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ジェム・シリカの指先 作者:フラボノ

第2回   鉱化する病
「これは……」
『綿総合病院』の院長、綿(わた)恭介は差し出された清の右腕を見て、目を剥いた。
「先生、わかるんですか?」
 椅子に座った清の横、立っている清の母親が口を開く。

 高校を休み、清は母親と共に新横山市内最大の総合病院へと向かった。
 新横山市は東京の郊外の市だ。東京より、千葉といっても良いかもしれない。
 人口もそれなり、緑もそれなり、施設もそれなりという土地柄だ。

「ええ、わかりますよ。僕はこの病気をとても良く知っています」
 恭介はボサボサの頭を掻きながら、人好きのする笑みを浮かべる。
 若くして市内最大の総合病院、しかもその院長になった男は、貧相な風体をしていた。
 皺だらけの白衣に無精ヒゲ、眠たそうな目に医者の不養生とも思える痩せた体躯。
 医者というより、徹夜明けの研究者といった格好だった。
「ジェム・シリカ」
 恭介の良く通る声が、診察室に響く。
「え?」
 聞き返す清と母親。
「ジェム・シリカ。宝石の名前です。綺麗な名前でしょう?」
 はあ、としか返事ができない二人。いったいこの医師は何を言い出したのだろうという疑念が、二人の脳裏によぎった。
「お宅のお子さん、指先がこの宝石になってます」
「「!!」」
 絶句する二人をよそにカルテにさらさらとペンを走らせる恭介。
 普通カルテに書き込む時はドイツ語を使う。患者がカルテに書かれた文章を読み取って余計な心配をさせない為だ。
 だが、清と母親はそこに書いてある文字を読み取ることができた。それはドイツ語でもないし、英語でもなかったのだ。

『Cu2H2Si2O5(OH)4・nH2O』

「化学式……?」
 清の呟きに、大きく頷く恭介。むしろ二人に見せるために書いたとでも言わんばかりだ。
「ええ、これが今、君の右手指先を構成している物質の化学式だ。英語でクリソコラ、日本語では珪孔雀石と言う鉱石だよ」
「けい、くじゃくいし……」
 目をしばたかせ、反芻するように呟く清。あまりにも異常な事態に脳がついてこれない。
「孔雀石は世界でもとても馴染み深い鉱石なんだ。硬いものは宝石『ジェム・シリカ』として加工され、柔らかいものは岩絵の具や笙(しょう)と呼ばれる雅楽の楽器なんかに利用される。中国では薬草と一緒に煎じて飲まれたし、幼児を災いから守るという逸話もある。ああ、あとクレオパトラが粉末をアイシャドーとして使っていたとも言われてるんだ」
「これが……」
 清が指先をこねると、削れた指から粉末が生じる。恭介は慌てて、指をこねるのを止めさせた。
「自らの身を削るのは、止めた方が良い」
「やっぱり、そうなんですか」
 清の言葉に、深く頷く恭介。母親だけが置いていかれて、疑問を顔に出している。
「お母さん、清君。今更言うまでもないですが、この病気は奇病です」
 呼吸を整え、説明を始める恭介。清と母親は息を呑む。
「この鉱石化は徐々に進行し、数ヶ月かけて右手首にまで侵食します。そこから先へ侵食する事は今のところありません。この珪孔雀石は崩れやすい、右手首は指先から削れ、風化し、やがて消失してしまうと思われます」
 右手消失の宣告で目の前が真っ暗になった母親の横、病気の本人である清は思ったよりは冷静だった。
 自分の推測が当たってしまったショックはあるものの、それ以上に言い回しに気になる箇所があったからだ。
「今のところ? 思われます……?」
「うん、症例数が少ないから今のところ、最終的にどうなってしまうのかはわからないんだ。潜伏期間を置いて全身が珪孔雀石になってしまうかもしれないし、ならないかもしれない。ウイルスが原因なのか、先天的な遺伝なものなんか、それすらもわかっていない」
 だって君で2例目だからね、という言葉を恭介は飲み込んだ。ぬか喜びさせる必要もないが、下手に心配させる必要もない。
「じゃあ」
 清は息を切って、次の句を継いだ。
「大丈夫かもしれないんですね」
 その言葉に、恭介は衝撃を受けた。
 つまりは、不治の病だという宣告にも近いというのに、この少年は希望のある言葉を口にした。
 自分ならばその言葉を口にする事はできるだろうか、なんと生命力が強い少年なのだろう、そう思った。
 改めて清を眺める恭介。中背だが、スポーツをしていたのか体は引き締まっている。
 耳が隠れる程度の茶髪。やや顎が細く、目は大きい。わりと標準な、今時の高校生だ。
 その瞳に宿る希望の輝きを除けば。
「君なら、この奇病に打ち勝てるかもしれない」
 さも当然だとばかりに、清は頷いて見せた。
「当たり前ですよ、いきなり朝起きたら体が宝石になってたって、そんな理不尽な事がありますか。打ち勝ってみせますよ、こんな病気」
 この芯の強さはなんなのだろう、恭介は清に頼もしさすら感じていた。
「原因も、治療法も、病状もわからないのに、君は……。それじゃ、病状を観察する為にも、しばらく入院を―――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 別にこの病気、伝染ったりしないんだろ?」
 一転して取り乱す清。恭介はいぶかしみながらも、今のところはと頷いてみせた。
「それじゃ毎日通院するからさ、入院は勘弁してよ。俺は学校行きたいんだ」
「「えっ?」」
 そう口に出したのは、恭介と清の母親だった。
 恭介は思う。見る限り清は頭が良さそうな顔をしていない、それに清の母親も驚いている。母親から見ても学校好きには見えなかったのだろう。
「部活動に出たいとか?」
「いや、部活はどこも入ってないけど……」
 清は顎に右手を添えようとして、慌てて手を引っ込める。
「俺は学校大好きっ子なんだ。頼むよ! この通り!」
 左手だけで拝む仕草を見せる清。
「……はぁ、患者の機嫌を損ねたら、治るものも治らないからね。良いかい、くれぐれも激しい運動とかはしないように。指が取れても知らないよ」
 ため息をついて降参する恭介。清はパッと顔を輝かせた。
「ひゃっほう、話がわかるね兄ちゃん! 兄ちゃんそのうち院長になれるよ」
「もう院長だよ、僕は……」
 調子の良い清に、恭介と清の母親は思わず頭を抱えるのだった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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