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おとこともだち。 作者:深海 翔

最終回   1
 ピリピリとしつつ出張校正室で校正をしていると、無造作に置いた机の上で携帯電話が震えだす。
 振動を止めようとグッと握りしめ、そっと内容を確認すると、あたしはとっておきのチョコレートを口した時のような満面の笑顔で、小さくガッツポーズを作った。

『生きてる? 今日暇か〜? 久々に飲み行こうぜ』
 ラッキー。
『飲む! 今日でちょうど一段落つくところなのよ! 飲むしかねー!』
 女子高生顔負けの早さで(当然だ、こちとら一度は女子高生を経験してるんだから!)ボタンを叩くと、カポっと携帯を閉じてそしらぬ顔で仕事に戻る。
「飲み?」
 感情が外部に垂れ流しの私は、エスパーじゃなくてもすぐにまわりに感情が察知される。
 はにかみながらコクンと頷くと、「やっぱりなー」とか「飲み過ぎて倒れるなよ〜」と同僚達にからかわれる。

 約束したのは学生時代の友達で、かれこれ10年来の知り合いになるだろうか。
 うちの実家の弟と同じ誕生日のだったから、あたしは彼をオトウト君と呼び、彼もあたしをアネキと呼んでいた。

 今夜の待ち合わせ場所は新宿。10年前と変わらず。
 ウチらがずーっと待ち合わせに使っている新宿東口のTSUTAYAの前で手帳を広げて待っていると、何だか不思議な気持ちになった。
 10年前のあたしも、一番乗りして手帳を広げて友達を待っていた。ビジュアル系バンドが大好きだったあたしがその頃使っていたのは、ゴルチェの手帳。
 真っ黒の革に、教会っぽいゴシック調のイラストが入っているものだ。(これは数年間愛用していた)。
 今のあたしが使っているスケジュール帳は、黄色の一色に、切り抜いた空の色が覗いているシンプルなデザイン調の物。昔のあたしが持つ事はなかったような物だけど、ちょっと変わったこのデザインは、昔のあたしでもきっと好きになったんじゃないかなぁ…なんて思いつつオトウト君を待ってみた。

「ういっす」
と声をかけられ顔をあげると、かつて栄養失調のようにヒョロヒョロに痩せていた彼の身体にはある程度の筋肉がつき、グレイのスーツがかっちり似合っている。
 あたしは何だか肉親のような気持ちで、「あんたも大人になったのねぇ…」と思わず目頭を押さえてしまいそうになってしまう。

 土曜の7時。当たり前だが新宿は激しく混んでいた。
 あたしのお気に入りの店はことごとくいっぱい…どうしたもんかねぇと思案する。
 そうだ。一件心当たりがある。
 そのお店はとても美味しい焼き鳥と日本酒と焼酎のある、こじんまりとした隠れが的なお店。
 あたし達が向かった時は、もうかなりいっぱいだったけど、奇跡的に席が開いていて、さらに奇跡的な事に仕切りのあるお部屋を確保できた。
「すみません。混雑が予想されますので、カウンターがあいたらカウンターに移って頂けますか? それから時間制限は2時間でお願いしたいんですが…」
「わかりました」
 お店の人の言葉を快諾し、座席につく、
「それじゃー、とりあえずビールふたつ」
 オトウト君の希望も聞かず、テキパキと注文していくあたしの相変わらずの仕切り魔っぷりにオトウト君が笑い出す。
「アネキ。相変わらずだねぇ」
「そうよ。最近彼氏には磯野キリコに似てるって言われるよ。しかも、「顔はきりちゃんのが綺麗だけど」って失礼しちゃうよね。アンタ自分の彼女だろ! って言ってやるんだ」
「ははは。仲良くなってんじゃん」
「お陰様でね」
 イッキにビールを飲み干すと、勢いよく喉を通過する苦味のある泡に、あたしはクハーっと満足げなため息をついた。
「で。どうよ。メールでは何かドラマがあったって言ってたじゃない」
「…うん」
 ちょっと沈んだ声に、今日語られるドラマが悲しいラブストーリーなんだろうなぁと予感した。(そしてそれは実際悲しいお話だった)。
 日頃とても無口なオトウト君は、お酒が入るとようやくポツリポツリと言葉を紡ぎはじめる。
「……でもさ。あんな風にドキドキしたの久し振りだったよ」
 そう締めくくったオトウト君が言った時には、あたしは号泣していた。オトウト君は、そんなあたしに最初ギョっとしていたけど、いつのまにかオトウト君までワンワンと泣き出してしまっていた。
 あんまりにもお酒を飲んでしまって、どんな話だったか全然覚えてないけど、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりながらも、焼酎をお互いのグラスに注ぎノンストップで飲み続ける。

 きっとあたしは酔ってなかったら言えなかったような恥ずかしい慰めの言葉をいっぱい言っただろうし、自分に対して猜疑心と劣等感の強いオトウト君は、素面だったらあたしの言葉なんて受け入れてくれなかったと思う。
 けれど。
 酒は偉大だ。
 一杯、また一杯とグラスを空にしていくたびに、あたし達は研ぎすまされた純度の高い存在になっていく。
 きっとその後あたしは、自分自身でさえ気付かないような不安をオトウト君に話しただろうし、オトウト君もあたしに色々な焦りや悲しみを話してくれたのだと思う。
 そのひとつひとつに私達は頷きあい、喉を焼くようなアルコールで昇華させていったのかも知れない。

 気がついた時は、もう涙も出ないほどワンワンと泣いた後で、台風が過ぎた後の青空のように私の心は晴れて上がっていた。
「まったく。泣いたのって何年ぶりだか思い出せないよ…」
 そう言って照れたようにため息をつくオトウト君の横顔もどこか晴れ晴れとしていた。
「いやー泣いてた時の記憶がないからねー。何しゃべったのか全然覚えとらん」
「俺も…。なんにも覚えてない。しっかし。何であんなに泣いてたんだろうねぇ」
 晴れ上がったブスな顔で、お互い苦笑しあう。
「そういえばお店の人。二時間って言ったのにこんな時間まで追い出さないでいてくれたね」
「そうだよ。あんまりワンワン泣いてるもんから、カウンターに移動させる事もできず、そっとしておいてくれたんだよ。今度行ったら大将にお礼言わなきゃ…」
 人様にかけまくった迷惑に、ギャーと赤面しつつも、他人の優しさが身に滲みた。

「終電も近いし。そろそろ帰りますか」
「んだね」
 そう言って私達は、ふらふらと駅に向かって歩きだした。
 次に会うのは来月か、はたまた数年後か…。いや、男友達なんてはかないものだ。このまま縁が切れる可能性だってありえる。
 全ては神様の思し召し。
 その日が来るまで楽しみに待っておこう。

 かつて10代のあたし達は、この新宿の雑踏を汚れたスニーカーでぞろぞろと歩いたものだ。
 その時のあたしは、物凄く力強く大地を踏み締めて、ためらいは微塵もなく前だけ見て歩いていた。
 全部がおそろしいほど楽しくて、その先もずっとずっと明るいところに続いていくって信じて疑わなかった。
 いつのまにかスニーカーからヒールに履き替えてしまったあたしは、後ろに続く風景や、立ち止まる事の怖さや、歩き続けなければならい宿命とかそんな事考えて、踏み出す足が弱くためらいがちになっている。
 でも今夜頼りなさげなフワフワとした足取りでも、自分の足で汚れた大地を踏み締めながら、なんとなく世の中捨てたもんじゃないなと思った。
 そして。オトウト君もそう思ってくれたらいいな。

 あたしにとって大切な人全てが幸せになりますように。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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