作戦は完璧な筈だった。 戦闘能力が二人と比べて圧倒的に少ない二人は、非常用出口から牢獄に向かって一直線に進み、ついに牢獄のある部屋まで来ていた。 後は囚われている魔姫を救い出し、クラウド達と合流したら一気にヨガンドルフを打ちのめす。作戦はそこで完璧な形で終わる筈であった。 しかし、そこには絶対会いたくない物が立っていた。
「……聞いてない」 「ボクだって聞いてないよこんな事……」
二人は既に体力が持たなかった。 無論敵はいなかった。 だが予想もしなかった大物の登場により、二人はこうして戦わざるを得られなかった。 「どうしたセレナ君にシィル君……君達はティセリア君を奪還しに来たのだろう?ならばここで足止めされている場合ではない筈だが?」 黒衣の服に身を包み、尖った耳に赤い目。片目には黒い眼帯を付けていて、その闘気の濃さに、身震いさえ覚えてしまう。 セレナにとって彼、フィードと戦うのはこれが二度目だった。 「うわぁ、足止めしている奴が言えたセリフ?」 「……随分と余裕」 シィルは後ろに下がり、専らセレナの傷を回復していく。 聖典も、彼の不意打ちからセレナを守る為に一回使ってしまい、許容量は後二回。 内一回は、この悪魔になんとしても当てなければならないのだが、果たして一発で倒せるかどうかも分からない。 だからこそ、そう簡単には使えない。 「こうなったら、何とかするしかないか……」 闘気を集め、幾重もの水のカマイタチを作るセレナ。 それを見て、フィードは眼帯を手に取り、薄く笑う。 「無駄だ。君達が人間である以上、悪魔である私には傷一つ付けられぬよ」 「どうかな?」 反対に笑ってみせるセレナ。 しかしそれは大きなハッタリだ。 自分がただの人間である以上、悪魔である彼には傷一つつけたところで、復元されて無意味に終わってしまうのは明確。 しかしここで死ぬ訳にはいかない。 シィルが一撃必殺の武器しか持ち合わせていない以上、その決定的の瞬間までは自分が戦わなければならない。 ここで自分が死ねば、シィルも、そして助ける筈のティセも彼に取られてしまう。 そうなれば、それで誰よりも悲しむのはクラウドだ。 別にあの男には何の感情も抱いていない。 しかし自分でも分からないが、彼を悲しませる事だけはしたくない。 その為にティセを、そして後ろにいる恋人を死なせる行為だけはしてはいけない。 「行けぇぇ!!!」 水の刃を時間差で飛ばし、そのままシィルを連れて走り抜けるセレナ。 そしてフィードがその水の刃を、全て右手だけで弾き終わる時には、既に彼女達は彼の後ろについていた。 「今だ、シィル!!」 その言葉を聞き、彼はまたも薄く笑う。 何故なら、シィルはそう言った途端、急に後ろを振り返り、そのままセレナを置いて、奥へと走り去ってしまったからだ。
「シィル君は賢明だ。君も見習いたまえ」 それを聞いて、セレナは内心安堵した。
シィルが走っていった方向は他でもない、ティセが捕まっている牢獄だ。 しかもフィードは、そのシィルの行動が逃げるという意味にとれたのだろう。 どの位の距離があるかは分からないが、彼女が走ってティセのいる牢獄に着き、彼女を連れて戻ってくるまで数分は掛かる。 だからそれまで、彼女はたった一人で、この悪魔と戦わざるを得ない。 ――正直、キツイ…… ハッタリと気合いで押しのけてはいるものの、未だに悪魔と戦う際に、恐怖が体から染み付いて離れない。 彼女は人間だ。この悪魔の圧倒的なオーラを前に、一度は身震い、身動きが一切出来なかった。それだけ、悪魔の殺意、闘気は凄まじいものがある。 まして相手は自分が慕っている魔姫ティセをも打ち破った悪魔。 ある意味、ファナをも超える力を持っていても、不思議ではない。 どういう理由で手加減しているかは分からないが、もし本気を出せば、彼女程度なら紙屑を千切るかのように、いとも簡単に殺せるであろう。 「……一つ聞きたいが」 すると突然人差し指を立てて問いかけるフィード。 「君は私が怖くないのかね?」 その言葉に、彼女の胸の鼓動が、より一層早く、そして大きくなった。 人間が悪魔を見て、怖くない訳がない。 しかし、彼女の目的はこの男と戦い、時間を稼ぐ事にある。 薄笑いを浮かべざるを得ないのだ。
「別に。ヒーローは恐怖に屈してはいけないんだ」
ハッタリだ。それは理解している。 どんなにハッタリをしても、彼女は人間でしかもまだ半人前の闘士である。クラウドにすら勝てないこの少女が、このファナをも超える力の持ち主に、真正面からぶつかって勝てる見込みは万に一つだってあり得ない。 彼女がこの恐怖を跳ね除けていられる理由はたった一つしかない。 彼女が闘士ではなく、ヒーローだからだ。 「そうか……ならば君には、潔く死んでもらうとしよう。先程逃げた聖職者と魔姫の始末はその後でも遅くはない」 「させない。シィルもティセお姉ちゃんも……絶対死なせない」 ――たとえ自分の命に掛けても…… セレナは闘気を集めながら、クラウドが彼女に一番思ってほしくない事を思っていた。
もうすぐ日差しが高くなる。 そろそろあの悪魔が動き出し、自分の魂を喰らう頃であろう。 それでも構わない。 これであの人の姉は救われる。そうなればあの人は嬉しい筈だ。 自分が助かって、彼の姉の魂が悪魔に喰われるなんて事があったら、彼女はもう二度と彼の前に姿を晒す事なんてできないだろう。 それは誰よりも、自分自身が許さない。 自分の中にいる、人間である自分がそれを許さない。 「……」 何も語らず、何も見ず、ティセは俯いていた。 このまま彼が来なければいい。 このまま自分を置いて、姉と共にどこか別の国に行って、そこでシィルやセレナと幸せに過ごしてくれればいい。 今の彼なら、自分の力なんて無くても、あの氷の貴公子とも対等に渡り合える。 むしろ自分がいたら、彼を傷つけてしまうかもしれない。 何故なら、自分は彼の事が好きだから。 彼は優しい。だからこんな自分の想いにも答えようと努力するだろう。しかしそれは何よりも、彼の恋人を裏切る事になるのだ。 どちらも傷つけたくない。しかし自分が傷つきたくない。 だから、いっそ二人が来なければいい。 それはなんて身勝手な思いなのだろうか。自分でも分かっていた。 しかしそう思うしかなかった。 「でも、彼はシィルの恋人……」 そう。彼女とて、理解している。 自分の無二の親友、シィルは既に、彼の所有権を獲得している。自分がそれを奪い取るわけにはいかないのだ。彼女はどうか知らないが、ティセだったらたとえシィルにどんな事があったとしても、渡す事はしないであろう。 何時か彼が言っていた。 自分とシィル、二人の事は同じくらい好きだ。だから二人共幸せにすると。 しかし実際、彼はシィルの事しか見ていない。 それが何故か悔しかった。 「……」 黙り、俯き、目には涙を流すティセ。 こんな自分を必要としなくても、彼女には彼がいる。 いつも彼女の事を思い、助けてくれる彼がいる。 自分なんかがいなくても、彼女は充分幸せになれる。 「……帰ろう」 静かに、親友は告げる。 しかし彼女は呟いた。 「どうして……来たの?」 「え?」 彼女は少し、しかし彼女にしては珍しく、呆気にとられていた。 それも当然だ。助けに来た人にどうして来たのか聞かれても、一つしか答えは見つからない。しかしティセは、その一つの答えを聞くのが嫌だった。 なんて身勝手な理由だと思うが、嫌なものは嫌だった。 「どうして来たの?私は……あの人の身代わりに来たのに……私一人犠牲になれば、あの人もシィルもセレナちゃんも……」 そして彼も。その言葉を出しかけて押し黙ってしまった。 今更そんな事を、彼女に言った所で、何になると言うのだ。 そんな事を言われたからといって、潔く帰ってしまうような冷酷な人間には、彼女はなれない。そうでなければ、こんな自分と、長い間一緒に親友などやっていない。 「……帰ろう」 彼女に拒絶されたのにも関わらず、尚も、自分に静かに告げる少女。 きっと、彼女を心配して、皆して駆けつけたのだろう。そしてシィルが先にここに着いたので、彼女を助けようとしているのだ。 しかし、そんな彼女の優しささえも、今の自分にはとても痛かった。 「クラウドも待ってる。皆で帰……」 「嫌!!」 声を荒げ、まっすぐとシィルを見るティセ。 彼女は今まさに、ティセのいる牢獄の中に入ろうとしているさなかであった。しかし突然のティセの言葉に、思わず立ち止まる。 「……どうして?私、クラウドさんの事好きなんだよ?このままあの人といたら、シィルからクラウドさん、取り上げちゃうんだよ?そんなの良くないでしょ?」 何を言っているのだろうか。 それさえも分からず、ただ感情に任せて口を開くティセ。 自分も中にある、言いたくても言えなかった事実を口に出し、彼女はより一層自己嫌悪に陥ってしまった。 「ティ……セ……?」 「私だって好きよ。でもあの人が見ているのはシィル、貴方だけなの!私なんかいなくたっていい……貴方がいてくれさえいればあの人は幸せなの!!」 そう思うのが恐かった。 そう思ってしまったら、そしてもし彼が本当にそうだったらと思うと、彼女はそれだけで絶望してしまうであろう。 俯き、涙を大量に流しながら、力の無い声を絞り出している。 「だからもう帰って!そうじゃないと私……」 すると、次の瞬間、
――パシッ……
乾いた音が辺りに響き渡る。 右の平手が、ティセの白い頬を叩き、そこだけを赤く染める。 「……シィル」 「……馬鹿」 目を丸くしてシィルを見るティセに対し、目の前のシィルは、ティセと同じように涙を流しながら彼女を見ていた。 「クラウドにとっては、私もティセも一緒」 「……」 それは彼女も充分に理解している。 クラウドの中で、二人の優先順位などない。 「だから、どちらかがいなくても駄目。どちらかが死んでも駄目。何もかも、三人一緒でなかったら駄目……」 どちらを欠いても、やはり彼は幸せではない。二人がいつも彼と一緒にいて、初めて彼は幸せになる。 だから二人は彼と一緒にいて、彼を守っていこうと誓ったのだ。 「そう言ったのはティセ……」 「シィル……」 しかし彼女とクラウドに言わせれば、シィルこそお人好しだ。 彼女は、自分みたいな変な独占欲なんて持っていない。 いつだって自分とティセの事を考え、二人が幸せになる事をつねに考えている。 親友である自分を見捨てずにここまで来たのも、クラウドとひょんな事から恋人という関係になったのも、偶然とはいえ、彼女はそれを幸せに思っている。 なら、彼女の幸せ、そして彼女と一緒にクラウドを守るのは、誰なのか。 それは、言われなくても分かる。 「……だから帰ろう。クラウドが心配してる」 そう言って、彼女を縛っている鎖を解き放つシィル。 鎖はただの鉄に見えるが、それには悪魔の呪いが掛かっていて、ティセの魔姫の力を使っても外せなかった。 当たり前だ。魔の力と魔の力がぶつかった場合、より大きな力が勝る。それは何も魔の力に限っての事ではない。大自然の定説だった。 だからシィルは自分の聖典、ロンギヌスの力を使ったのだ。 聖なる力の前には、どんなに強力な魔も歯が立たない。 しかしシィル自身にそんな力はなく、結局彼女は、後二発しか撃てないロンギヌスの力を使ったのだ。 そこまでして彼女は、ティセを助けたかった。 そんな彼女の思いを察し、ティセの目からまたも涙が零れる。 「シィル…私……」 鎖が外れると、抱きつくように彼女の胸にも垂れるティセ。 大きな雫が床に落ち、手には少しばかり力が篭る。 それを優しく抱きしめると、彼女はホッと安心した顔になった。 「ごめん、自分ばっかりでティセの事……」 「ううん。私もごめんね、シィルを傷つけてばかり……」 手に少し力を込めて、彼女は安堵する。 自分が間違っていた。 何もかも三人一緒にするというのは自分が言っていた事なのに、それを自分は今、親友の為といって、放棄しようとしていたのだ。 迷惑を掛けたくないと言って、彼等を遠ざけようとして、シィルにまで当たろうとしていた自分を、目の前の彼女は許してくれた。 それだけで、全ての罪から開放された気分になるティセであった。 「…たまには、クラウドさんに甘えてもいい?」 「うん……一緒に甘えよう」 「だね」 そう言って互いの涙を拭くと、途端に笑みが戻る。 それを見て、シィルはやっと表情を和らげた。
――やっぱりティセは可愛い。 ――だから、私はティセが好き。 ――そして、そんなティセを好いてくれているクラウドも、好き……
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