「へぇ、そんな事があったんですか?」 大して驚く風もなく、それでも開いた口を閉じれない位驚く男は、金髪に穏やかな顔立ちをしていて、白いエプロンに「Will」と書かれていた。 酒場のマスターである、ウィルだ。 今は早朝である為、酒場は閉じており、レナとウィルから朝ごはんをご馳走してもらうという事で、クラウド始め、シィル、ティセ、セレナが来ていた。 因みに、クラウドの両隣をシィルとティセが独占しているが、それは急に決めた事ではなく、昨夜考えて決めた事らしい。 「アハハ、そうなんですよ。でもヨガンドルフからこの国を守れて、ついでにグラムさんの裏切りも防げた訳ですから、大勝利です」 何か遊園地のアトラクションにでも行ってきたのかのように、クスクスと面白そうに話し出すティセ。先日までヨガンドルフとフィードに捕まっていて、一晩中狭い牢獄に吊るされっぱなし状態であったのにも関わらず、である。 隣では、シィルが横目で、大食い選手権を始めている、自分の恋人と友人を見ると、これで何度目かの溜息をつく。
「ハグハグハグ……コクコク……ハグハグハグ……」 「ガツガツガツガツガツガツガツ……」
「……いつまで経っても食いしん坊なんだから」 思わずレナまでそんなツッコミがでてしまう程、二人はよく食べていた。 しかしセレナは、実は夕べ異常な疲れの責か、食事が喉を通らず、専らジュースだけを飲んでいたらしく、朝にまるで猛獣の鳴き声のような腹の虫の音が、ティセと、偶然一緒に泊まっていたファナの目覚ましだったらしい。 それと、実はその音を聞いたファナが、一瞬だけビクッとして辺りをキョロキョロ見回していたのだが、セレナの腹の虫だと分かるとほっと一安心して眠ったらしいので、その現場を見ている者は誰もいなかったという。 「取りあえず、無事でよかったですよ」 「全くですね……」 ティセとウィルは交互に笑い合うと、二人を見る。 そして彼はふとレナの方に顔を向けると、彼女の肩に手をやり、そっと耳打ちした。 「ほら、嫌われてなんか無かったでしょ?」 「……うん」 そっと頷くレナ。 自分はクラウドに嫌われてなんかいなかった。 少しまだ不安だが、あの時自分の事を始めて「姉」と呼んでくれたり、あんなに必死になってまで自分を守ってくれ、これで嫌いな筈はないだろう、と安心する。 ――でも、姉なんだよね…… 彼女もまた、心の奥底で理解はしていたのかもしれない。 ただの弟だと思っていたクラウドを、一瞬でも一人の男として見てしまった事を。 それを思った直後、顔が紅潮し、誤魔化すように口を開く。 「そそ、そういえば、ファナさんは?」 レナの言葉に、最初に口を開いたのは、以外にもシィルであった。
「消えた」 「あの方入国許可すら取っていなかったらしいですからね。取っていたとしても、グラムさんによって取り消しにされていたんだと思います」 実は早朝からファナは消えていたらしい。 というか、クラウド達がそろそろ朝ご飯を食べに酒場に行こうとしていた所で、突如神隠しのように消えてしまったのだが。
それにしてもファナにとって、昨夜は驚きの連続だったらしい。 宴会の席で、野獣の如くガツガツ食べるクラウドとセレナを見て、終始唖然としていたらしく、ついには「闘士が皆大食と言われている原因はお前らか」と怒りを露にし、その場で二人を正座させて説教したという。 因みに、その間ファナが食べた量はシィルのほぼ半分くらいで、以外に小食だった事が判明すると、それを見たクラウドが驚愕の色を浮かべていた事は別の話。 そして、終始ファナは牛乳を飲んでいたが、それを馬鹿にしたクラウドとあわや大喧嘩になりそうな事態があった事も別の話。
「ファナ様……暖かかったな……」 「そういえば、お前ファナに添い寝してたらしいな、無意識に……」 一部屋にベッドが二つしかなかったので、レナは帰り、シィルとクラウドが同じ部屋、後の三人で、ファナとセレナが一緒に寝たという。 「お姉ちゃんの方には来てくれなかったのに……」 「いや、だって、久しぶりだったから、その…」 ちなみにいつもティセの所に来るのは、セレナが寝ている時に、ティセが勝手にセレナを動かして自分の所に寄せるからであるが、本人にはその自覚が全く無いらしく、クラウドに指摘されるまで、今まで気がつきもしなかったらしい。 「まぁ、あの女の事だ。またいつか俺達の前に現れるだろう?」 「…敵として」 そんなシィルの言葉に、彼はぎょっとする。 彼とて、ファナをライバルとして認めているだけなのだが、シィルにはどうやらそれすらも気に入らないらしい。 余談だが、結構ファナとシィルは相性が悪いらしく、シィルからしてみれば、ファナがいつもクラウドを虐めようとしている風に見えるらしい。 「それにしてもあのグラムを倒すとは……あれってまぐれだったのかな……」 ノエル最強の闘士であるグラムを、多少の無理はしつつも、攻撃など一切させずにほぼ完全勝利に終わったファナ。 それを思い出すと、つい最近そんなファナに勝ったという事実が嘘みたいだった。 実際あれは対ファナ用の秘密兵器だったのだが、まだ未完成の技で、本当は成功するかもどうかも分からなかったらしい。 まぐれで当たった可能性も、なくはないのだ。 「違う」 しかし、そんな彼の言葉に待ったを掛けるのは、彼の恋人であるシィルだ。 「ん?」 「クラウドは強い。ファナにだってきっと勝てる」 その言葉を聞いた直後、彼の顔が急に火照りだし、頭に湯気が沸いている。 当然だ。シィルの様な美少女が不意に至近距離から、それこそ天使も惚れるような笑みを繰り出し、そんな事を言ってくれるのだから。 反則以外の何者でもなかった。 「今度は、どこに行きますか?」 ふと、さっと話題を変えるティセ。 すると、急に至近距離にまで近づいたティセを見て、クラウドの脳は沸点を超えてしまっていたが、なんとか抑える。
実際彼だからこそできる芸当なのだろう。 シィルとティセ。二人の超美少女に左右から、しかもほんの数センチ顔を傾ければすぐに唇を奪えるくらいの至近距離で見られ、平然としている男など、彼しかいまい。
「…そうだな。西はイドリーシアだから、もっと南に行ってみるか?」 「南……ギアの事?」 ギア、そこはかなり遠い。 ノエルへ続くあの町を越えてから、更にバージニアを越えて南に山四つ越えたところにある、鉱山に囲まれた工業国だ。 無論、そこにいる闘士は全員大地の加護を受けている、大地の闘士が多い。 「そうだね。今度はそこに行こう」 セレナはそういうと、十枚目のお皿を平らげて至福の表情を見せる。 今回はファナと、どちらかといえば彼女に助けられたのかもしれない。 シィルがティセを奪還するまで、ずっと一人でフィードと戦い続け、そして土壇場でそんな悪魔さえ騙しきる作戦を思いついたと、昨夜シィルから聞いたクラウド。 それを聞いて、改めてこの小さな少女が凄く思え、また、そんな彼女の人生によく似ていたあの魔術師を思い浮かべ、小さく舌鳴らす。 そしてそんな邪念を振り切るかのように、彼は立ち上がる。 「よし、そうと決まったら、すぐに行くか」 「ですね。行きましょ、セレナちゃん、シィル」 すると四人は立ち上がって酒場を出ようとする。 そこでレナは悲しくなった。 もう二度と、これでクラウドとは会えなくなるかもしれない。 本当はあの時、自分がどうしてクラウドから離れたのか、話すべきだった。 いや、本当なら、クラウドと自分が何故本当の姉弟じゃないのか、それから彼に話すべきだったのだ。 ただ、昨日色々ありすぎただけだ。 「いってらっしゃ〜い」 力なくそう答えると、酒場のドアが閉まった。 一瞬、場が静まり返り、レナは大きく溜息をつく。 「……さて、開店しますか?」 「ですね」 ウィルはそんなレナに優しく答えると、二人して奥で下準備をしようと歩き出す。
その時だった。 ガチャッ… 「姉さん」 「……え?」
ふと振り返るレナ。 そこにはダークグレーの髪の、かなり大人に成長したのにも関わらず、根本的な事は何一つ変っていない、義理の弟の姿があった。 そして彼は彼女に向かって、これ以上ないくらいの笑顔を見せると、そっと口を開く。
「またな……それと俺、姉さんの事大好きだからな」
「……!!」 瞬間、レナは泣きたかった。 彼女は昨夜、生まれて初めて彼に姉と呼ばれ、そして今朝は生まれて初めて自分の弟に好きと言われたのだ。 しかし彼女の目から、大粒の涙がいっぱい出てきたのは、そんなクラウドが、恥ずかしそうに店を出て行ったあとであった。 ウィルはほっと胸を撫で下ろすと、そんな彼女に近づき、優しく肩を抱く。 「いい弟さんですね」 「……うん」 ――自慢の弟です。 彼女は彼に、大きな声でそう言いたかっただろう。 または世界中に向かって叫びたかったに違いない。恐らくそうするとクラウドが顔を真っ赤にして怒るだろうが。 ウィルは正直、彼が羨ましかった。 あの少年には、これほど彼女の心を動かせる事ができるのだから。 そして次にレナを見て、そっと笑みを浮かべるウィル。 「…さて、改めて開店しますよ」 そう告げると、レナの顔が急に変る。 これからだ。 クラウドの姉、レナ・バロンの顔はもう終わり。ここからは酒場WILLの看板娘、レナの顔をしなくてはならない。 気合を入れなおすと、彼女はずんずんと酒場の入り口まで歩き、どうどうと、大きな音を立てて、盛大にドアを開けた。
「よーし、本日……か〜〜いて〜〜〜〜ん!!!!」
「…いや、そこまで元気じゃなくていいですよ」 ――でも、ま…よかったよかった。 ――やっぱレナさんはこれじゃなくちゃね。 そしてそんなウィルの微笑と共に、酒場の向かいの家が次々と開き、まだ朝だというのに酒を注文しに、どっと客が押し寄せたというのは定かではない。 ただウィルが言うには、それができてしまうのは、単にこのレナという、赤い髪の少女の笑顔があってこそ、なのだという。
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