「よく来たな貴公子ファナ。そしてカレンの一番弟子、クラウド」 「ノエル闘士団長……グラム」 その名前はレナも知っており、彼女はあまりの事実に一瞬、我が目を疑った。
ノエル闘士団長グラム。
ノエル王国を守る世界髄一の闘士達を束ねる、闘士の中の闘士。その闘気は圧倒的で、フィードのような中級悪魔さえも倒してしまえる程の力の持ち主だ。 かつてノエルの聖闘士だったアドルフ・ジュピターをも凌ぐ、圧倒的な闘気の持ち主を目の前にして、同じくバージニアの聖闘士を師に持つクラウドは驚愕した。 風の鎧と緑のガントレッドには、いずれも風の属性が付与してあり、四十代の精悍顔立ちをした、大柄な男であった。 「どういう事だ……何であんたが!!?」 叫ぶクラウドの前を、ファナが塞ぐ。 そして彼女の鋭い目にとてつもない怒りがこみ上げているのが分かると、彼もそれ以上口を開くのを止めた。 「クラウド、こいつはもうヨガンドルフの傀儡だ。奴の甘い言葉に乗せられ、自国を裏切った哀れな男だ」 「黙れ貴公子!!この国を守る為だ!!」 そう言って一歩前に出るグラム。 周りには誰もいない。闘士団は先日、ファナが一人残らず再起不能にまで打ちのめしたから、ここまで来たのは唯一逃げ切ったグラムだけだったようだ。 しかしクラウドが思い描いていた聖闘士と今の彼を比較して、愕然とする。 彼にとって聖闘士は、それこそカレンの様な人とは違えど、国を愛し、正義の為に悪を倒す、まさにセレナの言う「ヒーロー」に該当する人物だからだ。 しかし、今そこにいるグラムは、そんな風の聖闘士アドルフをも越える闘士だというのにも関わらず、その姿にはもはや正義の欠片すら見つからない。 彼は完全に、ヨガンドルフに操られているようだった。 「ふん。そんな事が、か?以前俺の国にもいたよ。そんな奴が」 「何?」 すると、ファナは口を開き、自国での話をした。 それはティセに話した事と同じ話。 とある宰相が、自国イドリーシアを守る為に、魔族に手を借りて国を乗っ取ろうとし。結局魔族に裏切られ、殺されるといった事件だった。 クラウドもそれを聞き、改めてファナがイドリーシアにとって、どれだけ重要な存在なのかを知り、また彼女を少しだけ尊敬していた。 手段はどうあれ、彼女はあの国にとってはまさに正義そのものなのだから。 「グラム……悪鬼の力を持って国を守って、そこに何がある?特にお前はただ利用されているだけの人形じゃないか。用が済んだら後は捨てられるだけだろう」 「ぐっ……」 それは彼とて知っていた。 ヨガンドルフは目的の為なら、たとえファナをも凌ぐ残虐な行為でも、それが当たり前なのかのように平然とする。 恐らく、自分は裏切られるという事を、どこかでグラムもまたわかっているのかもしれない。彼の額から垂れる冷たい汗がそれを物語っている。 「そんな事も分からなかったのか……これがかつて、ノエル最強の闘士だったというのだから呆れたものだ」
「え、え〜い黙れ黙れ黙れぇぇぇい!!国を守る為には、時に悪の力を用いなければならぬ時があるのだ。魔姫と手を組んだ貴様が言えたセリフか!!?」
それを聞いて、またもクラウドが驚愕した。 しかし無理もない。そもそもカレンのような存在が希少なのだ。国を守る為に、彼は悪魔の力を使わざるを得ない状況に陥ったのも分かる気がする。 こうして氷の貴公子が攻めてきたのだから。 しかし彼がその後言った、「魔姫と手を組んだ」などという言葉に、今度は逆にファナの方を半目で睨み付ける。 「お前……」 そこには明らかに、額から汗を垂らして動揺しているファナの姿があった。 あまりにコミカルなファナを見て、必至に笑いを堪えるレナ。 「さ、さぁて……覚悟はできているな?」 「誤魔化しやがって……」 ――後で追求してやる。 しかし今は戦いに集中しなければ、と思い直す。 と、レナに続いて笑ったのは、グラムであった。 「私に覚悟だと?アハハハ、笑わせてくれる」 「??」 すると突然自分の後ろを指差すグラム。 その歪んだ笑みが、闘士の名を穢した男の末路なのだと象徴しているかのようで、思わず目を背けたくなるクラウド。 「この風の聖闘士グラムを侮るでない!!たかが女子供如きに負けるようでは、ノエル闘士団長の名などとうに捨てているわ!!」 猛々しく怒号を聞かせるグラムを睨み付けるクラウド。 このような男を聖闘士などと、自分の信頼していたカレン・マーキュリーと同じ闘士だとはどうしても認めたくなかった。 「……それに魔姫なら、既に悪魔がその魂を喰っている頃ではないか?」 「なっ……!!?」 とうに闘士としての心をも失い、魔術師の道化となった彼の言葉に、クラウドの心の炎が勢い良く燃え盛りだした。 そして体制を崩し、彼に掴みかかろうとしたその時だった。
「アハハ、これだから女の考えというのは……」
その言葉を口にした瞬間、急にクラウドの顔が青ざめ、そしてちらっと、俯いたままのファナの顔を見て慌てて目を逸らす。 ――ピクッ… 俯き肩を震わし、拳をも振るわせる貴公子の姿を見て、レナも即座に事の重大さに気が付くと、彼女もまた一歩ずつ後ろに下がっていく。 「……うわぁ」 顔中に冷たい汗を浮かべながら愕然とする。 まさに無知とは罪なのだ。
――触れやがった。 ――あいつ……絶対に触れてはいけない部分に触れやがった。
ファナを知る者にとって、神をも恐れぬ行為だという事は違いない。 しかしこの男はクラウドとは違い、ファナの事は噂でしか聞いた事がなかった。 まして、この事実は実際に戦ったクラウド、ティセ、シィル、そしてかつて、ファナの側近であったセレナを含む、イドリーシア闘士団の面々しか知らない事。 なのでこの男を少しだけ哀れに思いつつも、レナとクラウドの両名は徐々に一歩ずつ、同時に後ろに下がっていく。 「貴様のような浅ましい女狐など、もはや闘士などとは呼べぬわ。これ以上闘士の名に傷がつかぬように、この俺が制裁を加えてやる」 未だに氷の貴公子の異変に気が付かないのか、又は自分の熱弁に彼女が精神的なダメージを受けていると思ったのか、尚も彼の弁は続いていく。 それが自分の首を絞める事になるとは知りもしないで。 「……女……狐?」 ――あらあら…… すると、ファナの小さな呟きと共に、彼女の周りを白いオーラが取り囲み、そこだけ温度が下がっていく。 思わず、ファナにしか聞こえない声の主までも、あまりのこの男の無謀さに、ついに何も言わなくなってしまった。 否、もしかしたら、グラムは勘違いしているのかもしれない。 よくいるのだ。彼女が女扱いされるのが嫌いだという言葉を、女扱いすれば簡単に戦意を失うと思い込み、死んでいった愚者が。 しかし彼女がそれで失うのは慈悲、そして哀れみのみで、戦意など失われるどころか、逆にそれが殺意へと変ってしまうのだ。 「どこがイドリーシアの英雄だ。貴様など、たかが浅ましい知恵で残虐な行為ばかりの、ただの蟷螂女ではないか」 「……蟷螂…女……?」 ――いやいや、それ以上は…… 心の中で必至に説得する二人と一声だったが、無駄だった。 「いや、蜘蛛女か?アハハハハハハハハハ!!!!」 とうとう言い終え、高笑いしてしまったグラム。 今、ここで彼の命運は決まった。 「……蜘蛛…女……?」 女、という語をやけに強調しているファナ。 こういう時は、きまって彼女はキレている。
――しーらないっと…… 「「俺(私)も、しーらないっと……」」
触らぬ神にたたり無し。昔の人は良い言葉を残している。 こうなってしまった彼女に下手なフォローなどしたら自分がとばっちりを受ける羽目になるし、だいたいこのような男を助ける為のフォローなど二人は勿論、ファナにしか聞こえない声の主でさえもしたいと思っていない。 そしてついにドアの所まで下がり、じっと傍観に決め込むクラウドとレナ。 やはり腐っても姉弟。気持ちは示し合わせたかのように一緒であった。 「アハハ、何だ?貴様のようなたかが女如き、左手だけで……??」 ようやく彼が気付いた時には既に遅し。 世界が凍りつく程の闘気に、グラムはふと前を見る。 そしてその瞬間、全身に絶対零度の闘気を纏った貴公子モードのファナを見て、グラムの顔が青く歪む。
「……よかろう。俺の全闘気をもって貴様を地獄の奥深くへと誘ってくれる。なに、三途の川を渡る路銀など必要ない。いっそ針山まで飛ばしてやろう!!」
――うわぁ、すんっごく怒ってる。 白く輝く絶対零度の闘気の筈なのに、どこか怒りの炎が見えるのは何故だろうか。 そして二人(と声一つ)が思うのは、何故彼女に、三途の川とか針山とか、東洋の地獄についての知識があるのかだったが、そんな事を聞いて、変なとばっちりを受けるのは嫌なので、黙っておく事にした。 「ファナさん……めぇっちゃくちゃ怒ってるね」 「さぁ、何分で死ぬかな。あのグラムって闘士」 もちろん、そう呟く声もまた、彼女に聞こえないように小さかった。
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