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均しきさだめ 作者:奇伊都

第30回   柴桑へ向かう旅

 孫権がいる柴桑に行くには船旅になるということだった。魯粛が屋敷まで迎えにきてくれるということで、均実とは出発直前に合流することになる。
 劉備に挨拶を済ませ、亮は自分の荷を持った。
 昨日から、どうも気が落ち着かない。
 焦るような手つきで持つそれは、一度落としてしまった。
 何をそんなに慌てているのか。
 自分に落ち着くよう言い聞かせながら、昨日の均実を思い出した。
 目を離せばどこかに行ってしまう、そんな不安がした。
 だから準備が済んですぐに、部屋まで迎えに行った。
 それを純は過保護だと笑った。だがその笑みも今の彼女の状態では仕方がないと納得しているような乾いたものだった。
 だが先に外にでていたらしい。
 外に亮が出ると、魯粛が困惑気味に均実を見ているところだった。
「孔明殿、彼女は?」
「ああ……楽士だと思ってください。」
 彼女は男装のままでいた。だがもう付け髭もつけなければ、髪も結い上げておらず、男としてふるまうつもりも均実はないようだ。だから男にはどうひいき目に見ても見えない。
 事情を知らない魯粛にしてみれば、奇妙にしか見えないだろう。
 しかしそれを止めようという気は起こらなかった。
 亮は均実にはその姿が自然な気がしたのだ。
「均実殿。大丈夫か?」
 亮がそうきいてきたので、均実は頷いた。
 顔色がすこし悪いが、その瞳だけは昨日と同じようにみえる。
 そうして静かに旅は始まった。
 それほど長旅にはならないだろうが、均実の体調が心配で、頻繁に亮は均実の様子を気にした。均実は夜、どうやらなかなか眠りにつけないらしく、時に笛を吹いていた。それを亮は妨げることのないようはからった。
 舟に乗ったその旅は、なかなか長い。
 その間、亮は均実を常に側に置いた。できる限り目の届く範囲にいるようにした。
 魯粛と魏の兵力のことを話し合いつつ、旅は続く。
「戦が始まったとして、呉の勝機はありますか?」
 旅の合間に諸葛亮という人物にすっかり心を許した魯粛が、難しい顔をして言った。
 詳しく話を聞くと、今呉は参戦派と非参戦派に主張がまっ二つに分かれているらしい。魯粛が劉備を訪問するということも、魯粛が何度も進言してやっと受け入れられたのだという。
 どうやら呉では孫権に曹操に対するよう説得することが目的となりそうである。
 そんなふうに話していると、いつの間にかまた笛の音が聞こえてきた。
「……聞きなれてくると、確かに味のある音色ですな。」
 亮は魯粛の言葉に当たり障りのない笑みをうかべた。
 均実の笛は絶妙に上手い、というわけではない。最初を知っているだけに、亮は均実が上達したことを知っているが、楽士、と堂々と名乗れるほどの技量でないのは言われるまでもなく了解していた。
 妻でないことは伝えてある。だからといって正直に経歴を明かすのは、自分のことではないためにどうもためらわれた。そのため納得しているわけではなさそうだが、魯粛がつっこんで聞いてこないのはありがたかった。
 均実に悠円はついていくといって聞かなかったが、今は劉備も何より人手が欲しい。均実の仕事をじっと側で見てきた悠円は、別段引継ぎもせずに彼女の仕事をこなすことができる貴重な存在だった。
 だから均実は一人で亮についてきていた。
 だが道中交わした言葉は一つもなかった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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