「ん……? なんだぁ?」 男部屋、ベッドの上でごろごろしていた清は、隣の部屋が騒がしい事に気付く。 壁越しに聞こえてくるのは言い争うような怒声と、激しい物音だ。 「……とにかく、尋常じゃなさそうだ」 医学誌を読んでいた恭介も、その物音に気付いた。 気になったのは言い争うような怒声。恭介と清にとって、圭は話す事ができないはずなのに、言い争うなんて事はありえないはずだ。 あるいはめぐみが診察にきたナースとなにかトラブルがあったのか、それとも――― 「圭君が異常行動をとっているせいで、めぐみ君が悲鳴を上げているのかも知れない」 その言葉を聞き終わる前には、清はベッドから跳ね起きていた。 「どっちにしても様子を見てくるよ、俺」 「待ってくれ、私も行こう」 ドアを開け、廊下に出る清と恭介。争う声は更に大きくなった。声の数は3人。 「いったい何が……」 疑問に思いつつも、清は乱暴にドアノブを捻り、押し開ける。 そこでは、圭が左手で果物ナイフを持ち、振り回していた。壁際、脅えた顔でへたりこんでいるめぐみ。 めぐみの服は所々が切り裂かれ、赤い染みを作っていた。 「清! 圭を止めて!!」 アレクの声が室内に響くが、状況が飲み込めない清は一歩も動けなかった。 「清君、取り押さえるぞ!!」 恭介の言葉に、清は意識を取り戻した。目の前でめぐみが襲われている、それだけわかれば充分だった。 「うお、おおおっ!!!」 「ひいッ!」 突進する清と闇雲にナイフを振り回す圭。体当たりし、二人でひとつの塊になったように壁にぶち当たる。 「邪魔、邪魔をしないでッッ!!」 振り払うように放たれた一撃を、清は右手で受けた。 珪孔雀石の右指に掴まれるナイフ。 「はじめてこいつが役にたったぜ!!」 そのままナイフの刃を握りこむ。硬度の低い珪孔雀石だ、指の先端はゴリゴリと削れていく。 「この野郎、よくもめぐみをっ!」 左手で圭の顔を張る。よろめきながら、圭はふと思う。 (「ああ、この人は―――やっぱり、ピンチの時に助けにきてくれるんだ。それは、私だったからじゃ、ない」) 元々握力も弱い圭の左手、さらに力が緩んだところを恭介も加勢し、圭の握っていたナイフを奪い取る。 「よしっ……めぐみ、もう大丈夫だ! 綿先生の後ろへ隠れとけ!」 清の声に力を取り戻したのか、めぐみはよろよろと起き上がり、恭介の背中へと隠れた。 「圭……お前、どういうつもりだ……」 語気を孕む清の口調。自分を怒りの表情でしかみない清に、圭は絶望した。 「私は……」 喋れもしないはずの圭が喋っている事など、もはや誰も気には留めなかった。きっと、それは正しい事だったのだろう。圭が何かを清に伝えねばいけなかったのだから。 「私は男だけれど」 壁にもたれかかる圭。うなづく清。 「貴方が好き、です」 もう一度、清はうなづいた。 「だから、私を嫌わないで。虫が良いのも、許されないのもわかってる。でも、嫌わないで、お願い……」 清は、はっきりといった。 「俺は、こういう事をする圭は。嫌いだ」 「……くっ、えうっ……」 自然と、圭の瞳から涙が溢れてきた。 「でもな、良く言った。その根性は好きだ」 清は軽く圭の頭を撫でてやる。柔らかい黒髪を、清の右手は完全に感じる事はできなかった。 「あと、辛い副作用に耐えたところと、笑顔とか、そういうところも好きだ」 矢継ぎ早に、圭の好きなところをあげていく清。 「そういう虫の良い所とかも好きだ。でもな、そーゆーの全部ひっくるめて、俺はめぐみが一番好きだ」 「清……!」 上ずっためぐみの声。清は、振り返りもせず片手をあげてみせた。 「めぐみ、お前もなんか圭を傷つけるような事を言ったんだろ。いい加減にそういうとこ治せよ、愛想つかしちまうぞ?」 「う、うん!!」 「そっか……やっぱり、駄目だったね……」 アレクの悲しげな声。 「圭……」 「ううん、前の私だったらきっとこの答えすら聞けなかった。いや、もっと前の私だったら、聞けてたんだろうな……元に戻っただけ、かな」 圭は微笑みながら、壁へ向き直った。 巻かれた包帯を取る。露になる青緑色の右手。おもむろに、壁に指をなぞっていく。 珪孔雀石ははがれ、病室の壁にこびりつく。 その壁に書かれた文字を、清は読み上げる。 「ありがとう……」 「うん、清君。そこにいてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう、生まれていてくれて、ありがとう」 ふっと笑う圭。その頬に、また一筋の涙が伝う。 「それじゃ、呪い、解くね」 「えっ?」 その言葉の意味を理解できたのは、動けないアレクだけだった。
『君が死んだら呪いが解けるんだよ』
脳内でリフレインされる自分の発言。アレクは、自分の発言の愚かしさを悔いた。 「誰か! 圭を、圭を止めるんだ!!」 アレクの叫びが木霊するなか、圭はベッドに飛び乗ると、そのまま窓ガラスを突き破り――― 激しい破砕音。続いてなにかが潰れる音。 慌てて窓辺に駆け寄る一同。 「うっ………」 4階から飛び降りた圭。コンクリートの地面に頭から打ち付けられ、血が飛び散っている。 恭介でなくても、即死だとわかった。 「圭、ケエエエェェーーーーイッ!!!」 アレクの絶叫だけが、病室に木霊していた。
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