小さな田舎町で育った私には、物心ついた時からクセになっていることがあった。
町の老人達は私にこう教えた。
―お地蔵さんを見たら、手を合わせるんだよ。きっと良いことがあるから―と。
そう言われ、幼かった私はお地蔵さんを見ると手を合わせるようになった。
何か食べ物を持っていたら、供えた。
だからといって、特に目立った『良いこと』は無かった。
平凡ながらも普通の日々を過ごした。でもまあ普通も一つの幸せだ。
不幸よりはマシだろう。
そんな考えながらも、お地蔵さんに手を合わせることはやめなかった。
身に付いた習性とは恐ろしい。自覚の無いところでしてしまうんだから。
そして十年の歳月が流れた。
私は未だに手を合わせ続けている。
現在高校2年生。高校入学を機に、街中に家族ごと引っ越してきた。
そこは高い建物が森の木のように並び、月の光をかき消すほど人口の光が輝きを放つ。
お地蔵さんの姿は探さないければ見つけられない。
あれほど私にとって日常的なクセも、いつの間にか『たまにやること』の一つになってしまった。
けれどそのことを特にさみしく思わないまま、夏の合宿に参加した。
夏の合宿。山に囲まれた田舎町で、3日間行われることになり、私以外の部員達は口々に文句を言った。
そこは確かに田舎だった。私が以前住んでいた町と良い勝負。
雑木林が辺り一面に広がり、そして2年ぶりにお地蔵さんの姿を見ることができた。
遊び場が一切無いことに部員達が絶望する中、私は表情に出さないながらも、お地蔵さんに会えた喜びで心が満ち足りていた。
1日目。合宿で忙しい中、時間を見つけてはお地蔵さんに会いに行った。
そのお地蔵さんは、山の中にある合宿場へ向かう途中の道の脇にひっそりといた。
こじんまりとしている姿に安堵感を感じた。
どこにでもあるようなお地蔵さん。
けれど何故かそのお地蔵さんの背後には、巨大な岩があった。
大岩を背後に立つお地蔵さんの姿はまるで、岩から私達を守っているように見えた。
2日目。今日は駅前の和菓子屋から買ったお饅頭とペットボトルのお茶を持って、お地蔵さんの所に向かった。
欠けて汚れた湯呑みを山の湧水で洗い、お茶をそそいだ。
そしてお饅頭を供え、しゃがみこんで手を合わせ、目を閉じた。
―この合宿が無事に終わりますように―と。
3日目。部員の一人が言い出した。
―肝だめしをやろう―と。
どうやら商店街に買い物しに行ったさいに、町人からこの町に伝わる話を聞いたらしい。
その内容は、怪談めいていた。
話を聞いた部員達の大半は怖がりながらも興味を持ったようだった。
しかし私を含め、少数の部員達は難色を示した。
理由は本気で怖がったり、言い伝えを軽く見るなとの真面目な意見。
顧問は苦笑いしながら、行方を見ていた。
結局、肝だめし派と私の留守番派に分かれることになった。
肝だめし派は大半の部員を連れ、今夜の相談に入った。
少数ながらも私の意見が通ったのは、副部長という立場のおかげだろう。
しかも肝だめしを言い出したのは部長の親友。
本当に肝だめしを楽しみにしているのか、謎だ。
しかし留守番派の中には肝だめし派の部員達を、本気で気付かっている人もいた。
さんざん言っても止めないのだから、ほおっておけと言う意見もあった。
なので私は一つの提案を出した。
―花火をしよう―と。
花火は昔から、人成らざるものの心を慰める為に行われることもある。
だから商店街でたくさんの花火を買ってやろうと。
―町の言い伝えはこんな話―。
昔、そこの地方では有名な武将がいた。
しかし戦に敗れ、この土地にたどり着いた。
数人の部下を連れただけの武将は、なけなしの財産を町人に与え、ここにかくまうように頼んだ。
町人はそれを承諾した。
しかし武将の首を狙う敵の大将の部下が、町に来た。
そしてこう言った。
―敵の首を差し出せば、主から褒美が出よう―と。
その夜。町人達は武将達に酒をふるまった。酔っている隙に武器を盗み、隠した。
そして酔いつぶれたところを襲い、武将の首を取った。
部下達もみな殺され、首を切られながら武将は叫んだ。
―鬼にも勝る非情な行為! 首が無くとも恨みは消えぬ!―と。
そうして町人達は褒美を得た。
しかしそれと引き替えにかった恨みは重く、広く町人達に襲いかかった。
首を無くした死体が夜な夜な町の中を徘徊し、疫病を撒き散らし、恐怖を与えた。
そして大勢の町人が苦しんだ。だから決めた。
町の守り神である大岩を動かし、死体を潰そうと。
そしてそれは成功した。
町人は大岩の前に、新たな守り神としてお地蔵さんを建てた。
罪を許してもらう為に。
効果は今でも続いていると言う。
肝だめし派が今夜のことを相談している時、私達は商店街に行った。
花火はあまり派手なものは無かったが、親切な店の人が安くしてくれた。
私達は自分達のおこづかいを出し合って、たくさん買った。
宿泊場は帰っても、肝だめし派とはギクシャクしたまま。
しかも遅くなるとのことで、部屋割りまで派閥ごとに分かれてしまった。
仕方なく受け入れ、夜はしぶしぶ送り出した。
そして花火をはじめた。思いの他楽しく、みんな楽しんだ。
そんな中、留守番派となった顧問が私に話しかけてきた。
内容は肝だめしのことだった。
外灯がない道を懐中電灯を持った二人組が歩く。
そして例のお地蔵さんと大岩の周りを一周して帰る。
まあここまでなら普通の肝だめしだ。
しかし続きに顧問は難しい顔をした。
お地蔵さんの所まで行った証拠に、大岩にキズを付けると言う。
しかも自分達のイニシャルを。
それを聞いた私を含める留守番派は激怒したが、肝だめし派は反対する部員がいなかったと言う。
私達は呆れ、もう心配することをやめ、純粋に花火を楽しむことにした。
そしてしばらくして戻ってきた肝だめし派は、私達だけで花火を楽しんだことに腹を立て、2派は文字通りに分かれた。
夜、私は留守番派の女の子二人と川の字になって眠ることになった。
布団を敷いている間中、一人は渋い顔で肝だめし派の愚痴を、一人は泣きそうな顔で心配ごとを口にしていた。
結局は私が花火の話題を持ち出すと、2人は揃って笑顔になった。
供養代わりの花火をしたのだから、少なくとも留守番派は大丈夫だと言うと、二人は固まったが。
やがて眠気に襲われ、私達は眠りについた。
しかし深夜になり、妙な声が聞こえ、3人とも目を覚ましてしまった。
その声は障子戸の向こうから聞こえる。
うめき声にも似た声に、私達は身を固くした。
きっと肝だめし派の連中が、今頃怖い夢でも見ているのだろうと一人の女の子は言った。
しかし声は近づいてくる。確実に、こちらへ―。
廊下には豆電球のわずかながらの光が見える。
そして―私達は見てしまった。
豆電球の光の下、首の無い甲冑を着た身体が数体、うめきながら歩くのを―。
あまりの異様さに、私達は言葉を無くし、息さえできなかった。
影ながらも分かる、暗く重い気配。
誰かがイタズラしているわけじゃない。
こんなこと、誰もできない。
そして、歩みは私達の部屋の前で止まった。
私達は瞬き一つできず、身動きもできない。
首の無い武者達は、障子戸一枚向こうにいる。
こちらを伺っている様子。
やがて一人の武者の手が上がり、戸に手をかけた。
思わず叫び出しそうになったその時―。
障子戸に新たな影が映った。
その影は小さく、まるで子供のようだった。
武者達の動きが止まった。
小さな影に意識を向けている。
―やがて、武者達は向きを変え、廊下を再び歩き出した。
武者達の影が見えなくなると、二人は気絶した。
私は震えながらも再び障子戸に視線を向けた。
廊下は静かで、影も形も無くなっていた。
そして次の日。とんでもない事態になってしまった。
肝だめし派の部員達、全員が高熱で倒れた。
本来なら今日帰るはずだったが、肝だめし派は救急車で病院に行くことになった。
残った留守番派の私達も無事だとは言えなかった。
何故なら、全員が武者達の姿を見たからだ。
いや、ただしくは私と、私と同室だった二人は影しか見なかった。
しかし他の部員達は話によれば、武者達は部屋の中までやってきたらしい。
だが部員達の顔を見て、すぐに出て行った。
きっと違うことに気付いたんだろう。
私達は肝だめしに行かなかった。
しかし充分過ぎほどの恐怖を体験した。
顧問は病院に行き、私達は副顧問が来るまで、病院に行った部員達の荷物を片付けていた。
みな暗い面持ちで、病院に行った部員達への恨みごとを呟いていた。
帰っても、この部活は以前のようには戻らないだろう。
荷物を玄関前に置き、副顧問を待っている時間、私はお地蔵さんに別れを告げに来た。
宿泊場から借りたバケツに水とスポンジを入れ、ミネラルウォーターのペットボトルと饅頭をバックに入れて行った。
お地蔵さんの裏に回り、大岩のところに来た。
昼間でも雑木林の中は薄暗く、大岩の存在を不気味にしていた。
ここに昨夜の武者達が眠っているのか。
ふと視線をそらすと、そこには刻まれたばかりのキズ跡が…。
私は無言で、スポンジで擦りはじめた。
これで全て消えるとは思えないけれど、時間の許す限り拭いた。
心の中でたくさん謝りながら。
やがて副顧問から電話がきて、私は作業をやめた。
…やっぱりキレイは消えない。
薄くはなったけど、触れば感触がある。
ため息がでてしまう。
最後にお地蔵さんに新しい水とお饅頭を供えた。
精一杯謝罪をこめて、手を合わせた。
―熱心だね―
そう言われ、私は顔を上げ、立ち上がった。
私の背後に、一人のお爺さんがにこにこしながら立っていた。
声をかけられるのは珍しいことじゃない。
私みたいな若い女の子が拝んでいれば、町の老人達はよく声をかけてくる。
私は簡潔に昨夜のことを話した。
ここで肝だめしをした後、首の無い武者達が合宿場を徘徊したこと、けれど何故か私達の部屋には入って来なかったこと―それはあの小柄な影のおかげかもしれない、ということ。
不届き者だと怒られることを覚悟したが、お爺さんはにこにこしていた。
―それはきっとお地蔵さんが守ってくれたんだよ―
そう言われてハッとした。
あの影は今私の後ろにいるお地蔵さんの形だ。
でも何故…?
顔を上げた時、お爺さんの姿は消えていた。
代わりに声が降ってきた。
―だって君は望んだ。『無事』であることを―
私は後ろを振り返った。
お地蔵さんはにっこり微笑んだ。
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