「好きだよ」
「うん。あたしも大好き」
一瞬で溶ける甘い時間。もちろん覚えていない。ただなんとなく、なんとなくだけど甘い。そして優しい時間。アイスみたいに溶けないでほしいと伊咲は思う。その時間が終わり、現実に引き戻される。いつもの時間に戻される。そして日課が始まる。
「おはよう」
「おう」
「昨日の宿題やった?」
「いや、やってねぇ〜」
学校の下駄箱の一角で交わされる会話。これが伊咲の日課だった。そして日課の相手はかばんを肩に掛けて上靴に履き替える。伊咲も靴を履き替える。そしてそのまま立ち去ろうとした。
「おい」
「え?」
いつもならそのまま伊咲と会話の相手、栄は一言、二言を交わして終わる。同じクラスだが、一緒に教室まで行くこともない。それが今日は栄がめずらしく伊咲を呼び止めた。伊咲は不思議そうに振り返り、栄を見た。
「お前さぁ〜何でいつも言うだけ言って去るの?しかも朝のこの時間しか俺に話しかけないしさ」
「え?そう?」
「そうだよ!ってか今だってそうじゃねぇかよ!!」
少し怒り口調で栄が言う。伊咲は悪びれたそぶりも見せず栄のそばまで数歩歩いた足を戻した。そして栄には見えないように下を向き嬉しそうに微笑みを見せる。それに気づかない栄はふーっと息を吹いた。
「あのなぁ〜普通言い逃げとかするか」
「言い逃げ?」
「言い逃げだろうが!」
「別に言い逃げなんてしてないよ」
あーっと頭をかきむしり栄は苛立ちを見せる。伊咲はそんな栄の姿を見ても動じず、また教室へと足を踏み出した。それに気づき、栄は走って伊咲の腕を掴む。また伊咲は気づかれないように笑みを見せる。そしてまた何もなかったかのように栄のほうに振り向いた。
「お前!言ってるそばから逃げるな!」
「逃げてないよ〜授業始まるよ」
「だったら一言言うとかあるだろ!」
栄が言うのもおかまいなしに伊咲はとことこと教室へと入って行った。栄も仕方なく、教室に入った。2人の会話は今日はこれにて終了。伊咲は決して朝のあの時間以外は栄に話しかけようとはしない。しかし、これにも理由があった。1時間目の授業が始まる。栄と伊咲は席が斜め前の関係である。目が合うことも度々あるが伊咲は話しかけない。栄も元々自分から話すことをしないので2人の会話は伊咲が話しかけないかぎりなかった。
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