――霧雨けぶる宮殿の廊下、私はあいつと相対していた。 「よう、クライファート……いや、サー・サーディン」 自信たっぷりに挨拶してくるあいつは、生やし始めた顎鬚が全く似合っていなかった。 「私がサーディンでもクライファートでもなくなる事は君も知ってるだろう? クレストでいいさ」 「やれやれ……本当に家を出るつもりなのか? せっかく子爵の家に生まれたっていうのに」 心底呆れたように両手をあげるあいつ。 「よく言うよ。上流階級の生活の退屈さ、貴族どころか王族に産まれた君が知らないと言わせないぞ?」 あいつの名はセルシュ・フランソワ・マリアージュ。マリアージュ王国の若き第2王子だ。 第1王子だった兄は幼少時に病でこの世を去っている。彼が第一王位継承者というわけだ。 「知らないね、王族の仕事は新鮮で面白いものばかりさ。俺が王になった時はお前を傍につけておきたかったんだがなぁ」 これだ。自分でも気づかないうちに他人を見下す。 セルシュは私を親友と思っていたし、私もセルシュを親友だと思っていた。横並びの関係のはずなのに、王族や貴族という生まれが、勝手に人を上下関係をつけさせる。その微妙な行き違いはやがて大きな歪みとなるから……。 だから私は、上流階級が嫌いだった。 「私は冒険者になる。そこで影ながらこの王国を支えていくつもりさ。その方が私の性にあっているからね」 「そうか……はぁ、お前は強情だからなあ。もし、何かあったら頼って来いよ。こっそり金回してやるから」 「………ああ、頼りにしてるよ」 これが、私は何があってもあいつを頼るまいと決めた瞬間だった。 それから4年後に先王が死に、あいつは第3王子ピエトロとの跡目争いに勝利にして国王になった。 一方、私はといえば――
「――夢、か」 クレストの目に、テントの布が飛び込んでくる。布越しに見えてくるのはうっすらとした白。夜が明け切るにはまだ早い時刻だ。 クレストとポタンは長牙兎を食した後、街道際で野営を敢行していた。テント外の焚き火は既に消え、ポタンは涎をたらしながら熟睡している。 寝袋から半身を起こし、クレストは自らの手をじっと見る。 一見するだけではひょろりとした細長い手。しかし、小指と薬指に硬そうなタコが出来ている。クレストが常に剣を握っていた、証だ。 「私がしている事は無駄ではない……そう、そのはずなんだ」 クレストは貴族の家を出て、6年間冒険者家業を営んでいる。6年、冒険者として生き延びてきた事実は、何よりも彼の大きな自信になっていた。 そしてその自信は、確かな経験となってクレストへ注意を促す。 「こいつは……囲まれてる?」 テントの中からその姿を窺い知る事はできないが、複数の獣達がテントを取り囲んでいる空気をクレストは肌で感じ取った。 「……おい、ポタン君! 起きるんだ」 声を潜め、クレストはポタンを揺り動かす。その一方、空いた手で鎧と剣を手繰り寄せる。 「あんん? な、んだよもぅ〜……」 寝ぼけ眼をこするポタンの鼻先、クレストが人差し指を立てて静かにしろというジェスチャーを見せる。 「どうも獣に囲まれてますよ、早く逃げなければいけません」 口調を整えながら、クレストは手早く鎧を装着していく。 「ま、マジかよ〜……テントを畳んでいる暇は、無いよな」 このテント、高かったのにと未練がましくテントを見つめるポタン。 「そうですね。荷物をまとめ次第、一気に囲いを突っ切りましょう」 クレストの言葉にうなづき、ポタンは息を吸う事で腹を引っ込めてから服を脱ぐ。いちおう太めの体を気にはしているらしい。 「準備は出来ましたか? まず、私が出て血路を開きます。ポタン君はその隙に先行して下さい」 「お、おう」 若干緊張気味のポタンの背を、クレストは軽く叩いてやる。 「大丈夫ですよ、私は冒険者。命をかけて依頼人を護って見せます――」 「クレスト、ひとついいかな」 ポタンは真面目な顔でクレストの言葉を遮った。 「血路とか、命をかけて、とか。あんまりそういう言葉は使わないでくれよ。すごく……苦手なんだ」 クレストの脳裏に浮かんで来たのはポタンの義母の「戦災孤児」という言葉。真一文字に結ばれたポタンの口。きつく握られた拳。この少年は自分が思っていたよりも成熟しているのかも知れない、そうクレストは思った。 「わかりました、それじゃあ私の後ろは任せましたよ、ポタン」 「おう!」 最低限の荷物を背負い、力強く答えるポタン。その声が外にも聴こえたのだろう、テントの外が俄かに騒がしくなってきた。 「行きますっ!!」 剣の柄に手をかけながらテントを飛び出すクレスト。 間、髪を入れず飛び掛ってきたのは狼だ。爪の一撃はブレストプレートに傷を作っただけに終わる。 「はっ!」 地を摺りながら跳ね上がる剣閃。舞い散る草と、狼の赤い血。 辺りを見回すクレスト。狼を10匹まで数えたところで、クレストは数えるのをやめた。 嘶(いなな)きと共に横から襲い来る獰猛な飢えた狼、対空の回し蹴りが伸びる。 「ポタン、今です!」 「わかったっ!!」 クレストの合図でようやくテントから飛び出すポタン。 必死で走るが、彼は不幸な事に肥満気味の少年だった。野生の狼の足の方が格段に速いのだ。大口を開け、鋭い牙を見せながら、狼が跳ぶ。 中に浮くしなやかな体躯。ポタンと狼のシルエットが重なる。ポタンの肩口に、牙が突き立てられる。 「ポタンっ!!」 「う、うわああぁぁ!!? い、痛い、痛いよっ!!」 ポタンは狼に押し倒されるようにして地面へと倒れこんだ。狼はポタンを組み伏せ、喉笛に目掛けて口を開く。 その口に突っ込まれたのは金属の固まりだった。 クレストの渾身の突きが、狼の口蓋から眉間まで貫通する。悲鳴を上げて倒れる狼。 「大丈夫! 傷は後で魔法で癒せるから、今は走るんです!」 ポタンが顔を上げると、クレストの汗まみれの顔があった。ポタンは肩の痛みが、不思議と気にならなくなる。 「こっちへ!」 起き上がるポタン。クレストの指さす方向へ走り出す。狼の群れもこれを追う。 「また追いつかれる……ええい、勿体無いけど!」 ポタンは背負っていた荷物を狼達へ放り投げた。中に入っていたのは昨日獲得した長牙兎の肉をはじめとする食料だ。 狼達ははじめ、攻撃かと身を翻して荷物を避けたがすぐに肉の臭いに気づいて荷物を噛み千切り始めた。 「よっしゃ! クレスト、今のうちに!」 ポタンは走り出す。クレストは剣を握ったまま、荷物に群がる狼達を見つめていた。 「ああ、本当に勿体無い………」 「命が大事だろ、この馬鹿! 本当に冒険者なの!?」 「わ、わかってますよ! ……ああ、また一文無しだ」 愚痴りながら走り出すクレスト。テントと荷物は、見る間に小さくなっていく。 ポタンとクレストはこうして、野営道具と食料を失うのだった。
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