指紋も拭いた。手も洗った。 これで大丈夫。そう、今日彼女がここにいたことを知る者はいない。彼女と、男の関係さえ、知る者はいない。大丈夫、バレはしない。
部屋を出るときに、彼女は一度だけ自分を裏切った男を振り返る。 「当然よ。」 彼女はそう毒づく。返事をすることはないけれど。
気晴らしがしたいと、彼女は思う。今日は、気が済むまで金を使おう。
駅前にある、やかましく汚いゲームセンターに彼女は寄ってみる。ゾンビ相手のシューティングゲームをやっているときも、彼女は冷静なまま。
デパートに入って、金の心配をせずに買い物。彼女は、嬉しいと思う。彼女が買っていくのは、今まで買いたくても手を出せなかったもの。
意味もなく電車に乗って、終点に着くと、折り返して意味もなく、もとの駅に戻る。
本屋に行って、以前は自分にレベルが合わないと見下していた文庫を買う。彼女は少しだけ、バカになろうと思う。
空腹を感じ、彼女はレストランに入る。窓際がいい。彼女は店内を見回す。すると彼女の視線は懐かしい顔に向けられる。それは彼女の高校の時の担任。彼女はその懐かしい顔に声をかけようと軽く駆け足をして、すぐにその足を止めた。
頭を、撫でてもらった。どんな嫌がらせを受けても、耐えた自分を。陰口を叩かれても、負けなかった自分を。「お前は強い」と、褒めてもらった。 …今、会える?
彼女は店を飛び出し走り出す。視界がやけにめまぐるしい。 駅近くの公衆トイレに駆け込んで、うつぶせて、胃液も残らないほど吐いて、泣けるだけ泣いた。
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