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公園の片すみで 作者:鳴海 葉子

第1回   公園の片すみで
 ある広い公園の草むらにバッタが住んでいました。メスのトノサマバッタでした。
 トノサマバッタが住む公園には、ほかにもたくさんの虫が住んでいます。アリ、テントウムシ、スズムシ、コオロギ、ショウリョウバッタなど、種類は違ってもみんな仲良しです。
 夏の公園にはおいしい草がたくさんはえているし、太陽は気持ちいいし、虫たちはみんな幸せでした。いつも仲良く遊んでいました。
 でも、そんな虫たちにも、ひとつだけ困ったことがあります。それは、この公園で一番の暴れん坊、オオカマキリのことでした。
「きのう、あたしの友達がつかまって、アイツに食べられちゃったの。あたしはなんとか逃げることができたけど、すごく恐かった」
 涙をながすコオロギの背中を、テントウムシはやさしくさすりました。
「それは大変だったね。でも、きみがつかまらなくてよかった」
「うん。だけどその友達、とてもいい子だったのよ。好きな人もいて、もうすぐ結婚するはずだったの。タマゴをうむ日を、それは楽しみにしていたわ」
「それはかわいそうに」
 スズムシもうなだれます。
 その話を聞いていたトノサマバッタは言いました。
「あたし、そのオオカマキリにまだ会ったことがないの。そんなに嫌なヤツなの?」
「そりゃもう!」
 みんなは声をそろえて言います。
「大きな体をしていて、とても強いんだ」
「あのするどいカマ、見ただけでふるえあがるわ」
「それに、あのおそろしく大きな目。ぼくたちをつかまえようと、いつもキョロキョロ動かしているんだ」
「つかまったらおわりよ。わたしたち、食べられちゃうんだから」
「そうなの。それはこわいわね。いやなヤツね」
 トノサマバッタがそう言うと、アリが笑顔で言いました。
「トノサマバッタさんはだいじょうぶよ。あなたには、その強いうしろ足があるもの。油断さえしていなければ、アイツがおそってきても逃げられるわ」
 それを聞いてトノサマバッタはホッとしました。

 そんな話をきいてから、トノサマバッタはいつもオオカマキリのことを考えるようになりました。
 大きくて強くて、するどいカマをもっているおそろしいヤツ。つかまると生きたままムシャムシャ食べられちゃう。
 思いだすたびに体がふるえます。体は大きいですが、トノサマバッタはとてもおくびょうなのです。
「ああ神さま、どうかオオカマキリに会いませんように」
 毎日そう祈るようになりました。

 ある日、トノサマバッタはおいしい草をさがして公園の中をとびはねていました。大好きなス好きの葉っぱがみつからず、少し遠くまで足をのばし、大きな木の根元にやってきました。
 そして、そこで恐れていたオオカマキリと出くわしてしまったのです。
「ああ、ついにあたしも食べられちゃうのね」
 トノサマバッタの体はこわくてガクガクふるえ、もう一歩も動くことができません。
 しばらくすると、オオカマキリが言いました。
「心配しなくても、おまえを食べやしないよ」
 トノサマバッタは驚いて、みどり色にひかるオオカマキリをみつめます。
「ど、どうして?」
「オレはついさっき美しいアゲハチョウをつかまえて食べたばかりだ。ハラはへってない」
 そう言われても、信じられるものではありません。トノサマバッタの体は震えつづけます。
 その様子をみたオオカマキリは言いました。
「ハラがへっていないときに、オレは虫をころしたりしない。オレだって、ほんとうは他の虫となかよくしたい。でもしかたがない。オレが食べられるのは虫だけなんだから。食べないと、オレはいきていられない。おまえたちが草をたべるのとおなじだ」
 オオカマキリはとてもつらそうな顔をしていましたが、やがていいました。
「さあ、オレのハラがまたへる前に早くにげろ。でないと、オレはおまえをつかまえて食べなきゃならない」
 そう言ったオオカマキリは、やっぱりつらそうでかなしそうで、トノサマバッタはなんだか自分までかなしくなってしまいました。

 みんなのところにもどったトノサマバッタは、オオカマキリにあったことを話しました。
「アイツにあって生きてもどってこれたなんて、運がよかったね」
「さぞかしこわかっただろう」
「それにしても、きれいなアゲハチョウさんを食べただなんて、アイツはなんてひどいヤツなんだ」
「ゆるせないわね!」
「あんなヤツ、はやく死んじゃえばいいんだ」
「そうしたら、この公園も平和になるのにね!」
 みんなはオオカマキリの悪口をいいます。
 しかし、トノサマバッタは言いました。
「あのオオカマキリさん、そんなに悪い人にはみえなかったわ」
「なにを言ってるの?!」
 コオロギが怒ったように言いました。
「アイツはあたしの友達を食べたのよ。悪いヤツにきまってるじゃないの!」
「きみだって、もう少しで食べられるところだったんだぞ!」
「運がよかっただけなんだ」
「あたしたちだって、いつ食べられちゃうかわからないんだから!」
 みんなから怒られて、トノサマバッタはだまりこんでしまいました。

 その日の夜、やわらかい草のベッドの上でトノサマバッタは考えました。
「そうなのかしら。あの人はそんなに悪い人なのかしら」
 ほんとうはみんなと仲良くしたい。そう言ったオオカマキリの言葉を、トノサマバッタは思いだします。
「そんなことないわ。オオカマキリさんは本当はいい人なのよ。それに、とても美しい人だったわ」
 お日さまの光をあびてかがやく、ミドリ色のスラリとした体。カマをかまえたその姿は、とても立派で男らしくて、思いだすだけでトノサマバッタの胸はドキドキしてしまいます。
 かなしそうなオオカマキリの顔を思いだすだけで、トノサマバッタの胸はいたくなってしまいます。
「いつかまた会えるかしら? 会えるといいな」
 そう思いながら、トノサマバッタはねむりました。


 オオカマキリに会いたい。トノサマバッタはいつもそう思うようになりました。
 でも、会ったら食べられてしまうかもしれません。そう思うと、恐くて会いにいくことはできませんでした。
 テントウムシが言いました。
「またあのオオカマキリがアゲハチョウを食べたらしいぞ」
「まあ、それほんと!」
 コオロギが体をふるわせます。
「あのオオカマキリ、アゲハチョウが大好きなのよね。あたしたちコオロギも好きみたいだけど、なによりアゲハチョウをたべるのが好きみたい」
「よくつかまえてるものな。どうしてだろう?」
「そりゃあ美しいからよ」
「オオカマキリでも、やっぱり美しいものが好きなのかな」
 アリがうなずきます。
「だれだって、きれいなものは好きにきまってるわ」
 仲間たちの話をきいていて、トノサマバッタはかなしくなりました。そこをはなれ、水たまりまではねていくと、水面にじぶんの姿をうつしてみます。
「ゴツゴツした大きな体。あたしはアゲハチョウさんみたいに美しくない」
 もしかすると、はじめた会った時にオオカマキリさんが自分を食べなかったのは、そのせいかもしれない。アゲハチョウさんにたいに美しくないから。
 ふと空をみあげると、アゲハチョウがとんでいました。
 ヒラヒラと風にのっておどるようにとぶその姿は、見とれてしまうほどに美しく、そのアゲハチョウをみながらトノサマバッタは泣きました。
「あたし、アゲハチョウにうまれたかった。あんなふうに美しくうまれたかった。そうしたら、オオカマキリさんに好きになってもらえたかもしれないのに…」
 ながれたナミダは水面をゆらし、そこにうつるトノサマバッタの姿はますますみにくくなりました。
 なきながらトノサマバッタは自分のいえにかえりました。

 それからなん日もすぎ、夏も終わりに近づいて、公園には秋の涼しい風がふくようになりました。
 あいかわらずトノサマバッタは思っていました。
 美しくなりたい。アゲハチョウになりたい。オオカマキリに好きになってもらいたい。
 しかし、夏のあいだは青々としていた公園の草もちゃ色へと姿をかえ、それにあわせるようにミドリ色だったトノサマバッタの体もちゃ色になりました。
「ああ、あたしったら美しくなるどころか、どんどんみにくくなっていく。これではもう絶対にオオカマキリさんには好きになってもらえない」
 仲間たちのほどんどは結婚し、すでにタマゴをうんだものもいます。しかし、トノサマバッタはひとりでした。結婚もせず、ただひたすらオオカマキリのことを思っていました。
 そんなある日、いっぴきのアリが大あわてでやってきました。
「みんなきいて! あのオオカマキリがニンゲンの子供につかまったわよ」
「それは本当かい? それじゃ、アイツはもうこの公園からいなくなったんだね?」
「いいえ、まだいるわ。子供からにげたのよ」
「なんだ、それじゃ意味がないじゃないか」
 スズムシが文句を言うと、アリは首をふって笑顔をみせました。
「それがね、あのオオカマキリったら子供にカマのいっぽんと足を2ほん、もぎとられたの。だからもう、今までみたいに早くうごけないわ」
「みんながおそわれる心配もないってことね」
「そうよ!」
 アリはいいました。
「このままだと、アイツはエサであるあたしたちをつかまえられずに、もうすぐ死ぬわ。そうしたら、こんどはあたちたちアリがアイツを食べてやる! 今までにアイツに食べられた仲間のかたきをうつわ!」
 ムシたちは大喜びです。
 それを聞いていたトノサマバッタは顔を青くしました。そして、あわてて家にかえったのです。
 ベッドの中でトノサマバッタはふるえます。
 どうしよう。このままではオオカマキリさんが死んでしまう。
 カマと足をもがれたなんて、どれほどいたかったことでしょう。どれほどかなしいことでしょう。
 胸がつぶれるほどこわくなって、トノサマバッタはそのままなん日も家にとじこもりました。そして、ずっと考えていました。大好きなオオカマキリのために自分になにができるかを、ずっと考えていました。
 そして、決めました。
「オオカマキリさんにあたしを食べてもらおう。そうしたら、あの人は死なないですむわ。あたしは美しくないけど、でも、おなかをすかせた今なら、オオカマキリさんだってあたしを食べてくれるかもしれない」
 トノサマバッタは家を出ると、オオカマキリをさがして公園中をかけまわりました。
「あのオオカマキリ、もうぜんぜん動けないんだ」
「それじゃ、もうすぐ死んじゃうね」
虫たちのうわさ話を耳にして、トノサマバッタはあせります。
 そして、ついにオオカマキリをみつけました。そこは、トノサマバッタとオオカマキリが一度だけ会って話をした、あの大きな木の根元でした。
 ぐったりと地面によこたわるオオカマキリに、トノサマバッタはいそいでかけよります。
 きいていたとおり、オオカマキリのカマは片方しかなく、足も2ほんたりないといういたましい姿をしています。
 それに、ずっとエサを食べていないせいでしょう。かがやくようにツヤのあったみどり色の体は、すっかりやせていて色もくすんでいます。
 たまらず、トノサマバッタは声をかけました。
「オオカマキリさん、オオカマキリさん!」
 オオカマキリはとじていた目をゆっくりとあけました。よかった、まだいきています。
「トノサマバッタか。なにをしにきた? みじめな姿になったオレをあざ笑いにきたのか?」
「ちがいます、そうじゃありません! おなかがすいているのでしょう? だったらあたしを食べてください!」
 オオカマキリはおどろいたように目をみひらくと、トノサマバッタをみつめました。
「なぜそんなことを言う? 命がおしくはないのか?」
「あなたのためになにかしてあげたいんです。でも、ほかの虫をつかまえてあなたにさしだすなんてこと、あたしにはできません。あたしにできることといえば、せめて自分を食べてもらうことくらい。さあ、あたしを食べてください。そして、少しでも長くいきてください!」
 オオカマキリの大きな目があやしくひかりました。一本だけ残ったするどいカマを、ゆっくりとふりあげます。
 しかし、オオカマキリはすぐにそのカマを地面へとおろしました。
「オレにエサはひつようない。早くいけ、オレの気がかわらないうちに」
「どうして食べてくれないの? あたしがアゲハチョウさんみたいに美しくないから? こんなにみにくいちゃ色の体をしているから、だから食べてくれないの?!」
 さけぶようにそう言ったトノサマバッタに、オオカマキリは首をふりました。
「おまえを食べたところで、どうせオレは長くいきられない。この体じゃ子孫だってのこせない。おまえはメスだろう? それに、とても元気そうだ。だったらオレのために死ぬなどと言わず、生きてタマゴをうむがいい。それがいちばん大切なことだ」
「そんなことありません。あたしにとっては、あなたがいちばん大切なんです。あなたにいきていてほしいんです」
 オオカマキリは首のむきをかえると、目をほそめて空をながめました。
「空を舞う美しいアゲハチョウ。オレはあれが大好きだった。とても、とても美しくて、つかまえずにはいられなかった」
「やっぱりあたしが美しくないから、だから食べたくないのね。そうなのね?」
 トノサマバッタはかなしかった。こんな時でさえ、自分はオオカマキリさんに食べてもらえない。
 それは自分がみにくいから。アゲハチョウのように美しくないから。
 トノサマバッタの目からなみだがこぼれます。
「あたし、アゲハチョウにうまれたかった。そしたら、あなたによろこんで食べてもらえたのに。あなたの役に立てたのに!」
「ちがう、そうじゃない」
 さいごの力をふりしぼるように、オオカマキリは大きく息をすいこみました。そして、ゆっくりと話します。
「オレは美しいものが好きだ。だからアゲハチョウが大好きだった。おまえの心は美しい。あのアゲハチョウにまけないくらい、とても美しい。もしオレが元気だったら、よろこんでおまえのことを食べたている」
 オオカマキリの体から、少しずつ力がぬけていきます。さいごの時が近いのです。
「だめよ、ここで死んではだめ! アリたちに食べられてしまう!」
「オレは子孫をのこせない。ならばせめてアリたち食べられ、やつらの中でいきつづけたいと思う。それに、今までたくさんの虫をころしてきたオレが、さいごにアリの役に立てるならば、だれかの役に立てるのならば……それはとても…うれしい…ことだ………ありが…と……う………」
 それっきり、オオカマキリはうごかなくなりました。
「ありがとうなんて言ってほしかったんじゃない。あたしはただ、あなたに生きていてほしかった。あなたのためになにかしてあげたかった。それだけなのに…」
 トノサマバッタは泣きました。うごかなくなったオオカマキリの横で、いつまでもいつまでも泣きつづけました。
 やがてあつまってきたアリが、オオカマキリの体をはこびはじめます。
 トノサマバッタはだまってそれをみまもりました。
 だれかの役に立ちたい。それはオオカマキリのさいごの願い。
 だからトノサマバッタは、アリにはこばれていくオオカマキリを、泣きながらみまもりつづけました。


 オオカマキリが死んでからというもの、トノサマバッタは家にひきこもったまま、外にでなくなりました。
 くる日もくる日も、オオカマキリのことを思いつづけました。
 思い出の中のオオカマキリは、大きくて、強くて、立派で、男らしくて。オオカマキリのことを思っているだけで、トノサマバッタはしあわせでした。でも、やっぱり時々は泣きました。
「あなたに会いたいわ、オオカマキリさん。あたし、心からあなたのことが好きでした。あなたのためなら死んでもいい、食べられてもいいと思うほど、心からあなたのことが好きだったの」
 秋はふかまり、空気はつめたさをまし、それでもトノサマバッタはオオカマキリのことを思いつづけました。
 体がだんだんと重くなり、自由にうごかなくなってきました。
 自分の死がちかいことを知ったトノサマバッタは、立ち上がると、ひさしぶりに家を出ました。そして、地面をはうようにゆっくりと歩き、オオカマキリの死んだ、あの大きな木の根元までやってきました。
 ホッとしたように、トノサマバッタは体をよこたえます。とてもとても疲れていました。体の力がどんどん抜けていくのが、自分でもよくわかります。
 トノサマバッタはゆっくりと目を閉じました。そして、心の中でオオカマキリへとかたりかけます。
「オオカマキリさん、あなたが死んでいったこの場所で、あたしの命もつきようとしています。あなたと同じで、あたしも子孫をのこすことができなかった。タマゴをうめとあなたに言われたけど、ごめんなさい、できませんでした。だって、あなたのことが好きだったから。だから他の人の子供を作るなんてできなかったの。でもね、オオカマキリさん。あたしはとってもしあわせです。だって、あなたに美しいて言ってもらえたんだもの。あのアゲハチョウに負けないくらい美しいって、そう言ってもらえたんだもの。あの時のこと、あたしは絶対に忘れない。やがてあたしが死んでしまったら、アリがこの体を食べるでしょう。そしたらアリの体の中で、もう一度あなたに会えるかしら? 会えるといいな。きっと会えるわよね。ああ、あたしはとてもしあわせだった。でもね、次にうまれてくるとしたら、ぜったいにアゲハチョウにうまれてくるわ。そして、今度こそあなたに食べてもらって、あたしはあなたの中でいきつづけるの。いつまでも、いつまでも……。そしたらきっと、あたしは世界中のだれよりも……しあわせ…ね。この気持ち、あなたに…わかる………かし…ら? ………オオカマキリさ…ん……………だいす…き……」
 オオカマキリが死んでいった同じ場所で、やがてトノサマバッタもうごかなくなりました。だれにみとられることなく、たった一人で死んでいきました。
 だけど、それでもトノサマバッタの顔は、とてもとてもしあわせそうにほほえんでいたそうです。


 冷たい木枯らしがふきあれる中、死んだトノサマバッタの体の上に、今年はじめての雪が静かに舞りました。


 公園の片すみでおきた、とるにたらない虫の物語です。

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