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結果オーライ! 作者:鳴海 葉子

最終回   2
 放課後は図書室の使える五時まで学校で勉強し、家に帰ったらひたすら暗記に励む。
 大学受験はしない。だから、これまで勉強なんて少しもまともにやっていなかった。だから、勉強する癖のついていない高木にとって、家の勉強机に座っているだけでもひと苦労である。二才年下の弟の、バラエティー番組を見てのバカ笑いを聞いていると、なんだか腹が立ってくる。自分のやっていることがバカバカしく思えて、ついサボッてしまいたくなるのだ。
 そんな高木のサボリ心をなんとか踏みとどめてくれているのが、毎晩十一時頃に英子から送られてくるメールだった。
『はい、高木。あんたまさかサボッてないでしょうね?! あたしの幸せかかってんだから、怠けたりしたら許さないわよ(#`皿´) 』
『調子どお? 進んでる?』
『あまり根をつめすぎてもよくないから、たまには休憩しないさいよ』
『分からないところがあったら放ったらかしにしてないで、あたしに電話しなさいよ! そういう問題が試験に出やすいんだから)`ε´(』
『あたし今日は家庭科の暗記。女の子らしいこと苦手だから、家庭科って大嫌い。高木は? 今日はなにやってるの?』
『へへへ、今夜食のサンドウィッチを作ったところ。卵サンドとハムサンドでーす(o^v^o)』
 メールの内容はそんな感じである。もちろん、高木もそれに対して返事を打つ。
『うっせぇ。おまえこそ俺一人を人柱にしたりしたら、承知しねーぞ』
『調子? まあまあかな。なーんて、うっそ〜ん。全然ダメー』
『根なんて誰がつめるか! おまえこそ、寝不足はお肌の天敵だぞー(* ̄ー ̄)ニヤリ』
『うーん、そんじゃ悪いけど、後で電話させてもらうかも。何時ごろまで起きてる?』
『家庭科苦手なのか? うわー超ヤバーイ! 嫁の貰い手がなくなる前に修行しろ! ちなみに今日の俺は保健体育。ウハウハ』
『太るぞ! でも、俺もなんか食いてーなぁ。ハラヘッタ(TεT;)』
 そんなメールのやり取りをすると、それまでの疲れはすっかり消え去り、もうひとがんばりするか、という気持ちに高木はなれるのだった。
 そんなこんなで、高木と英子の勉強生活は挫折することなくなんとか続き、気がつけば期末試験が始まる前日となっていた。
 長かった地獄の試験勉強ももうすぐ終わる。いつものように英子と隣同士に座り、英語の文法を勉強していた高木は、なぜかそれを残念に思っている自分に気づいた。
 その苦しみからやっとのことで解放される。それはとても喜ばしいことのはずなのに、何故か寂しい。どうしてなのか、その理由が分からない。
 無意識に視線を隣に向けた。すると、偶然にも英子も高木を見ていて、二人の視線がふと絡まり合った。一瞬、二人の間に沈黙と妙な空気が流れる。
「……ついに明日から試験ね。自信は?」
 その沈黙を破って英子が声をかけてきてくれたことに安堵した高木は、努めて普通に何気なく、肩をすくめながら笑って見せた。
「どうだろうなぁ。ハッキリ言って、五十番以内に絶対に入れるという自信はない。そこそこ成績は上がるとは思うけど」
「ちょっとー、そんな情けないこと言わないでよ。ここまであんたに付き合った、このあたしの立場はどうなるのよ」
「よく言うよ。誰のために俺がこんな苦労をしてると思ってんだ?」
「なに言ってんの。自分のためにでしょう? 麻理によく思われたいから」
 そこで高木は驚いたように、二、三度瞬きをした。
 すっかり忘れていた。自分が麻理のために勉強をがんばっていたことなど、すっかり忘れていたのだ。英子と一緒に勉強することが習慣化してしまっていて、大変だったけど、でもそれはとても楽しい時間でもあって、だから本来の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「あー、俺……俺は、そのぉ…」
「大丈夫よ、心配しなくても」
 そう言って、英子は優しく微笑んだ。
「もし五十番以内に入れなくても、麻理には高木のこと褒めておいてあげる。だって、高木は本当にがんばったもの。そのこと、あたしが一番よく分かっているもの。だから、もし結果がよくなくても、麻理にはあんたのこと、ちゃんといいように言っておいてあげる。約束する」
「お、おうっ、サンキュ。助かるぜ」
 取り合えず、高木は嬉しそうに笑ってみせた。
 でも。
 本当は、もう麻理のことなんてどうでもよかった。そう思う理由も分かってしまった。ついさっき、優しく笑う英子を見ていて、高木はそれに気づいたのだ。気づいたけど、でもどうすることもできず、ただ笑うしかなかった。
 だって、英子は山根のことが好きなのだから。
「なあ、英子。おまえ、委員長のどこに惚れたんだ?」
「どこにって、そりゃ……」
 英子は答えようとして開いた口を、すぐにまた閉じてしまった。そして、しばらく小首を傾げて考えた後、こう答えた。
「どこだったんだろう。忘れちゃった。変ね、あたし」
 少し困ったように英子は笑った。


 翌日から予定通り試験が始まった。
 自分にどこまでやれるか分からない。でも、自分に出せる最大限の力を出そうと高木は思った。そうすることが英子のためになるのであれば。
 そうして試験日程は二日三日と進んでいき、その間も高木は帰宅してからの勉強を怠らず、ついに全教科の試験が終わった。その翌日から、すぐに採点された試験答案が生徒たちの手元に戻され始める。
 一枚ずつ答案用紙を手にするたび、高木は喜んだり落ち込んだりした。これまでの成績と比べれば、確実に点数は上がっている。しかし、五十番以内に入っているかというと、やはり自信がなかった。いくら高木が努力したといっても、所詮は付け焼刃にすぎない。勉強というのは、やはり日々のコツコツとした積み重ねがあってこそ、その結果が試験の点数として跳ね返ってくるものなのである。
 そして、全教科の答案用紙が返されてから二日後、担任教師が帰りのホームルームで、クラス順位、学年順位の記された用紙を生徒一人一人に手渡した。
 名前を呼ばれた高木も、緊張しながらその用紙を受け取った。席に戻り、恐る恐るそれを見る。
「……………」
 高木は大きくうな垂れた。百十二番。目標には全く手の届かない順位だった。


 誰もいなくなった放課後の教室、高木が力なく席に座っていると、そんな高木の元に英子がやってきた。そして、伺うような視線で高木を見る。
「どうだった―――って、その様子を見る限り、訊くまでもないわね」
 うつむいていた顔を高木は上げた。
「……ごめん」
「あ、謝ることないわよ。高木はよくやったもん。それで、何番だったの?」
「百十二」
 英子は大きく目を見開いた。
「すごいじゃない! それって、今までより二百番近くも成績上がったってことでしょう?! すごいわ、それってすごいことよ!」
「うん、そうだけど…」
 弱々しい笑みを高木は漏らす。
「でも、委員長に好きな女の名前を教えてはもらえない。それじゃ意味がない。ごめんな、英子。役に立てなかったな」
「そ、そんな…」
 辛い顔をして黙りこんでしまった英子だったが、やがて笑顔で言った。
「もういいのよ、それは。委員長の好きな子のことは、もういい。興味なくなっちゃった」
 え、と高木が驚いたように顔を上げる。
「なんで? だって、あいつのこと好きなんだろう?」
「そうだったんだけど…実は他に好きな人ができたの。だから、委員長のことはもういい」
「えぇ――――っ?!」
 高木は勢いよく立ち上がった。
「ちょっと待て! それってどういうことだよ。俺のこれまでの苦労は一体なんのためだ?! ふざけるなよ!」
「なに言ってんの。結局は目的果たせなかったじゃない。それじゃ、なにもやらなかったのと同じよ」
 酷い言われような気がするが、英子の言っていることが真実なだけに、高木としては反論できない。ぐっと奥歯を噛みしめる。
「でも…確かにそうだけど……それじゃ俺の気が治まらない! せめて次に好きになったヤツの名前を教えろ! 誰なんだ?!」
「嫌よ。なんであんたなんかに」
「俺にはその権利がある! 委員長の条件飲むため、死ぬほどがんばったんだからな! 教えろ!!」
 いきり立つ高木を前に、英子は肩をすくめた。
「うるさいわねぇ。分かったわよ、教えればいいんでしょう、教えれば。―――――あんたよ」
「そうか、俺か! ―――って、えぇ?! お、俺?!」
 口を大きく開いたまま、高木は自分の顔を指差す。英子はうなずいた。
「そうよ、あんたよ。ああ、でも、あんたが麻理を好きなことは知ってるから、だから彼女になりたいだなんて思ってないから安心して。約束通り麻理にもちゃんと言っとく。あんたがどんなにがんばり屋さんで、義理堅くて、優しくて、やればできる男なのかってこと」
 放心したように、高木はよろよろと椅子に座り込んだ。
「マジかよ…」
「マジよ。それじゃ、あたし帰るね。麻理と上手くいくといいわね。じゃあ」
 手の平をひらひらさせ、教室から出て行こうとした英子を、なんとか動揺から立ち直った高木は慌てて追いかけ、その腕をとった。
「待てよ。俺も! 俺も英子のことが好きだ!」
「え?」
 英子が驚いたように振り返った。
「なに言ってんの、嘘でしょう……?」
「いや、ホントにホント!」
 叫ぶように高木は言う。
「一緒に勉強している内に好きになった! 夜のメールのやり取りが楽しくて仕方なかった! いっぱい元気もらえて、あれのおかげで俺はへこたれずにがんばれた! 俺、おまえが好きだ!!」
 英子の顔が真っ赤に染まる。
「あ、あたしも同じ。毎日一緒にいる内に、高木のことが好きになった。メールの返信、すごく楽しみにしてた。一緒に勉強しなくなって、毎日がものすごくつまらなくなった。……すごく寂しかった」
 それを聞いた高木の顔も赤くなる。
「その…俺と付き合ってくれる?」
「うん……うんっ!」
 これまで誰にも見せたことのないような笑顔を、二人は互いに見せ合った。

 さて、そんな二人の幸せそうな様子を、廊下からこっそり垣間見ていた者がいる。委員長、こと山根である。
「なんだ、思ったよりアッサリとくっついたな」
 小さくそう呟くと、静かにその場を後にした。
 山根は人とつるむタイプではない。なので、教室では一人でいることが多い。そして、一人でなにをしているのかというと、読書か、あるいは人間ウォッチングかのどちらかである。
 そんな山根であるから、クラスメートのことは話をあまりしないながらも、実は誰よりもよく分かっていた。もちろん、あからさまにモーションをかけてくる英子が、自分に好意を持っていることも。
 だから、高木が好みのタイプを聞きに来た時、それが誰の差し金であるかも分かったし、彼がどんな弱みで英子の言いなりになっているのかにも、すぐにピンときたのだ。
 実は山根、クラスメートをこっそりウォッチングする日々の中で、常々思っていたことがある。それは、高木と英子の二人がもし付き合えば、それはとてもお似合いのカップルになりそうな気がする、といったものだった。見た目的にも性格的にも、とてもバランスのとれた彼氏彼女になるに違いないと、そう思っていたのである。
 だから無理難題を押し付けた。
「俺の好きな人が知りたければ、一万円払うか次の試験で五十番以内に入ってみろ」
 そう言っておけば、英子の性格上から考えて、絶対に高木に猛勉強を強いるはずだ。そして、優しい彼女は高木一人に勉強を押し付けたりはせず、一緒に勉強しようと言い出すに決まっている。結果、二人の距離は急激に縮まることになる。
 英子には悪いが山根は彼女になんの感情も持ってなく、頻繁なアプローチを迷惑とまではいかなくても、少々ウザイと思っていた。それに、しっかり者の英子が彼女になってくれれば、だらしないところのある高木も、もう少ししっかりするだろう。宿題を見せろと言ってくる回数も減るに違いない。
 そんなワケで、もし二人がくっついてくれれば、それは山根にとって一石二鳥だったのである。そして、先ほどの教室での出来事を見る限り、どうやら望んだ通りの結果になったようだ。
 自分の目論見通りになったことで機嫌をよくした山根は、歩きながら思わずにっこりと微笑んだ。そして、彼ら二人に対し、心の中で「おめでとう」と呟く。
 後は二人の交際がどれくらい続くことになるのか、それが気になるところではあるが、多分、きっと長く続く。そうだといいな、と山根は思った。二人の縁結びの役割りを果たした仲人にでもなったような、そんな気持ちからである。
 でも、そのことは二人には内緒だ。言わないままの方がいい。
 そしてもう一つ、二人には内緒にしておかなければならないことがある。
「俺の好きな女ってのが、家で飼っている猫のミィのことだって知ったら、きっと高木のやつ怒るだろうなぁ。でも、相手が人間だなんて俺はひと言も言ってないから、嘘をついたわけじゃないけどね」
 人知れず小さくそう呟くと、山根はにこにこしながら帰宅の途についたのだった。



      おわり

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