隆に『たかし』が死んだ事を言ったら、彼はどんな顔をするだろう? そんなの簡単だ。 きっと迷惑な顔をするに決まっている。 捨てた女がバイブに自分の名前をつけて使用していたなんて知ったら、軽蔑したような(もしくはお化けでもみるような)目であたしを見る事だろう。 いつもは人懐っこい笑顔のくせに、本当は底冷えするほど冷たい目を持ったおそろしく常識的な彼が、あたしの前でだけ淫らな言葉をたくさん発して、熱に浮かされたみたいにあたしを乱暴に求める所が大好きだったんだけどな。
思うに恋人達の心は、付き合った瞬間から、心と心が同棲をはじめたような状態で、何らかの原因できっとどちらかの心が引っ越しをするのだ。 それはもっと素敵な別の物件を見つけてしまったり、今の物件にどうしても我慢できなくなってしまったり、とにかく1人暮らしに戻りたかったり、物理的に引っ越しを余儀なくされたりと理由は様々だけど。 その手続きを踏まないと、大抵は引っ越しできない。(まぁ突然夜逃げする人もいるけどさ) きっと引っ越す側は、別れを告げる事が、引っ越すための最後の大仕事のような物なんだと思う。 ただ突然引っ越しを言い渡された側は、言い渡された瞬間から始まるのだ。 突然あたしから隆が出て行った後も、あたしは暫く呆然としたまま、何の作業もせず『たかし』との情事に耽って忘れたふりをしていたのに…。
初めて付き合う事になった松永隆は、専門学校のクラスメイトだった。 彼を見た瞬間あたしはドキリとした。 今思えば一目惚れだったんだと思う。 「輝輪(キラリ)ってさ。すごい変な名前だよね」 「そうかも。多分今までに860人分の1くらいだからなぁ」 あたしの言葉に、育ちの良い彼が、破裂したように爆笑する。 「860って何の根拠だよ」 「同じ学年の子とか親しい先輩や後輩とか。とにかく名前の確認をした気がする人を片っ端から数えてみた事があるんだよね。どうしても思い出せない人は別だけど、一生懸命思い出しながら」 マジメな顔であたしが答えると、隆は笑いをこらえながら凄く変な顔表情であたしに向き直った。 「キラリってさ」 「うん?」 「ものすごく変な人って言われるだろ?」 「言われる言われる。やっぱり6年物の女子校上がりは特殊なのかな」 「いや。女子校上がりに失礼だよ。お前が変なんだって」 「嬉しくないなぁ…それ」 隆と話したお陰で少しずつ軽口も叩けるようになった。 あまり人見知りしない性格もあって、異性の友達も増えていった。 でもやっぱり隆が好きで。 あたしはカルガモの雛みたいに、いつも隆の後ろについてまわったものだ。 だから隆と付き合って、初めて触れられた時、とにかく驚いた。 何だか酔ったような変な気持ちになって。 その時は、途中で止めて逃げ帰ったんだけどね。
あたしは初めての体験をその日の夜にする事になる。 家に帰って眠ろうとすると、隆とのエッチな事を思い出してちっとも眠れなかった。 あの何とも言えないくすぐったい快感。 当時女が濡れる事も知らなかった発展途上のあたしは、ジュンと切なそうに蜜を滴らせながら隆を求めるアソコを、どうやって宥めすかせばいいのかわからず途方にくれていた。 「だめだ。眠れない」 こうなったらマッサージでもして体を解してからもう一度寝ようと思い、あたしは押し入れに潜り込んだ。 「あった」 押入の中から発見されたマッサージ器。 スイッチを入れて、肩や手の平などに押し当てると、快感で体の力が抜けてくる。 なぜそれを思いついたか知らないけれど。 あたしはつい先ほどあたしに触れた隆を想像しつつ、おそるおそる服の上からそっと股間の一番の膨らみに押し当ててみた。 「あっ…やだっ、何コレ?」」 ビリビリとした快感が、何も知らないあたしを乱暴に貫いて、あたしはクタッと果てた。 それからこのマッサージ機を『たかし』と名付け、毎日毎日むさぼるように、「たかし」とペイッティングをし続けた。 その事に何の抵抗もなかった。 だって『たかし』は『隆』だったから。 『たかし』とする時は、いつも大好きな隆の声と指とペニスを想像しながらイッた。 バイトに忙しかった隆とのデートは毎週一度だけだったけど、あたしは全然寂しくなかった。 家に帰れば隆の魂の欠片が入った『たかし』がいつでも遊んでくれるから。
女の子は、男よりも性欲が深いような気がする。 どこまでも湿っていて、全てを沈めてしまう沼のように、快楽に際限がない。 女の子は、ただひとりの好きな人を想像しながらするから気持ち良いのだ。 だからあたしは『たかし』以外と遊ぶ気はならなかったのである。 もし『たかし』が壊れかけていてあたしを傷つけたとしても、あたしは『たかし』じゃないとイヤだった。 『たかし』じゃないと安心して体を預けられないのだ。 バカだけど。 不器用かもしれないけど。 それが愛ってもんでしょう?
でも隆と別れて、『たかし』もいなくなった今、あたしは自分の性欲を持て余し、途方にくれた。 自分の手で慰めてみたりもしたけど、どうしても気分が乗り切らなくて、空腹を抱えたままの獣のような、何とも言えない居心地の悪さを覚えた。
ああ。ヤリてー。 あたしは中学生男子のように、布団の上に大の字になってみる。 今この瞬間に、たまらなくエッチな事がしたいのだ。 喉が渇くみたいに。 お腹がすくみたいに。 おしっこやうんちがしたくなるみたいに。 家猫のようだったあたしは、『たかし』が死んでしまってから、あたしは自分の変化に戸惑った。 本当は隆としかしたくない。 でも『隆』も『たかし』もいないのだ。 だったら選択肢はふたつ。 空腹に耐えかねた獣のように、恥じも外聞もなく他の餌を探す事にするか、悲劇のヒロインみたいに大人しく餓死するのか。 こんな飢餓をかかえたままじゃ、あたしはもう部屋に篭城してはいられない。 快楽と言う名の餌を求めて。 この優しくて残酷な檻から出なければ。 ずっと引きこもっていたあたしにしたら、久々にまともな思考になった。 それがヤルためであったとしても。 いや。ヤルだめだからこそ。 あたしは檻を抜け出す方へ気持ちを固めていった。
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