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均しきさだめ 作者:奇伊都

第27回   呉の使者

 江夏郡の一都市、夏口につく。ここも大きな町で軍備もそれなりに整っており、劉備は自分達は一旦江夏にいくとしても、一人ここに将を残して守らせたほうがいいという結論を得ていた。
 夏口まで迎えにでてきた劉きにより、ここでささやかな慰労が行われた。そして呉からの使者がともに、劉備を訪ねてきていた。
 魯粛という男だった。
 江夏へ劉備たちはこの後向かうはずであったのに、わざわざ待ちきれずにやってくるとは、どうも差し迫った様子を受けるが当然だった。
 彼に会う前に、亮は劉備に一つ忠告をした。
 表向きは劉きに劉表の喪に対する遺憾の意を伝える使者だが、実は曹操と直接戦った劉備の話を聞きにきたのだと。
「何故曹操の情報が得たいかといえば、呉が次の行動をとりかねているからでしょう。
 玄徳殿は何も答えずにいてください。」
 亮は魯粛にあう前にそう劉備に諭した。
 呉が――つまりは孫権が行動を決めることができず、使者を遣わすのはわかる。
 その使者である魯粛自身がどのような考えの持ち主かが判明するまでは、下手なことを言うわけにはいかなかったのだ。
 用意された部屋で劉備の後ろに控え、その魯粛という人物を待つ間。亮は呉にいるであろう兄のことに想いをはせていた。
 新野で過ごした短い間、あちらは孫権、こちらは劉備にそれぞれ仕官していたために、連絡もとれなかった。甘海が彼のもとに身を寄せているはずだが、どうしているだろうか。
「失礼いたします。」
 そのとき劉?と共に、一人の男が現れた。
 中肉中背の体つきながらも、髪がすこし薄いのか、頭がとても小さく見える。温和な表情の中にも油断なく光るその瞳は、たしかに能臣であるように思えた。
「皇叔にはご健勝のこと、まずお喜び申し上げます。」
 魯粛は型どおりの挨拶をすませると、さっそく曹操について尋ねてきた。
 なるほど、孔明殿の読みどおりだ。
 劉備は内心では感心しながら、表情はすこし苦くしかめた。
「いやいや曹操が参ったということで、尻尾をまいて逃げ出しましたのでな。
 軍容がどうかなどということは、わしにはわからぬのですよ。」
「ですが一度、宛城まで押し返したと聞いております。」
「あれは」
「実は二つの軍に分けたのは、その戦いをするためでした。」
 劉備が答えようとしたのを、横から亮が口を挟んだ。
 本当のことを言うと、魏と呉を警戒してだが、それを呉の使者の前でいうのは愚の骨頂だろう。
「奇兵を用い、魏の兵が惑っている合間に、逃げ出したのです。」
 口を開く亮を、劉備は何も言わずに見ていることにした。
 彼がわざわざ劉備を押しやって発言するということは、そこに何か必要性があるからだろう。
 亮の言葉に驚いたような顔をしていた魯粛がふっと柔らかく笑んだ。
「確か、諸葛孔明殿でしたか。」
「いかにも」
「御兄君とはいささか私は付き合いがありまして、臥竜の名も聞き及んでおります。」
 穏やかな笑みをともに、魯粛はそう言った。
「竜ならば万里先の戦況も見通しましょう。
 失礼ながら、あなた様が戦場にて何の献策もしなかったとは到底思えませぬが?」
「それは、そこそこに」
 苦笑しながら亮は魯粛の話のきっかけを待っていた。
 釣りのようなものだ。腹を探りあいながら、相手の真意を引き出す。がっついていれば安いエサにかかってしまうだろう。
 彼の本意が明らかになるまでは、下手な返答はできなかった。
 だがしばらくの談笑のうち、亮の目には魯粛がその微笑の裏でじれているのが読み取れていた。
 そろそろか……と考え始めたころ、
「これから皇叔はどうなさるおつもりでしょうか」
 ようやく魯粛はそう言った。
「皇叔ともあろう方がこのままでは、奸臣曹操めに良いようにやられたということになってしまいますが」
 けんかを売っているような皮肉だ。
 張飛なら魯粛の首をつかんで、乱闘を始めたかもしれない。関羽なら一睨みして威圧したかもしれない。だが劉備にはそのけんかを買うような短気さをみせはしなかった。
「そうですな。」
 柳に棒をふるったように軽く受け流され、魯粛は言葉につまった。
 それに亮が続いて言葉を重ねる。
「蒼悟の太守、呉臣殿と玄徳殿とは以前より交流がありましたね。」
「ああ、ならばそちらに身を寄せようか」
 すこしわざとらしいほど簡単に、劉備が亮の提案に乗ろうとすると、
「それはいけませんっ」
 亮は気付かれない程度の笑みを浮かべた。
「それよりも我が君主、孫権様に……」
 どうやら魯粛は交戦派らしい。
 でなければ劉備がこの戦場からいなくなることを喜びこそすれ、止めはしないだろう。
 次から次へと出てくる言葉に、一つ一つ劉備は頷いては首をかしげ、とポーズはとっていたがあれはただのふりだ。
 劉備は亮の合図を待っている。
「玄徳殿。ここは一つ、孫権殿をお頼りになられてはいかがですか?」
 亮はそう言って、続く魯粛の言葉をさえぎった。
 さほど驚いた様子もなく、劉備が魯粛から亮に視線を移した。
「そう思うか」
「はい。少なくとも魯粛殿のお話では、悪いようには扱われないでしょう。」
「皇叔に頼りにしていただけるのならば、江東の民も喜びましょう!」
 魯粛がはじくような声をあげ、賛同を促した。
 劉備の名声はここでも響き渡っているらしい。皇叔は慈愛深い人柄、という評価は何があっても揺るがぬほどになっていたようだ。
「曹操ごとき、どれほどの兵で攻めてこようが、恐るるに足りませぬ。」
 さて、曹操の現在の兵力を実際に言っても、その強気は続くだろうか。
 亮は魯粛の言葉に皮肉でそう思ったが、口には出さず、代わりに劉備に一度頷いて見せた。劉備も心得たように頷きかえす。
 魯粛がそのような考えであったとしても、孫権はどうか?
 それが何より今重要なことだろう。
 喜色に溢れる魯粛の顔に微笑み、亮は
「それでは曹操の軍容の詳細については私が直接、孫権殿にお話しましょう。」
 そう言った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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