廊下は狭く、どこまでも進んでいるかのように見えて、実はすぐ近くに大きな玉座が存在していた。 そこに座っているのは一人の人間。 ローブに身を包み、背はセレナ位小さく、髪はローブからはみ出ているが、赤く血のような色をしていた。 笑っているのか、澄み切った声が聞こえる。 「炎の闘士、クラウドか……よく来たな」 「あぁ。久しぶりだな、ヨガンドルフ……」 ダークブラウンの髪を靡かせ、右手には炎を装填しているクラウド。 既に臨戦態勢であった。 それを見て、ヨガンドルフは薄く笑う。 「あのレイヤーの連れ子が、ここまで成長するとはな」 「何!!?」 その言葉を聞いた瞬間、クラウドは驚愕した。 たしかに彼は一度、このヨガンドルフの姿を見ていた。 幼少の頃、村が焼かれるその日、彼は一度だけその姿を見ていた。 全身をローブで覆い、疲れた老人のような声で道を聞いてきたこの魔術師を。 しかし、彼とレイヤーに接点など無かった筈だ。 それを、何故知っているのか、彼には不思議であった。 「お前は何も知らずに生きてきた。ただ事実だけを見て、事情など聞かず、ただあの男の世迷いごとに騙されてきたのだよ」 「なんだと……?」 世迷いごととか何も知らずとか、彼にとっては意味不明な言葉を出し続けるローブの姿のヨガンドルフ。 彼は薄っすら笑うと、口を開いた。 「八年前のあの火事。主犯はレイヤーだ」 「!!??」 思わぬ事実に、彼の表情は驚愕に歪む。 八年前、家族や村の人間全てを焼き尽くしたあの火事の原因は、全てあのレイヤーという男にあったというのだ。 「そしてレナは何も知らずに、家族と共に異国の地に飛ばされたのだよ。奴の召還した悪魔の魔法によってな……」 「そんな……」 ――じゃあ、あいつは何も知らずに…… 嘘だと思いたかった。 そうと思わなければ、彼は今まで、どうしてレナを嫌っていたのだろう。 何度も傷つけた。何度も悲しませた。 自分を捨てた姉を、慕う事などできないと言わんばかりに、彼は子供っぽい意地悪を彼女にしていたのだ。 それが、ただ単に勘違いだと言われた。 どれほどクラウドが、今までレナに行った行為を悔やんだかは想像に難くない。 「本当だ。貴様は見捨てられたのではない。レイヤーはお前が森の中に入ったのを見計らった後、村の全てを焼き尽くしたのだ」 ならば、どうしてレイヤーだけが生きていたのか、そしてどうして真っ先に自分の所に着たのか、容易に答えが出せる。 レイヤーは自分を連れ、嘘を教える事によって、あの事故で自分は姉に捨てられたのだと思い込ませ、憎ませ、こうしてヨガンドルフの行う悪事に利用しようとしたのだ。 そんな男を、自分はティセとシィルに会うまで、ずっと慕っていた。 自分はなんて愚かな男なのだろう。 そんな考えが、クラウドの脳裏を過ぎる。 「お前は……何を……?」 ならばこの魔術師は、何の為にあの村にいたのだろうか。 すると、魔術師は笑って歌うように答える。 「私か?ただあの男に、悪魔召還の術を教えてやったに過ぎん。所詮あれは奴には扱いこなせない代物だったからな……」 悪魔召還の魔法は禁じられた秘法であり、ただの一般魔術師程度が、おいそれと使えるものではない。仮に召還に成功したとしても、上手く使役できずに殺されるか、魂の契約に利用され、破滅に追い込まれるかのいずれかだ。 すると、ヨガンドルフはどうしてそんな秘術を教えたのか。 そんな考えが頭に浮かぶと、魔術師はまた薄く笑って答える。
「召還魔法はな、女にしか使えないのだ」
「!!??」 それはなんという事実なのだろう。 もはや彼にとってこの事実は、驚愕の意味を超えていた。 「女の力を持ってして、初めて悪魔の召還が可能となる。どれだけ魔法の才があったとしても、男に悪魔を使役する力はない」 魔術師で、それも過去あらゆる悪事を行ってきたヨガンドルフが言うのだから、それはまさしく本当の事なのだろう。 たしかに召還は女性にしかできない。 召還だけでなく、魔術全般に対し、男性にはよほどの知識と体質がなければ、そう簡単に魔術を使えるものではない。できたとしてもヨガンドルフのような、それこそ悪魔じみた破壊力を持つ魔法などできようものがない。 この魔術師にはできるだろうが、ただの人間には絶対にできない。 「まさか……じゃあなんでレイヤーは生きてた!?」 そう。それがクラウドの疑問だ。 レイヤーはれっきとした男で、レナの恋人だった。 ならばどうしてあの男に、女性にしか使えない召還が使えたのであろうか。 すると、またもこの魔術師は不敵に笑い、彼を見下ろす。 「あの男は村の少女幾人かの命を生贄に、呼び出したに過ぎん。呼んでおいて使役ができないと分かると、あの男は悪魔を魔界に戻した。使役した所で、あの男が操れるほど悪魔は馬鹿ではないからな」 まるで昔の男でも嘲笑うかのようなしぐさをするヨガンドルフ。 それを見て少し違和感を覚えたクラウドだったが、さほど気にはしなかった。 「じゃあ……?」 きっとレナも、きっとレイヤーの二枚舌に上手く騙されたのであろう。 悪魔によって異国に飛ばされ、離れ離れになった弟といつか再会できるだろうと心待ちにしていたに違いない。 本当は、あの時抱きしめたかったのだろう。 それを堪え、憎まれ役をあえて演じたのだとしたら。
――馬鹿なのは俺だった……
彼はそんな残虐なレイヤーに騙され、自分を愛してくれていた姉を憎んでいた。その事実を、更によりにもよって、こんな魔術師に教えられるとは。 今までの彼の人生の中で、一番の後悔かもしれない。 「あの娘も不憫だったな……ずっと弟として慕っていたお前と離れ離れにされ、いざ再会できたと思ったらその弟に、自分を捨てた姉、と思われたのだから」 「……!」 薄っすらと笑うヨガンドルフに、舌打ちし、俯くクラウド。 自分は今の今まで、最大の失態を犯していたのかもしれない。 自分を捨てたと思った姉が、ノエルで自分の帰りを待っていて、それを自分は無駄にしようとしていたのだ。 全てを話さなかったのではなく、話せなかった。 何を話せようか。気がついたら自分と離れ離れになっていて、訳が分からないまま彼を必至に探し当てたのだから、その感動はいかなるものか、そしてそれをその弟によって毛嫌いされ、どれだけ悲しかったのか、想像するだけで己が憎く思える。 俯き、暫く黙ると、再度勇気を振り絞って赤い魔術師を見る。 「……もう一つ、聞いていいか?」 「いいだろう。何でも聞け」 もはや余裕ができたのか、見下ろしながら、彼を品定めするヨガンドルフ。 それをみて、クラウドの怒りは既に沸点を迎えていた。 「何で俺にこんな事を教えた?」 それがクラウドにとって、最大の疑問点だった。 これから殺す相手にこのような事実を教えた所で、彼の戦意喪失を手伝う事にはならない。むしろ却って火に油を注ぐだけだ。 それをあえてしたのだから、何か意図があるに違いない。 わずかに残った理性を総動員させ、彼は質問していた。 すると、思わぬ言葉が、この魔術師から出てきた。 「お前は使えるからだ」 「何?」 一瞬、何の事か分からなかった。 しかし、それでも続けるヨガンドルフ。
「魔姫の力を持った少女を操れ、氷の貴公子と打倒しうる素質を持つただ一人の闘士。お前と組めばこの世界を手中に収める事ができる」
「なっ……!」 その言葉に、彼は怒りを超えて悲しみさえ浮かぶ。 この魔術師は勘違いしているのだ。 自分はティセを操っているのではない。彼女が彼を慕い付いてきてくれているだけ。 そして貴公子、もといファナなんかよりも断然弱い。一度は勝てたがそれも偶然だ。もう一度戦えば、今度こそ自分は命を失うであろう。 こんな自分と組んだ所で、世界など手にする事はできない。 加えて、組むつもりすらない。 「私を憎み、私の力を嫌い、蔑んだこの世界の愚民を、全て残らず滅ぼすことが可能。そして新たに民を選任できるのだ。素晴らしかろう?」 「ざけるな。かのメソポタミア王国でも造ろうって言うのか?お前はギルガメッシュにでもなったつもりかよ……」 魔術師のイカレタ言動に、思わず叫ぶクラウド。 この魔術師は狂っている。そんな感じさえ漂わせている。 世界の人々に憎まれ、力を嫌ったのは、それをこの魔術師が悪用したからであり、それを全て残らず滅ぼすどころか、挙句に民を選任するなどと、まるでどこかの宗教の教祖が話すようなヨタ話に聞こえ、思わず寒気が来た。 すると、そんなクラウドの叫びを聞き、尚も魔術師は笑う。 「そうだ。そしてお前にはエンキドゥになってもらう」 この魔術師は、自分に部下になれ、と言っているのだ。 しかしこんな自分なんかと組んだ所で、一体どうなるというのだろうか。 ファナに勝ったのは偶然であり、たまたま虚を付けたから勝利に終わっただけで、本気でぶつかったら、恐らくあっけなく敗退するのは目に見えている。 魔姫を操るだなんてとんでもない。自分はティセをそんな風に扱った事はないし、する気にもなれない。何故ならそれは、彼女の親友で、尚且つ自分の恋人であるシィルが最も嫌う事だ。操るだなんて言ったら彼女に嫌われてしまう。 「さぁ、私と共に来い」 この魔術師は、何を勘違いしているのか。 溜息さえ出てしまったクラウドであった。 こんな自分に力があると思う事自体が儚い。 しかし所詮何を言ったところで、この魔術師には、クラウドの強い部分だけしか見ていないのだろう。 「嫌だね」 「?」 だから彼にとっては予想通りの、しかしヨガンドルフにとっては予想に反する答えを、彼は大きな声で口にした。 「どんな理由があって世界を滅ぼすとか言うかは知らないけど……お前みたいに人々から蔑まされてきて、それでも必至に人を信じようとしている人がいるんだ」 もしかしたらこの魔術師は、自分の想像とは大違いの、悲しい人生を歩んできたのかもしれない。多くの悲しみと絶望を受け、世界中を敵に回し、それでこの世界を壊したいと思っているのなら、彼とて同情はする。 しかしこの魔術師とは違い、生まれた時から人々に蔑まされてきて、それでも必至に今を生きて、こんな自分を救ってくれている少女を、彼は知っている。 人々から敵視され、過去何度命を狙われようとも、健気に人を信じ、天使の様な無垢な笑みを見せてくれる少女を、彼は知っている。 だからこそ、こうしてヤケを起こしている人を、黙って見ている訳にはいかなかった。 「……交渉決裂、か。仕方あるまい」 すると突然玉座から立ち上がるヨガンドルフ。 否、立ち上がった様に見えるが、浮いていた。 そのまま片手を掲げると、左手から大量の光の粒が現れる。 「どんな兵器でも、使えなければ意味がない」 「人を兵器扱いするな!」 クラウドがそう怒号を浴びせたその時だった。 彼はほんの一瞬、しかし見てしまった。 ヨガンドルフの目を。 誰からも嫌われ、蔑まされてきた、色あせた悲しい目を。
「兵器だ。お前も私も……国の連中からみれば立派な殺戮兵器だ!!」
しかし、そんな魔術師への同情も束の間だった。 クラウドの同情の表情が、一転して恐怖と驚愕の色に染まるのは、そう時間のかかる事ではなかった。
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