移動時間、廊下で2人はまた目を合わせた。しかし、伊咲は話しかけない。栄も少しいらだつが話しかけることはせず数人と伊咲より少し前を歩いた。すると栄の目の前に小動物のようなかわいい女の子が現れた。
「栄!!」
「おう」
「今日の体育マラソンでかなり疲れたよ〜」
「お前汗かきすぎだろ」
「いいでしょ。栄、次移動?」
伊咲の目の前で繰り広げられる栄と女の子との会話。時折見せる栄の笑顔が痛いくらいに切ない。彼女。よく一緒に帰ってるところも見たことがあるし、一つの傘に2人で入る光景も何度も見た。
「ね、莉子早くいこ」
伊咲はその2人を見ているのが辛くて立ち止まって話す栄を避けて移動教室へと足を速めた。
「あの2人ほんとに仲いいよねぇ〜」
「・・・そうだね」
莉子が聞きたくないことを言う。伊咲は耳をふさぎたくて仕方ない思いに駆られるがこの思いを悟られるわけにはいかない。誰にも絶対に話したくない。そう思い苦笑いで相槌を打つ。今日の授業はもう何も耳には届かなかった。
「ずっと一緒にいような」
「うん。ずっと一緒にいようね」
この時間は誰にも邪魔されない。抱き合っていて心地よい風が吹いていて全て忘れさせてくれる。この時間が一番・・・幸せを感じられる。でもまた割れる。そして記憶が消える。忘れさせないでいてと伊咲は思った。
「おはよう」
「・・・おう」
「今日は何かあったっけ?」
「・・・さぁ」
今日の栄はいつもよりもそっけない。そして伊咲を置いて先に教室へと歩き始めた。追いたい。追いかけたい。でも、追いかけることはできない。伊咲は去り行く栄の背中をただ見つめることしかできなかった。
「それでさぁ〜」
「・・・・」
「どうしたの?」
「え?」
「今日暗いよ」
一人教室へとやってきた伊咲。自分の机に着くと斜め後ろを見ると机に伏せて寝ている栄の姿があった。伊咲のもとへやってきた莉子は昨日のテレビの話をするが伊咲の耳には入ってこない。勇気を出してこの時間でも栄に話しかけたい。そう心では思うが実行には移せなかった。
「栄!」
「おう。お前隣のクラスだろうが」
「聞いてよ!見たがってた映画のチケット取れたんだ!!」
「おぉ!!マジで。お前がんばってたもんな」
また彼女が隣のクラスからやってきた。楽しそうにデートの話をしている。栄には彼女がいる。だから好きになってはいけない。そう思ったときにはもう伊咲の恋時計は針を動かしていた。
「あ、もう予鈴だね。じゃぁね」
「おう」
チャイムが鳴ると彼女はクラスに戻って行った。伊咲はなるべく斜め後ろを見ないようにしていた。見ればあふれ出るせつなさを押し殺すことができない。そう思った。
授業が始まった。黒板に書かれたことをノートに書く。授業はもはやその事務作業だった。2人の会話が離れない。彼女の笑顔、栄の笑顔が離れない。伊咲はもうそのことしか考えられなくなっていた。そんなとき何かが落ちる音がした。それは斜め後ろの栄のシャーペンだった。伊咲の近くに落ちた銀色のシャーペン。ためらいつつも伊咲はそれを取り、栄に渡した。
「お、ありがとな」
2人の視線がぶつかる。栄の瞳に吸い込まれそうになるが伊咲は何も言わず前を向いた。栄は深くため息をつき、そのまま授業に没頭した。
「好き・・・だよ」
心の中では何度もつぶやく。でも決して口に出してはいけない。だからきっと神様がこの時間を与えてくれたのかもしれない。ごくわずかな時だけどすごく幸せで気づくといつも覚えていないけれど満たされた時間。シャボン玉のような時間。瞳を閉じると味わうことができる至福の時間に伊咲は身を任せた。
「・・・・」
「こんなとこで寝てると風邪引くぞ」
「・・・・」
「おい!!」
昼休み、伊咲はいつもここに来て夢という幸せな時間に浸る。夢だけが伊咲の恋をかなえてくれる。声にも反応せずに夢の中。それが栄であることにも気づかずにいつもの幸せなシャボン玉の中に包まれている。そして言葉に出していたことも分からなかった。
「・・・好き」
「好きだよ・・・芯悟」
その寝言を聞いた栄は動揺しながらその場を立ち去った。しばらくして伊咲は目覚めた。また何の夢を見ていたのかもわからない。もちろん寝言も覚えていない。これが2人の大きな溝を作る出来事になることも伊咲は分かっていなかった。
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