が硬くなったのを感じた。 それとともに表面にある破璃も厚くなったような気がした。 拒んでいる。 拒まれている。 「君と――話したいんだ。」 だが亮が均実の目をとらえもう一度繰り返すと、均実は懸命にあえぐように荒く息をしていたのをやめ、静かに亮から離れた。
|
|