通院しだしてから何度目かの夕暮れ。 9月ともなれば日が落ちるのも早くなってくる。 綿総合病院の白に塗られた壁に、夕焼けが照り返す。 夕日が差し込む診察室に、回転椅子に座った清と恭介の姿があった。 「んー、昨日より1ミリ病状が進行しているね」 恭介は目盛りの細かい物差しをしまい、メモをつける。 包帯の封印から解かれた清の指先は、青緑色から青紫色へと奇妙なグラデーションを見せていた。 「えーと、それは経過は順調なんですか?」 困惑したような清の問いに、肩を竦める恭介。 「早くも無く、遅くも無く。順調に進行中ってとこだね」 1日1ミリのペースは変わらない。どのような薬品を投与したところで、ペースは遅くも早くもならないのだ。 「今週はこの薬を飲んでみて……すまないね、実験体みたいで」 「いえ……」 謝る恭介に恐縮する清だが、すぐにある事実に思い当たる。 「というか、実験体そのものじゃないですか」 「―――あ、そうか」 気まずそうに頭を掻く恭介が面白くて、清は声を上げて笑った。 「そ、そんなに笑わないでくれよ。こっちだって本当に悪いと思ってるんだ」 「あははは………いやいや、気を使わないでくださいよ」 手を顔の前で左右に振る。 その仕草を、恭介は細目で微笑みながら見ていた。 「ふぅ、やはり……君は強いな」 ボサボサの頭へ両手をやり、掻きあげる。 「初めて会った時にも思ったが、君なら本当に奇病に打ち勝てるかもしれない」 「大丈夫ですって、カキーンと打ち飛ばしてやります―――」 バットのスイングを真似した清を、唐突に恭介の声が遮った。 「君と似たような事を言って、駄目だった子がいる」 「……え?」 恭介は前傾姿勢になり、上目がちに清の瞳を覗き込む。 「あの子は強い子だった。必ずジェム・シリカ病に打ち勝つと誓った」 「ちょっと……何の話をしてるんですか?」 情報の整理が追いつかず、困惑する清。 「だが発病から2ヶ月。あの子は勝つ気を失い、表情を失い、生気を失い、そして……」 前傾姿勢のまま、自らの両の手を組む恭介。 「声を失った」 「……………」 清は黙っていた。話すべき言葉を、語彙を持っていなかった。 「初めて僕と君が出会った時、病気は右手首から先に進行する事は『今のところ』ありませんと言ったの、覚えているかい?」 今のところ、という部分を強調する恭介。清は、その意味を瞬時に悟る。 「そのうち進行するかもしれない、って事ですか?」 「ああ、君よりも先にジェム・シリカ病になった子が、右手首までしか進行していないからだ」 そこで恭介は清へ向かって頭を下げる。 「あの場では、君と君のお母さんを少しでも安心させる為に、曖昧な事を言ってしまった。本当にすまなかった」 頭を下げたままで動かない恭介。清は口を開く。 「顔を上げてくださいよ。先生がそういうんなら、きっと適切な判断だったんでしょう」 清は患者であり、年少である自分へ真摯に謝る恭介を好意的に感じていた。 「それより、さっきの話の続きを教えてくださいよ。俺よりも先にジェム・シリカ病になったって子の事を」 先を促す清に、恭介はようやく頭を上げる。 白衣の襟を正し、頷いた。 「あ、ああ……その子の名は小安井 圭、15歳。もしかしたら君が今後辿る事になるかもしれない道を歩んでいる子だ。今は105号室に入院している」 「15歳……」 自分と同い年の子供が、自分よりも先に同じ病気に掛かっていて、しかもこの病院に入院している。 その事実だけが、清の頭の中をグルグルと回っていた。 「今日、圭ちゃんの話をしたのは他でもない。彼女は言葉を話せないが、君の事を話したら君に会いたがったんだ」 「そりゃあ、俺も会いたいですよ。同じ病気に掛かっている女の子がいるって事は、力になりますから」 「あ、ああ……そうだな」 むしろ早く話しておいてくれとでも言いたげな清に対して、恭介の口調はどこか歯切れが悪かった。 「今日の診察は終了だ、よかったらこの後にでも彼女を見舞ってやってくれないか」 「ええ、そうします! ありがとうございました!!」 清は置いてあった薬の袋を奪うように手に取ると、そそくさと診察室を出て行こうとする。 「ちょっ、包帯包帯!」 慌てて恭介が包帯を巻く仕草をしながら呼び止める。 「っと、忘れてた。スイマセン」 苦笑いを浮かべながら、清は包帯を右手に巻いて消えていった。 騒がしかった診察室に静寂が訪れる。 「………ふぅ」 回転椅子に腰掛けなおして、恭介は深く溜息をつく。 「私は、医者じゃなくても、詐欺師になれたかも知れんな……」 恭介は重心を後ろに預け、椅子を回転させる。 窓とその奥の景色が視界に入ってくる。 夕焼けが、目に痛いと思った。
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