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結果オーライ! 作者:鳴海 葉子

第1回   1
「おおーい、委員長!」
 ホームルームも終わった教室の中、山根が帰りの身支度をしていると、クラスメートの高木が声をかけてきた。
 顔を上げた山根の視界に、見るからに明るく、そして、元気そうな少年の姿が入ってくる。
「なんだ?」
「うん、実はお願いがあるんだけどさ。明後日提出の英語の宿題、終わってたら写させてくんねーか。頼むよ、委員長。この通り!」
 頭を下げ、拝むように手を合わせる高木を、山根は呆れたような表情で見る。
「まだ時間があるじゃないか。自分でやったら?」
「やれるもんなら、とっくにやってるさ」
 泣きそうな顔で高木は叫ぶ。
「でも無理なんだ。おまえだって知ってんだろ、俺が英語大の苦手だって!」
「おまえは英語だけでなく、全ての教科が大の苦手なんだろ」
「さーすが、よく分かっていらっしゃる」
 気分を害した様子もなく、高木は屈託のない笑顔を見せた。
「だから頼むよ。おねが〜い」
 山根はため息をついた。
「…分かったよ。その代わり、きっちり料金いただくからな。はい、五百円」
 手を出した山根を見て、高木は目を見開いた。
「えぇー、金取るのかよ?!」
「なに今さら驚いたフリしてるんだよ。俺が金を取るのはいつものことだろう。嫌ならいいんだぞ」
「でも、五百円はちょっと高くないか?」
「不満なら他をあたれ。俺はちっともかまわん」
 慌てて高木は取り繕うような笑顔をみせる。
「いやいや、不満だなんてとんでもない! 払う、払いますよ」
 高木は制服のポケットから財布を取り出すと、そこから五百円玉を指でつまみあげた。名残惜しそうにそれを見つめていたところで、横から山根がさっとその五百円をかすめとる、
「あああっ、俺の五百円!」
 情けない声をあげた高木に、山根が笑顔でこう言った。
「はい、まいどあり」
 そして、カバンからノートを出して中身を確認すると、それを高木に差し出した。
「持って返っていいぞ。でも、明日には返せよな」
「助かるよ。サンキュ」
「なに、ギブアンドテイクだ。でも、おまえもう少しちゃんと勉強した方がいいぞ。今年は大学受験だぞ。分かってるか?」
「へへへ、俺はいいんだよ。なんてったって専門学校志望だかんな。名前さえまともに書いときゃ受かるんだよ」
 余裕に満ちた顔で高木がそう言った時、クラスメートの野中英子が二人のところにやってきた。ショートカットのよく似合う、目鼻立ちのはっきりとした、なかなかかわいい子である。
「なになに、なにやってんの? あ、もしかして明後日の英語の宿題? しまった、なんにもやってない。委員長、あたしにもノート貸して」
「いいよ。料金は三百円ね」
 山根の言葉を聞いた高木が、納得いかない顔をする。
「なんで俺より安いんだよ? 贔屓だ、贔屓!」
「女性割引でしょ? それとも、あたしがカワイイからかしら? ねえ、どうなのよ委員長?」
 流し目で自分を見る英子からの視線を、表情を変えることなく山根は受け止めた。
「そんなんじゃない。そっちが通常料金だ。高木の方が割増料金になってる」
 さらりとそう言った山根を見て、英子が肩をすくめてつまらなそうな顔をした。
 高木が山根に食って掛かる。
「なんで俺は割増料金なんだよ?!」
「おまえは回数が多すぎるんだよ。割り増しされるのが嫌なら、もうちょっとまともに宿題くらいやれ」
 カバンを持つと山根は立ち上がった。
「それじゃ、俺は帰る。高木、明日必ずノート持ってこいよ。そして、野中にまわしてくれ」
 歩き出した山根の背中に、慌てて英子が声をかけた。
「あ、待ってよ! 同じ方向だし、駅まで一緒に帰ろう?」
 山根は振り向かずに手だけを振り、そのまま教室を出て行ってしまった。
「んもう、つれないんだから」
 両手を腰におき、頬をふくらませた英子を見て、高木がにやにや笑った。
「あれ、もしかして英子って委員長狙い?」
「実はそうなのよね」
 それを聞いた高木が飛び上がる。
「マジで?! 俺、冗談のつもりで言ったんだけど。でも、なんで?! なんでお前が委員長を?」
 高木が驚くのも無理はない。英子はクラスでも、男子生徒からかなり人気のある女の子である。顔がかわいくて、短い制服のスカートの下から伸びるスラリとした長い足が魅力的で、性格も明るく誰とでもすぐに友達になれるタイプだから、それも当然である。
 一方、そんな英子から想いを寄せられているらしい山根はというと、無愛想であまり笑顔をみせることのない、どちらかというと人付き合いの悪いタイプの男である。成績は学年でも五本の指に入るという秀才ではあるが、運動神経と容姿はごく普通だ。みんなから委員長と呼ばれているが、実は彼がこれまでクラス委員長をしたことは、高校に入って一度しかない。ボランティアでクラスメートの世話を焼くなんて面倒なこと、まっぴら御免といった感じの雰囲気を持っている。さき程のように、クラスメートに宿題を見せるくらいのことでも、無償ではなく金を取るくらいだ。
 そんな山根がどうしてみんなから委員長と呼ばれているのかというと、以前に一度だけ、高校一年の時に彼が委員長をやった際、無駄がなく効率のよい、とても優れた統率力を発揮してみせたからである。その時はじゃんけんで負けて渋々クラス委員を引き受けたのであるが、やるからには徹底的にやる、といった性格の持ち主であることを周囲の人間に見せ付けた。責任感をもしっかり持ち合わせているらしい。
 その後、山根がクラス委員を務めたことは一度もないが、彼のカリスマ委員長振りはあっという間に学年中に広がり、いつの間にかみんなから「委員長」と呼ばれるようになってしまったのである。
 しかし、だからと言って山根がみんなから好かれているかというと、そういうワケではない。無愛想だし、みんなとバカ話をして笑い合うこともない。一目おかれて尊敬されてはいるものの、やはり山根と他生徒たちとの間には、目に見えない壁があった。
 そんな山根を、クラスの人気者である英子が好いているという。高木の驚きも無理からぬことであった。
「しっかし、英子が委員長をねぇ。あいつも果報者だなぁ」
 感心したように高木が呟くと、それを聞いた英子が大きなため息をついた。
「でもねぇ、委員長ったら、さっきみたいに何気にアピールしてみても、全然食いついてきてくれないのよねぇ」
「実はホモなんじゃねぇ?」
「バカ言ってんじゃないの」
 そこでパッと英子は顔を輝かせた。
「そうだ! ねえ高木、あたしと委員長が上手くいくように、仲を取り持ってよ。確かあんたって、小学校からずっと委員長と同じ学校だったわよね」
「だからってなんで俺が?! 嫌だよ、そんな面倒なこと。だいたい、学校が同じだったからって、特別仲がいいってワケでもないんだから。他をあたってくれ!」
「でも、少なくとも他の人たちよりは知った仲でしょ。それに、ふふふ、あたしのお願いをきかないとは言わせないわよ?」
 意味深に英子が笑う。
「あたし知ってんだから。あんたが麻理のこと好きだってこと」
「うおぉっ?!」
「麻理に言っちゃおうかなぁー。高木は意地悪で不親切でロクでもないヤツだって。あたしと麻理が仲いいってこと、あんただって知ってるわよね?」
 苦虫を噛み潰したような顔を高木はする。
「き、汚ねーぞ!」
「ふふん、なんとでも言って。―――で、どうする? 協力する、しない?」
 高木はがっくりと肩を落とした。
「分かったよ。協力すりゃーいいんだろう、すりゃー!」
 顔の前で両手を組み合わせ、英子はにっこりと笑った。
「うわー、助かるぅ。高木いいやつ! きっと麻理も見直すよ♪」
「はいはい。で、俺はなにをすればいいわけ?」
 もうなんとでもなれ、といった心境で高木は問うた。英子は楽しそうな笑顔で言う。
「取り合えず、委員長に好きな子がいるかどうか探ってよ。それと、彼の好きな女の子のタイプもね。頼んだわよ。ちゃんとやってくれなかったら、あることないこと麻理に言っちゃうからね」
 それが人に物を頼む態度かよ、と思いながら、渋々ではあるが高木はうなずいた。弱みを握られているようなものなので、やらないわけにもいかない。
 そんなわけで、翌朝教室にやってきた山根に、早速高木は声をかけた。
「ようっ、委員長。突然で悪いんだけど、おまえって好きな女とかいる?」
「……朝っぱらからなにを言っているんだ。この時間になっても、まだ寝ぼけてるのか。顔を洗ってこい」
 呆れたような不機嫌そうな、そんな表情の山根に、高木は愛想笑いをしながら尚も言う。
「いや、それだけじゃなくて、ついでに、好みのタイプも教えてくれるとありがたいんだけど。おまえ、どんな女が好きなんだ?」
「脳に変な菌でも入ったか? 病院に行け」
 無視して自分の席につこうとした山根に、高木は泣きそうな顔をして取りすがった。
「ま、待ってくれよ、委員長。頼むから教えてくれ。でないと、俺の青春はめちゃくちゃになるんだ!」
「知ったことか」
「そんな冷たいこと言うなよ。小中学校が同じだった仲じゃないか」
「だからと言って、特におまえと仲がよかった記憶もないが」
「うん、それは俺も。……いや、そうじゃなくて、頼むから教えてくれよ! なあ、委員長!!」
 必死の形相の高木を見て、さすがの山根も少し考える素振りを見せた。
「仕方がない。でも、いつもの通りギブアンドテイクだ。金を払え、そしたら教えてやらんこともない」
「金?!」
 抗議の声をあげようとして、高木はなんとか踏みとどまった。考えてみれば、金で解決できるのなら、それにこしたことはない。正直、絶対に教えてもらえないだろうと、そう思っていたのだから。
「分かった、金を払う。いくらだ?」
「質問一つにつき千円」
「千円?!」
 高木はあんぐりと口を開く。
「いくらなんでも、そりゃボッタクリすぎだろう?!」
「なにを言う。プライベート情報だぞ。宿題と一緒にするな。これでもかなり割引した金額だ」
 うーん、と腕を組んだ高木は、少し考えた末に渋々ながらうなずいた。
「分かったよ。払うよ、払えばいいんだろう」
「前払いでよろしく」
 高木は財布から千円札を二枚取り出すと、それを山根の胸に押し付けた。
「ほら、コレで文句ねーだろう。じゃ、早速教えてくれ。おまえ、どんなタイプの女が好きなんだ?」
「人に対して細かい配慮のできる、思いやりのあるタイプ」
「顔は?」
「どうでもいい」
 なるほどなるほど、と高木はその情報を忘れないよう、頭の中のメモ帳にしっかり書き込んだ。
「んじゃ、次の質問な。今現在付き合っている女、もしくは好きな女はいるのか?」
「付き合っている女はいない。でも、好きな女はいる」
「えぇーっ! おまえに好きな女がいるのぉ?!」
 あからさまに驚く高木を、山根はジロリとにらみつけた。
「なんだ、その驚きようは。失礼なヤツだな」
「いや、ちょっと意外だったもんで……ははは」
 笑いながら頭をかく高木であったが、しかし、こうなってくると、その好きな女っていうの誰なのかが気になってくる。というか、それを聞いておかなけりゃ、後でまた英子に嫌味を言われるに違いない。
「ちなみにだけど、金払ったらその好きな相手が誰かってのも教えてくれんのか?」
「いいけど、その場合の料金は一万円」
「いっ……?!」
「当たり前だろ。それくらい払ってもらわなければ、赤の他人に自分の好きな女なんか教えられんわ」
 山根の言うことももっともである。しかし、知りたい。けど、一万円なんて払えるわけがない。
「な、なあ、その金額、もうちょっとなんとかならないか? いくらなんでも、その金額はちょっと……」
 無駄であることは分かっていながらも、つい媚びるようにそう言ってみた高木に、山根が驚くような返事を返してきた。
「いいよ。俺の言う条件飲めたら、無料で教えてやる」
「マジかよ?! え、なになに、なにすればいいんだ?」
「二週間後から始まる期末試験、それで学年五十番以内に入ってみろ。そうしたら、金は取らずに教えてやるよ」
 にやりと笑った山根の前で、高木は思いっきり恨めしそうな顔をする。
「そんなの無理に決まってんだろ! 俺、いつも三百番代だぞ。よくて二百番代の後半だ」
「だったら金を払え。もしくはあきらめるんだな」
「そ、そんなこと言ったって……」
 高木は力なく首をうなだれた。金を払うもの五十番以内に入るのも、どちらにしろ無理に決まっている。
 取り合えず、なんとか手にすることのできた二つの情報を持って、英子のところに行ってみた。すると、半ば予想していたことではあるが、英子は鼻息を荒くしてこう言ったのである。
「高木、次の期末試験、なにがなんでも五十番以内に入るのよ!」
 高木は大きなため息をついた。
「無茶言うなよ。逆立ちしたって無理だぜ」
「無茶じゃない! 成せば成る! やる前からあきらめてんじゃないわよ!」
「そんなこと言ったって…」
「なにもあんた一人に辛い思いをさせようとは思ってないわよ。あたしも勉強付き合うから。ね? 二人でこの難局を乗り切ろう!!」
 握った拳を高くかざし、意気揚々とやる気をみなぎらせる英子ではあるが、高木にしてみればいい迷惑である。なんで俺が、とか思いながらも、やらなければ麻理に悪口言われるに決まっているので反論もできない。
 そんなワケで、早速その日の放課後から、二人は一緒に勉強することになったのである。場所は勉強するのに快適な環境、学校の図書室を利用することにした。静かだし、二人の他にも勉強したり調べ物をしている生徒がいるので、人目を気にすることもない。
「あたしの成績が大体いつも百番前後だから、それよりももっと良くならなきゃ。さっ、今日はとりあえず数学。教科書の問題、片っ端から解いていくのよ。質問があったら遠慮なく言って。あたしにも分からない時は、先生に質問しに行こう」
「はぁ〜い」
「家でもちゃんとやるのよ。特に、高木が一番苦手だっていう英語は、試験範囲内の教科書に出てくる単語、すべて覚えてもらからね! 一週間かけて、少しずつでいいから全部完璧に覚えてね」
「ゲー」
 既にやる気を失くした様子の高木を、英子はじろりとにらみつける。
「数学と英語だけじゃないんだからね。国語も社会も理科も、その他にも保健体育やら美術だってあるんだから。シャキっとしないさい、シャキっと! 成績上がれば、きっと麻理からの印象だって良くなる。それを励みにがんばんなさい!」
「……うぃ〜っす」
 小声で乗り気ない返事をすると、高木は教科書とノートを広げ、頭をかきながら数学の問題と格闘しはじめた。
 しかし、本音を言うならば、冗談じゃない、とんだトバッチリだと高木は思っていた。山根の好きな女を知るために、どうして自分がこんな苦労をしなければならないのか。
 でもまあ、確かに英子の言う通り、成績があがると麻理が見直してくれるかもしれない。そう思うと、少しだけやる気が出てきた。というか、そうでも考えない限り、勉強に身なんて入らない。
 それに。
 ふと高木は、隣に座る英子の顔を視線だけで盗み見た。
 好きな男がいて、その男には別に好きな女がいることが分かったのだから、その心中は穏やかではいられないだろう。その相手の女をつきとめたいという気持ちも、まあ分からないではない。逆の立場だったら、自分だって麻理の好きな男を知りたいと、そう思うだろう。
 しかし、何故よりにもよって山根なのか。英子ならば、他にいくらでもいい男と付き合えるはずだと高木は思う。実際、英子に恋心を持っている男を、高木は何人か知っている。その男たちは、成績を除けば山根に引けを取らないどころか、容姿にしろ性格にしろ勝っているところが多いように思える。
 好きになる相手は選べないもんな。切ないよなぁ、恋ってやつは。
 そう思いながら、高木はまた数学の問題に取り組み始めた。どこまでやれるかは分からない。でも、英子のためと自分のために、ちょっと真面目にがんばってみようと、そう思った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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