■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

落日の血糖値 作者:三原拓也

最終回   血糖、そしていきなり終結
 ここに、二人の少年少女がいる。彼らは、かれこれ数時間数十分ほど前あたりから、太陽系第一惑星もびっくりな量の熱気を体内から発散して熾烈な争いを展開していた。
 事の発端は、視力矯正用レンズ(通称眼鏡)を顔面に装着した生真面目そうな少年が、このように述べたことから始まる。
「男女平等が叫ばれて久しい昨今、世界各地では様々な面において性差別が撤廃されてきている。しかし、僕にはどうしても理解不能なことがあるんだよ、セニョリータ」
 また始まったわ、バカ談義。
 いつものように要領を得ない話をし始めそうだったので、シルクのように滑らかな頭髪を肩まで伸ばした、いとうつくしげなる美少女は、露骨に嫌悪の情を示した。彼女の少年との関係がどのようなものであるかは非常に不明な点が多きこと限りないのだが、ここでは便宜上、恋人以上友達未満という設定にしておこう。
 少年は右手人差し指を駆使して、ずり下がっていた眼鏡を1.5センチメートル上方に押し上げ、それが本来あるべきだと思われる正規の位置に戻した。
 美少女はそそくさと少年のそばから離れようとする。
 この男の話に付き合ったらロクなことにならないのよ、セバスチャン、とでも言いたげなそぶりで、彼女は少年との距離を1秒間に18メートルという超人的ハイペースで広げていった。
 と――、
「待つんだ、そこの麗しき狼の皮をかぶった悲劇の未亡人A子(仮名)よ!」
 NASAが開発したらしい小型マイクロチップが埋めこまれたハイテクノロジー極まりない少年の眼鏡は、逃亡せむとて去にける♀的人種の姿を解像度500という高画質でばっちりとらえていた。
 少女はビクウッと肩を震わせて、笑顔でこちらを振り返る。
「な、何かしら、日々學問の道に精進していらっしゃる感心な男君さん?」
「僕は君に問うてみたいことがあるのだよ。5時間とんで27秒ほど僕のためにプレシャスタイムを割いてくれないかな?」
 バラの花を差し出しながら、紳士的口調で説得する。気分はもうオスカルっぽい人物だ。
 少女はしばし思慮した。
 ここでこいつの願いを聞き入れないと、大変な事象が生ずる可能性大だわ。素直に従うほうがはるかに知性的な選択よね、レオナルド=デカプリマハム。草葉の陰で見守る祖父母もそう言ってるわ。
 というわけで、
「何かしら、聞きたいことって? できることなら単刀直入且つ短絡的且つ明瞭な質問をしてくれることを切に望むわ」
 彼女は満面の作り笑顔を流星の如く鋭く放って言った。
 少年はその迫力に屈することなく、自らの疑問を口にした。
「世界は男女平等の世を目指そうと躍起になっている。だが、トイレや温泉、更衣室等々々は、いまだに男女が分離している。それは何故なのだろう?」
 彼の頭上を、羽を有した黒色鳥獣生命体KARASUが、「アホー」なる奇声を発しながら、西から北北東に向けて飛び去っていった。妙な寂寥感が左心室を支配し、彼は息苦しさを覚えた。
 少女は、さらりと髪を掻きあげると、次のような回答を出した。
「トイレや温泉や更衣室を男女が共有するなんて、問題ありまくりでしょ――――――!!」
 質問のバカバカしさは予想していたが、彼女は適切な意見を述べるほど思考回路が活性していなかったので、ごくごく平凡な反応をするにとどまった。
 少年は、1300ミリリットルの空気を、はうっと体外に放出した。少女の言葉が自分を拒絶する意識をもって発せられたと感じたからだ。
 秋風が吹き、イチョウの黄色い葉がはらはらと彼の目の前を舞い降りていく。彼はそれを右手でがっしりつかんだ。拳を震わせ、叫ぶ。
「君は、男性が女性の前で、あるいは女性が男性の前で裸体をさらすことを、芳しからざる行為だと常日頃から受け止めていたのかい、マイハニイイッ!!」
 少年が拳を開くと、イチョウの葉は原子レヴェルにまで細かく裁断されていた。彼の衝撃の大きさを物語っている。
「ええ、そうよ!」
 意を決したように、少女もわめき返した。
「人間は誰しも清き明き心を大切にしなければならないのよ! それが尊き者に選ばれし民の当然の報いであり、義務のはずだわ!!」
「な、何ですとおおっ!!」
 少年の眼鏡は、冷汗の分泌により顔面の皮膚の静止摩擦定数が通常の3割弱にまで低下したため現状の位置ベクトルを保つことが困難となり、重力加速度9.8メートル毎秒毎秒で地面に落下し始めた。仮に彼の眼球までの高さを165センチメートルとすると、約0.4秒で足元まで到達する計算になる。そのような事態になってしまったら、レンズが割れ、フレームは折れ、ネジは飛び散って、近くを歩行していた不幸なおぢさんの口の内部に入って食道を通過して胃液の中で複雑な化学反応により分解される恐れが懸念される。
 が、少年の瞬発力はすさまじかった。落下運動の最中にある眼鏡を左手ですくい上げると同時に、右手で顔面を滴る汗を無印良品のタオルでふき取るという荒業をやってのけた。そして元通り眼鏡を着眼すると、再び言葉を発した。
「どうせ人間の身体的構造など、基本的に2パターンズぐらいしか存在しないはずだ! 従って誰もが異性の裸体がどのようなものであるかを熟知していると考えていい。何も恥ずかしがる要素など認めることができないんだ。それなのに、何故君はためらうのだ!?」
「現在の社会規範が、異性に対してシークレット・ゾーンを公開することを肯定的に捉える風潮に必ずしもなっているとは言いがたいからよ!」
 少女は語気強く言い返した。頬を上気させたその表情は、妙に美しかった。
「あゝ…君の心は格式化された固定概念にとらわれる愚弄人種のそれと同一化しているようだ…。僕は君を遺憾という感情でしか凝視できなくなってしまったよ」
 少年は寂しそうに言うと、おもむろに眼鏡を外し、内ポケットより取り出した白色のハンカチーフでレンズの清掃を開始した。彼の心もまた、レンズと同様曇っているのだが、彼は気づくよしもない。
 いい加減、目を覚ましなさい!
 少女は心の中でそう呼びかける。あなたがまっとうな人間にならないと、この星は暗黒の地へと変貌と遂げてしまう確率が14パーセント程度増加するかもしれないのよ、ローリングサンダーハリケーン!
 しかし、彼女はそれを口に出さなかった。今の少年に何を言ってもムダだ。
「何とか言ってくれ!! 僕は君の心が読めないよ! 言語としては日本語らしき文法を使用していることは容易に理解できるのだが…」
「あなたは私の重圧に耐えうるほどの頑丈な精神力を有してはいないわ。充分に成熟するにはあと数年かかること必至よ」
「馬鹿にするな! 僕はただ真の男女平等への道を切り開く心の架け橋になろうとしているだけなんだ!!」
 その架け橋には、ぽっかりと空虚な穴が開いている――少女はそう感じた。朽ち果てて、今にも崩れそうな橋。
 手に負えない。足にも負えない。
 最終決断を下した。
 少年の目は大きく見開かれた。
 32カラットのダイヤモンドが鳴き砂の海岸に転がっているようなきらめきが、先端から発せられていた。少女は震える手で柄を握りしめていた。
 もっと震えていたのは、もちろん少年だった。言葉にならない声を出す。
「蝶々型刃物…(※英訳=バタフライナイフ)」
 少年の声はエコーがかかって、周囲の空気を乱した。
 少女が少年に刃物を向けている。これは何を意味するか。少年を殺そうとしているとしか考えられない。
 なぜだ!? 僕はただ君に素朴な疑問を投げかけただけだ。たったそれだけのことで命を絶たれなければならないのか!?
 少女はゆっくりと迫ってくる。
「やめるんだ! 暴力はいけない!! 田舎のお母ちゃんが、目から涙っぽい液体を流して、体内の塩分濃度が著しく低下してもいいのか!!」
 少年は情に訴える方法で説得を試みた。
「ついでにお父ちゃんの水虫&切れ痔が悪化してもいいのか!!」
 少女の動きがピタリと停止した。彼女の脳細胞はスーパーコンピュータの如く目まぐるしい計算を開始した。
数秒後、彼女は決断を下した。刃物を地面にたたきつけた。悔しそうな表情で言った。
「だめ、私にはこんな野蛮なマネはできるはずナインティナイン岡村矢部よ! グスングスン…」
 膝をつき、うなだれ、嗚咽を漏らす。
 少年はそんな少女を優しき手つきで抱きしめた。少女はためらいがちに身を任せた。二人はじっと見つめあう。西の空が赤々と染まり、ヴェリーロマンティック極まりない雰囲気をかもし出した。
 少年はその燃ゆる恒星を指差し、言った。
「見よ、あの沈み行く美しき夕日を!! この母なる大自然と比べたら、僕たちの闘争なんてちっぽけなものじゃないか!! さあ、共に夕日に向かって走ろう! それが僕たちの青春なんだ!!」
「分かったわ、マイダーリン!!」
 二人は肩を組み、なぜか二人三脚で走行し始めた。
 広い広い草原を、赤々とした光に照らされながら、風のように駆け抜ける。少年の眼鏡は揺れていた。少女の長い髪も揺れていた。互いの周波数は714メガヘルツという同一の値を示していた。二人の心はついに一体となったのだ!
 そして、目の前にそびゆる一本の鉄塔。
 塔には、文字が書かれている。――「ひなの湯」
「あれは…銭湯の煙突じゃないか!?」
 いかにも。そこには銭湯がポツンと一軒建っていたのだった。
 なぜこんなところに!? 二人は困惑した。
 が、すぐに、これは尊き存在が自分たちに授けたごほうびだということに意見が一致した。
 二人は銭湯「ひなの湯」に突入した――
「こ、こ、これは―――――――っ!!」
 驚愕。感激。落涙…。
 そこには、今までの常識を根底から覆す、人知をはるかに超越したすさまじき世界が広がっていた。なんと、同じ湯船の中に男と女が共存しているではないか! 当然の如く、両性とも全裸という格好である。そう、この銭湯は「混浴」だったのである!!
「ぼ…僕の思い描く理想郷が現実に存在していたなんて…。知らなかった…。僕はなんてヴァカだったんだ…」
 崩れそうになるほどの感動が、少年の全身を包みこんだ。彼の心の中には、この世に生を受けてから今に至るまでの苦闘の数々が、走馬灯のように駆け巡っていた。
 おもむろに、彼は衣服を脱ぎ捨てた。少女もまた、美しき肌をあらわにした。彼女の柔らかな頬には、恥じらいの色がほのかに浮かんでいた。
「行くぜ、戦友ッ!!」
 少年は燃えていた。燃焼していた。血流量が異常なまでに増大し、狂いかけていた。
 二人は最高潮のテンションで湯船に突撃した。
 が――、
 そこに立ちはだかったのは、一人の老人だった。白ヒゲをふんだんにたくわえ、曲がりくねった珍妙な杖をつき、中華人民共和國的な衣装をまとった仙人っぽい男。彼は二人に向かってこう述べた。
「少年少女よ…。これしきのことで満足してはいけない…。この世には、さらに男女平等を徹底化した模範都市があるというのに…」
「おぢいさん、何なんですか、それは!? 混浴以上の男女平等なんて存在するんですか!?」
 老人は無言でうなずくと、杖をぐるりと一回転させた。一瞬にして周りの風景が消えた。代わりに妖艶なるネオンがきらめく、夜の街が広がった。店々の看板にはいかがわしい文字が躍り、露出度の高い服装の若い女のコたちが呼びこみをしちゃったりなんかしている。酒や薬に酔った者たちが、暴力を振るいあっている。
 二人は、目の前で繰り広げられる光景が信じられなかった。ここは本当に地球なのか?
 呆然とする彼らに、老人は言う。
「ここはカヴキチョー…。愛と勇気と欲望が錯綜する街じゃ」
「かヴきてふ!?」
 少年の目は輝いた。
「これが…これが歌舞伎タウン!?」
 彼の頭の中に、隕石が飛来し、核反応が起こり、知識の大洪水が発生した。傍らの少女も同じだった。
 老人はニヤリと笑んだ。
「充分にこの街で遊ぶがいい。そして短く楽しく、儚い時を感じるのじゃ…」
 意味深な言葉を残して、老人は消え去った。
 少年少女が真の男女平等を目の当たりにする瞬間は、もうまもなくのことだった――。

■ 目次

Novel Editor