清が屋内に戻ると、階段を降りるのに四苦八苦している圭の姿があった。 右腕が使えない下り階段は、思ったより体に負担をかけるものだ。 回り込んで清が言う。 「肩、貸すよ」 圭は力なく頷き、体を預けた。軽い圭の体重を肩に受けながら、清は慎重に階段を降りていく。 足を踏み外さないように、圭の体調に気を使いながら、亀のように一歩一歩足を進めた。 何分もかけて、二人は病院の1階に辿りつく。 「ふぅ……ようやくゴールだ」 「……………」 背伸びした圭が、無表情のまま清の頭を撫でる。 感謝の意を表しているようだ。子供扱いに苦笑する清。 「こりゃまたありがたいことで、お姫様」 軽口を叩いたその時、病院に似つかわしくない騒音が清の耳に飛び込んできた。 それは駆ける靴音だった。靴音は二人のほうへ近づいてくる。 「あ、いた!!」 音の主は茶色のお団子頭にセーラー服の少女。めぐみだった。 清の姿を見つけると、笑顔で息せき切って走ってくる。 「お前……どうしたの?」 不思議そうな顔を浮かべる清。めぐみの笑顔が、笑顔から憤怒の表情に変わる。 「どうしたのはこっちの台詞よ! 全然帰ってこないっておばさんが言ってたんだから!!」 「あー……なるほど、ね」 合点がいったように手を叩く清。日も落ちたこの時間、普段の清なら家に帰宅している。今日はたまたま圭と話したりしていた為に、帰宅時間が遅れたのだ。 そして心配性な清の母ならば、余計な心配をしてめぐみを迎えによこしたりというのも考えられる、そう清は思った。 「こりゃ、病院帰りにゲーセンやファーストフードにも行けないな……」 ぽりぽりと頭を掻く清へ、めぐみは猶も牙を剥く。 「本当に心配したんだから! 携帯もつながんないし!!」 「そりゃお前、病院なんだから携帯電話は切ってるよ」 「へ?」 素っ頓狂な声をあげるめぐみ。病院内では、電磁波が発せられる携帯電話の電源を切るのは当然の事だ。 「あ、そ、そか……そうよね、ははは……」 慌ててめぐみは自らの携帯電話を取り出すと、カチャカチャといじりだす。 それらの迂闊な行動に、清は思わず溜息をつく。 「はぁ……まあとにかく、わざわざ来てくれてすまなかったな」 携帯電話を懐に戻しためぐみは、冷ややかな表情で清を見つめる。 「で、その背中の後ろにいる子は誰かしら?」 正確には、清の背後に隠れている圭を見つめていた。 右手を隠す為に体を隠したのだ。圭は無表情で清を見上げている。 「あ、ああ。ほら、昼に屋上で話した病気の先輩だよ」 微妙に後ろめたいものを感じ、声が震える清。 「うん、それはさっき手が見えたから知ってる」 声が低い。清の背筋に戦慄が走る。 「えーと、名前は小安井―――」 「それも聞いたから知ってるよ」 ぴしゃりと発言を止められる。 清はしどろもどろになりながら、知らん振りをしてみた。 「それじゃ、めぐみはなにを聞きたいのかな」 めぐみはくどい、とでも言いたげだった。 「二人は仲良しなのねー」 明らかに棒読みなセリフ。そして、清の後ろで圭が頷いてみせたものだから、清は慌てて弁明する事になる。 「いや、ちょ、違うって! 今日屋上で言ったばっかじゃないか!」 「……………」 腕組みをしたまま動かないめぐみ。背を丸め、もみ手をしだす清。清の後ろ、無表情で状況を眺める圭。 「……………ぷっ」 耐え切れなくなった、とでも言わんばかりに吹いたのはめぐみだった。小さな笑いが、次第に大きくなっていく。 「あはははは! 清は、絶対将来浮気できないね。楽で助かるわ、あーははは」 場の空気が和む。大きく息を吐き、胸を撫で下ろす清。 「お前が怖すぎるんだっての。マジで殺されるかと思った」 「まま、ちょっとくらい重傷でも大丈夫でしょ、ここ病院だし!」 あっけらかんという圭。清は思わず呟いていた。 「ちょっとくらいの重傷はありえないから……」 「えっと、小安井圭さんよね。私は紺野めぐみ。いつも清がお世話になってます」 清の後ろにいた圭へ優しく話しかけるめぐみ。 右手をパジャマにつっこみながらも、清の背中から出てくる圭。ぺこりと一礼した。 「よく考えなくても、何もしてないんだから、うろたえる必要無いんだよな」 恥ずかしそうに頭を掻く清。めぐみはニシシ笑いをしながら肘で清をつつく。 「何もしてないって言うけどね、清は何もしてないつもりでも、なんかしてんのよ。誰にでも優しいんだから」 「そんな事無いぞ、俺だって嫌いな奴には厳しいからな。それに優しいなら俺は今頃モテモテのはずだ」 反論する清。めぐみも応酬する。 「つーかアンタは嫌いな奴ほとんどいないでしょ、周りを好きになりすぎ! だから心配するのよ」 この舌戦を、傍から見た人はまずこういうだろう。夫婦ゲンカ、と。 圭は、二人から取り残されていたようにポツンと立っていた。 それに気付いた清が、気まずそうに圭へ話しかける。 「あー、ごめんな。入り込めない話しちゃって」 無表情で首を振る圭。清はフォローをしたいと思ったが、もう時間も遅い。診療時間の終了も近づいていた。 「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ。また明日な」 右手を上げる清。圭も左手を振って返す。 「これからも清をよろしくねー」 めぐみも踵を返し、帰ろうとする。そこで清は、ふと尿意がこみ上げている事に気付く。 まだ暖かい秋とはいえ、夕暮れ時に風の強い屋上に居たのだ。病院を出れば駅までトイレは無い、ここで済ませておこうと清は思った。 「っと、俺トイレ行っとくわ。先に入り口で待っててくれ」 めぐみに言い残し、小走りに廊下を曲がって男子トイレへと消えていく清。 「早くしなさいよー、全く」 呆れたように去りゆく清を見送っためぐみだが、 「あ、ちょっと子安井さん」 廊下の反対側、自らの病室へと帰ろうとしていた圭を呼び止める。 「………?」 振り返る圭。 「………!」 見る間に、圭の表情が変わった。 そこにいためぐみの顔に、明らかな敵意が見てとれたからだ。 「あんな演技で同情買おうとしても無駄よ、この女狐」 数分前の低い声とはまた違う、棘のある声。圭の瞳孔と口が、微かに開いた。 「……………」 どこまで知っているのか。 圭の問いかけの視線。 どこまでも知っているわ。 めぐみも受けて返す。 「清は渡さない、絶対に」 圭も久方ぶりに表情を変える。 その顔に表れたのは暗い、底なしの敵意。 その顔をみて、めぐみは鼻を鳴らす。 「ハン、良い顔ね。それが本当の素顔……覚えておくわよ。おお怖い怖い」 肩を竦め、めぐみは圭に背を向ける。 病院の入り口へとゆっくりと歩いていく。 圭は、ただじっと、暗い目でめぐみの背を見つめていた。
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