「どうしたの?」
「・・・すいませんお腹痛いので休ませてくれませんか?」
伊咲は保健室に行くといかにも仮病とは思わない演技をして養護教諭に言う。養護教諭はそれを信じ、ベッドに寝ていなさいと言った。靴を脱いでベッドに横たわる。カーテンを閉めてくれてその空間は伊咲だけのものになった。ふと腕に目をやる。掴まれた痛みがまだ残っている。
「・・・痛かったなぁ」
ぼそっと一言つぶやいてみた。伊咲の頭には顔すら見なかったが怒鳴りつけた栄の声がこだましていた。いっそ放っておいてくれればいいのに。伊咲はそう思った。
「・・・あなたもなの?」
「・・・・」
「・・・今ベッド使ってるからねぇ」
「・・・ここにいるだけでいいですから」
数分、いや数十分だろうか伊咲が眠りにつこうかとうとうとしていたとき、カーテンの向こう側から会話がした。一人は養護教諭。もう一人はどうやら男の声だった。そうさっき聞いた声。栄の声。伊咲ははっと起き上がった。
「しょうがないわね。じゃあそこで休んでなさい。あ、熱計ってみたら、はい」
「ありがとうございます」
このカーテンの向こう側に栄がいる。そう思うだけで目が覚めてしまった。ここにいても眠れない。いっそこのベッドを栄に譲って、自分は教室に戻ろう。伊咲はそう思い靴を履いた。そして勢いよくカーテンを開けた。
「あらぁ〜もういいの?」
養護教諭は伊咲の姿を見てそう言う。隣には赤い顔をした栄がソファに座って脇に体温計を入れていた。
「はい。私はもういいんで彼を寝かせてあげてください」
伊咲は養護教諭に礼をして、保健室を出て行こうとした。
「あ、待って。彼、ちょっと高熱みたい」
養護教諭は栄から渡された体温計を見て伊咲を呼び止める。伊咲は恐る恐る振り返るとぐったりした栄の姿が見えた。さっき栄の手が熱いと感じたのは気のせいではなかった。
「悪いんだけどちょっと彼見ててくれる?」
「え?」
「どうするか担任の先生と相談してくるわ。その間だけでいいから」
「・・・俺、帰らないですよ」
「んーちょっと熱が高いからねぇ。ま、話してくるからお願いね」
それだけ言うと教諭は伊咲の返事も聞かず教室へと足を早めた。今、ここには栄と伊咲の2人しかいない。伊咲は苦しそうな栄の隣に座った。
「・・・大丈夫?」
「・・・ん」
「熱あったんだね。さっき手、熱いと思ったんだ」
「・・・まあな」
「・・・なんで無理してきたの?」
「・・・別に」
「・・・そっか。でも今日は帰ったほうがいいよ。もうすぐ先生も来るだろうし。あたし、いなくても大丈夫だよね」
伊咲はそう言って立ち上がる。栄の顔は見ない。すると栄がまた伊咲の腕を掴んだ。
「・・・いてくれよ」
「ど、どうしたの?先生もうすぐ来るよ」
「・・・お前にいてほしいんだよ」
「栄・・・」
伊咲は栄の顔をじっと見た。もう意識も朦朧としていて、目もうつろになっている。それでも腕を掴む力はさっきと変わらない。伊咲はまた栄の隣にゆっくりと座った。その瞬間、栄の頭が伊咲の肩に落ちる。もたれかかっていないと苦しいかのように身を寄せた。
「さ、栄?」
「もう、少しだけ、このままで・・・」
「・・・・わかった」
時計の針がチクタク動くのがわかるくらい二人の空気は静寂に包まれる。伊咲は心臓の音が破裂しそうになっていた。この音を聞かれてはいけない。無理にでも話さなければ。しかしその沈黙を破ったのは栄だった。
「・・・お前、何で俺のこと避けてんの?」
「さ、避けてなんか」
「いや、俺もお前のこと避けてたから」
「え?」
「・・・わかんないけど、お前のこと避けてた」
「そう・・・なんだ」
「・・・お前さ、わけわかんねぇんだよな。朝しか俺に話しかけてこないし、目合ってもなんか気まずいし、それに・・・」
「・・・だってそれは!」
伊咲がそう言いかけたとき保健室の扉に人影が映る。栄はゆっくりと頭を起こし、伊咲はすぐに立ち上がった。そして扉は開かれた。結局、栄は早退することになった。伊咲が教室に戻ると莉子が心配しながら伊咲の元へ駆け寄ってきた。伊咲はさっきの栄の行動にまだ少し動悸を感じていた。それを悟られないようにまた平然を装う。
「大丈夫?心配したんだよ」
「うん。もう平気」
「でも顔が赤いよ」
「え?そ、そう?たぶん熱いからだよ」
「暑い?」
「そう、とても熱いんだ」
伊咲はそうつぶやくとふと窓の外をみた。そろそろ中庭の昼寝もやめにしようと思いながら。窓の外は秋の寒空が広がっていた。
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