下総中山清は、迷っていた。 幼馴染、紺野めぐみへ右手の奇病を告白するか否か、についてだ。 (「打ち明けたら、めぐみはおびえたような顔をするだろう……」) それを考えると、清はとても怖かった。 授業中も、診察中も、そして今、入浴中も、そればかりを考え、堂々巡りを繰り返す。 小安井 圭という、同じ病気を持つ仲間は出来たが、それとこれとは全くの別問題だった。 その思いと共に、清にとってめぐみという存在の大切さを再認識するのだ。 治らない病。どうせ遅かれ早かればれるなら、自分から告白した方が良いようにも思える。 だが、清は自分で組み立てたその理由に納得しきれていなかった。後ろ向きな理由に思え、前向きの理由を求めた。 ひたすらに考える。天井についた湯気が露となり、湯船に落ちる音だけが響く。 「なぜ、俺はめぐみに嫌われるのが……これほど怖いんだろう?」 口に出して、反芻する清。幼馴染だからか、好きだからか……そして、ひとつの答えが頭の中に浮かんだ。 「……そっか、そういう事なんだ」 清は、湿気防止の為にビニール袋で包まれた右手を、強く握った。 鉱石化の進んだ指は、しっかりと握る事が出来なかった。
一方、紺野めぐみは苛立っていた。 清が自分以外の女を話題に出すからだ。 (「なによその圭ってのは! 圭があやとり好きだからっていきなり練習しだすし」) 授業中、高速でペン回しをしながら苛立つめぐみ。 清はいきなりあやとりを始めていた、包帯の取れない右手を駆使しながら。 (「それに、あの右手の怪我について、全然教えてくれないし! 火傷のくせに、あやとりは出来るなんておかしいじゃないの」) めぐみは、最初から清の隠し事に気付いていた。だが、自分からは決してそれを聞き出そうとはしない。 清が自分から話してくれるのを待っていた。聞いたらなんとなく、負けだと思っていたのだ。 そればかりを考えていると、思考が鈍る。回していたペンが宙に飛んでいくのも気付かなかった。
「メグ、大丈夫?」 午前の授業が終わり、机につっぷしたままのめぐみに一人の女子が近づいてくる。 「あ、美咲」 美咲と呼ばれた少女は、女子にしてはかなりの長身でスレンダーな体型をしていた。 「授業中、明らかに様子おかしかったよ。なんか悩み事?」 心配そうにめぐみの顔を覗き込んでくる美咲。鼻筋の通った、端正な顔立ちだ。 「いや、そういうワケじゃないんだけどね〜。清の態度がちょっとね〜」 接近にどきりとして、めぐみは顔を後ろに逸らしながら、横にふる。 一方、美咲はめぐみの口からでた『清』という単語を聞き、したり顔で頷いてみせた。 「なーんだ、そういうワケじゃないの。幼馴染の清ちゃんは、本当に罪作りな男だねぇ。痴話ゲンカか」 清絡みの悩みだとわかり安心したのか、はすっぱの口調でにやけてみせる美咲。口元から覗く八重歯が、似合わなかった。 「むー、なんかその態度は気に食わないけど……罪作りってのには同意」 大きく溜息をつくめぐみ。美咲はめぐみの背中をバンバンと叩く。 「ま、そんなにくよくよしない! なんかあったら素直に聞く事も必要だよ。溜息付いた分だけ幸せ逃げてくんだから! それに―――」 美咲は顔を廊下へと向ける。 「しっかり捕まえてくれてんじゃないのさ、ほら」 「ういーっす」 包帯の巻かれた右手を上げているのは、清だった。 「……なんか用?」 照れ隠しにぷい、とそっぽを向くめぐみ。 「用って、お前が昼飯一緒に食おうって言ったんじゃねーか。邪魔なら帰るぞ」 背を向ける清をみて、めぐみは席を立つ。椅子が床と擦れて、派手な音を立てた。 「あーもう、わかったわよ! んじゃ食べに行きましょ!」 めぐみは振り向き、美咲へ「ありがと」と言い残す。そして清と共に廊下を曲がって消えていく。 「やれやれ……素直じゃないのはお互い様なんよねぇ」 美咲は腕を組んだまま、人々が通り過ぎる廊下をただ眺めていた。
「いやー、良い天気だなー。弁当日和だ」 鉄製の扉を開けると、二人は校舎の屋上へと出た。 心地よい風が、残暑の熱気を体から奪い去っていく。 屋上から見える色の割合は、山の緑と住宅街の灰色がそれぞれ半々だ。大きな市役所だけが、目立って見えた。 「なんか親父臭いよ、清」 ドアを閉めながら、苦笑するめぐみ。清はめぐみの注意を気にも留めず、フェンスに寄りかかるようにして地べたへと座り込む。 「そりゃいいや、俺も親父にちょっと近づいたかね」 清の父は電気工だ。電柱や変電施設の補修・工事など、主に高所で活躍している。 恐れも無く高所で作業をこなす、そんな父親を清は尊敬していた。 鼻歌交じりで弁当を膝の上に広げる。 めぐみもそんな清に倣うように、ちょこんと隣に座った。 カバンから清のものより一回り小さい弁当箱を取り出す。 清は白米を主体とした弁当で、めぐみはサンドイッチだった。 「お前、日本人なら米食えよ」 「なんでそんなコトまでいちいち指図されなきゃいけないのよ」 軽口を言い合いながら、昼食をつつく二人。二人を良く知らない者が見れば、やもすると険悪な雰囲気に映るかもしれない。 だが、すぐに気付くはずだ。このやりとりが二人の日々の積み重ねの上に成り立っている、会話のキャッチボールだという事を。 「なんかこう、玉子焼きとかミートボールとかも入れてこいよ」 「どうせ、これもーらい、とか言いたいだけなんでしょ」 「うむ、正解だ」 「……じゃあ今度持ってくる。けど、代わりに清はキャビアとトリュフと……えー、あとひとつなんだっけ」 しばらく話しているうちに、話題が止まった。もそもそと続けられる食事。 不意に、口を開いた。 「「あのさ」」 思わぬハモリに顔を見合わせる二人。 「な、なによ」 「お前から言えよ、レディーファーストだろ」 お互いに先を譲り合う。結局、清から口に出した。 「最近、ごめんな」 それは謝罪の言葉だった。 「……なにがよ」 屋上の風景を見つめるめぐみの瞳は揺れていた。 「ほら、病院で女の子と仲良くなったとか……お前にとっちゃ、面白くない話題だとは思うんだけどさ」 清はめぐみのやきもち焼きな性格を知っていた。そして、お互いがお互いをどう思っているかを。 「べ、別に私達、付き合ってる訳じゃないし……で、でも、ありがと」 めぐみの頬が真っ赤に染まる。付き合っていないのなら、なんで礼を言う必要があるのか。自分の素直な気持ちを曝け出す事が、とてつもなく恥ずかしい事に思えた。 「うん……あのさ。俺、お前だけなんだよ」 驚いたように清に顔を向けるめぐみ。清は、空を見上げていた。 「日々、生きていてあった事とかを報告できるのはさ。誰かの悪口とか、愚痴とかを嫌われる心配なく言える。そういうのが出来るの、よく考えたらお前しかいなかった」 何を言っても、めぐみは文句を言いつつも、全てを受け止めてくれた。そう清は言う。 清にとって、心を許せる、ありのままの自分を見せられる人間はめぐみしかいなかったのだ。 「……………ふぅ、よく考える前にわかりなさいな」 心から嬉しそうに、めぐみは笑っていた。 「私だって、色々言えるのは清と美咲くらいなんだから」 「ははは、すまん……」 所在無さげに頭を掻く清。そこから、めぐみは真剣な顔になる。そして、清を真っ向から見据えた。 「許してあげる。だから……今度は私の番ね」 めぐみの頭に美咲の言葉がリフレインする。 『なんかあったら素直に聞く事も必要だよ』 「その右手……」 包帯の巻かれた清の右手。清とめぐみの視線が、その右手に集中する。 「ああ、俺もちょうど今、言おうと思ってたんだ」 清はめぐみに自らの奇病について、告白する決心がついていた。 全てを打ち明けられるのはめぐみしかいない、もし打ち明けた事が原因で疎遠になってしまったとしても、それはそれでしょうがないと思えた。 包帯を解く衣擦れの音。 「これが今の、俺の右手だ」 右手、五指の第一関節までが青緑色に変色している。 一度は決心したとはいえ、それでもやはり反応が怖くて清は目を瞑った。 「えっと……膿んでるの? 大丈夫?」 心配そうな顔をして、近寄ってくるめぐみ。 その対応だけで、清は救われたような気がした。 「わりと大丈夫じゃないな。ジェム・シリカ病っていうんだけど……俺の右手、鉱物になってるらしい」 明らかに疑問符を浮かべるめぐみに、清は一から説明してやった。 朝起きたら、突然右手が珪孔雀石に変質しはじめていたこと。 この病気は現在、治療法が見つかっていないこと。 圭という少女は初めてジェム・シリカ病を確認した少女で、自分は2例目だということ。 「そうなんだ……」 めぐみはなんとか全てを理解しようとするが、突きつけられる膨大な量の事実が、ところてんのように頭の隅からこぼれていく。 ただ、打ち明けてくれた清をいとおしいと思った。 「ねえ、指、触っても良い?」 「……ああ」 めぐみは清の人差し指を、手のひらで包むようにして握る。 暖かい、血の通った感触は第一関節までで、第一関節から爪先はひんやりとしていた。 「ねえ」 甘えたような声をだすめぐみ。清は続きを促す。 「綺麗よね、この指」 「ああ、なんだか先生の話によると、硬かったら宝石にもなるみたいだからな」 「もしさ、病気が治らなかったら、どうするの?」 めぐみの問いに、清は恭介とのやりとりを思い出す。 「えーと、最悪右肩まで鉱石化か続いたら、切断するって話だ」 鉱石化が止められないのなら、切り離せば良い。増殖する癌細胞を切り離すのと、同じ考えではある。 「そっか、右腕無くなっちゃったら……野球できないね。私、野球してる清、嫌いじゃないんだけどな」 手首から二の腕、肩へと自らの手を動かしていくめぐみ。そしてそっと寄りかかる。 「そしたら左投げに転向するさ。片腕でも野球をする奴、いるんだからな」 清は、いつかテレビでみた隻腕のピッチャーを思い出す。彼は切断した肘と口を使って、投球後に素早くグローブを腕にはめてみせていた。 「そなんだ……もし、片腕無くなっても、安心してね。私が、清の右腕になってあげるから。ずーっと右腕になってあげるから」 清の心臓が跳ね上がった。自らによりかかるめぐみに、高鳴る心臓の鼓動が聴かれやしないか、それだけが心配だった。照れ隠しにおどけてみせる。 「う、うっわー、プロポーズされちまったよ。モテる男はつらいねぇ……」 「ばっ……そ、そんなじゃないわよ! 幼馴染だから仕方なくボランティアすんのよ」 赤面するめぐみ。だが、清によりかかったままだったし、その声には力もなかった。 午後の授業開始を告げるチャイム。 二人は満たされた時間の余韻にもう少し浸りたかったので、そのチャイムを聴こえないふりをした。
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