「人間として扱ってもらえないのなら、慈悲も慈愛も、暖かさもいらない」 「……」
そんなヨガンドルフの言葉が、クラウドの心に重くのしかかる。 この魔術師は戦争の為に国に踊らされ、国の為にいくつもの辛い事を経験し、それでもいつか権力を持つ事を夢見てきて生きていて、いざ前線を離れたら邪魔者扱いされた。 まして国の王に、一度も人間として扱われていなかったのなら、この魔術師がこうなってしまったのも、無理はなかった。 「……」 今度こそ、彼はヨガンドルフに同情してしまった。 それは、この魔術師の姿が、あまりにもセレナに似ていたからだ。 母親の為に辛い事を経験し、涙を呑み、血を吐いてまでも戦った。そしてその代償が母親の死と、自分が最も慕うファナへの裏切りだった。 それが、あの十二歳の純粋な少女にとって、どんなに辛く悲しいか。 今の魔術師の姿は、多少違えど、彼女と似ていた。
しかし、彼にそんな感傷に浸る暇はなかった。 「ヨガンドルフ様」 「!?」 突然の声に、狩る物と狩られる者は同時に振り返る。 するとそこには、ヨガンドルフと同じ、ローブに身を包んだ魔術師が立っていた。 その手に、レナを引き連れて。 「ごめん。クラウド……」 「レナ……」 彼はその姿を見て愕然としていた。 きっと彼女の事だ。彼の事が心配になり、ファナに無理を言ってここまで駆けつけて来た途中で、あの魔術師の男に捕まったのであろう。 この男は、一歩でもクラウドが動けば、即座にレナを殺せる自信がある。 対して彼は、わずかに残っている力で立ち上がり、ヨガンドルフを跳ね除けて闘気を放ち、彼女を奪還するまで数秒かかる。 その間に、彼女は帰らぬ人と化してしまうであろう。 「くそっ……」 既に万策尽きていた。 力でヨガンドルフを倒す事は不可能。加えてレナまで人質に取られている。 すると、ヨガンドルフはこの勝利を目前にした男に向かって、命令した。 「その女を放せ。もうここに用はない」 その言葉に、クラウドとレナだけでなく、彼女を捕らえ、あとは殺すだけだった魔術師の男さえも、驚愕の色を見せていた。 「何を言ってます?この女は人質です。さぁ悪魔を召還してください。今度こそあの国の奴らに思い知らせるのです。ヨガンドルフ様の力を!!」 すぐさま反論する魔術師。 しかし、何を思ったのか、ヨガンドルフは薄く笑っていた。 「……その女は私の民にする事に決めた。殺すというのならお前を殺す」 「何!!?」 そう呟くと、魔術師は戦慄した。 この魔術師にどういう魔術を行ったのかは知らないが、恐らく魔術師はレナを殺さないのではなく、殺せなくなってしまったのだ。 右手を突き出し、光の粒子を一つ出すと、ヨガンドルフはその標的を、魔術師の男に定め、そっと呟く。 「なっ……ヨガンドルフ様!?」 「失せろ」 「まて、ヨガン……」 彼が止めようとした、その時であった。
強烈な勢いで、光の粒子が魔術師の男目掛けて駆け下りる。 その時間は、わずか一秒掛かるか掛からないかの境目である。 そのわずかな時間で、光の粒子はまるで機械のように正確に、かつ迅速に魔術師の男の胸を貫き、地面にたどり着く寸前で、ぽっと消えてしまった。
「一撃で……」 さすがのクラウドとて、驚いたであろう。 先程まで、自分がこうなるのではないかと、薄ら思っていたからであった。 すると、魔術師の男の手は離れ、レナは急いでクラウドの所まで駆けてくる。 「クラウド、無事!?」 「あぁ…大丈夫だ。それより……」 レナに抱きかかえられると、彼は立ち上がり、今にも帰ろうとしているヨガンドルフを睨みつけ、大きな声を出す。 「消える前に答えろ。どうして……」 どうして、助けたのか。 疑問だった。疑問だらけのこのヨガンドルフの行動の中でも、一番の疑問だった。あと少しで殺したかった自分と、契約の為にレナの命と両方を得られるというのに、それをここにきて魔術師はそれを放棄したのだ。 そして振り返ると、薄く笑って答えを出す。 「お前はなんとしても私の部下にする。その女は私の国の民にする。だから殺さなかっただけだ。それが何だ?」 「何だ、じゃない。こいつの魂はいいのか?」 こいつ、それはレナの事だ。 元々レナの魂を契約に、あの悪魔フィードを召還したのである。 最初はヨガンドルフさえ倒せば、あのフィードは消える。そう思っていたが、この魔術師はクラウドを見て更に笑うと、また口を開いた。
「悪魔が消えてしまった。恐らく契約が切れたのと……もう一つは、聖職者と魔姫にやられたのだろうな……たかが中級悪魔とはいえ、呆気ない」
本当はその中に含まれていないセレナが一番頑張っていたのだが、その現場を実際に見ていないヨガンドルフはそう言って、薄く笑う。 その言葉に、またも驚愕を覚えるクラウド。 たかが中級悪魔。冗談じゃない。それならそんなたかがな相手に、セレナは呆気なくやられ、ティセはなす術もなく捕まってしまったのだとでも言うのだろうか。 しかし、そんな反論すらできなくする程、この魔術師の笑みに、彼は生まれてこの方味わった事のない程の恐怖を味わっていた。 すると話を終えた事を確認したのか、ヨガンドルフは振り返ると、さっと右手を掲げ、魔法の詠唱を唱える。 そしてそれから数秒後、ヨガンドルフの周りを、突然と闇のオーラが覆う。次の瞬間、その闇のオーラはヨガンドルフを包み込み、その姿を隠した。 更に次の瞬間、オーラは魔術師を完全に隠すと、そのまま小さくなり、最後には消えて何もなくなってしまっていた。 「まて、ヨガンドルフ……くそっ」 「クラウド、動かないで。もういいから」 ヨガンドルフが逃げたと分かると、二人は部屋の奥へと歩き出す。 「裏口があるから、そこから逃げろ。ここはすぐにでも崩れる」 そうクラウドが言った、次の瞬間、 辺りに地震が起こり、洞窟の岩が徐々に落ちてくる。 恐らくヨガンドルフが最後に仕掛けたのであろう。この洞窟を壊し、何もかもを隠蔽しようとしているのだ。 ならば道が長い表から出るよりも、この部屋の奥にある、裏口から出たほうがいい。何よりも、シィル達と合流できる。 しかしレナは振り返った。 「なっ、ちょっとまて!まだ……」
まだファナがいる。
彼女はまだグラムがいた部屋で、戦いの際に消耗した体力や闘気を温存している筈。何しろ彼女にとって、こうなる事は予想外だったのだろう。クラウドとヨガンドルフの戦いが長期戦になり、体力の回復したファナが現れて魔術師を粉砕する計画だった。 それがグラムとの死闘によってダウンし、まだ回復してないうちに、こうして魔術師に逃げられた上に、洞窟が壊れるのだ。 このままだと、彼女はこの洞窟の中で、グラムと共に帰らぬ人となるに違いない。 「くそっ……」
そんな事はさせてはいけない。 いくら自分を狙うライバルだとしても、彼女には今回、ティセを守る為に、グラムとノエル闘士団と戦ってくれ、ティセの為にクラウド達に手を貸してくれたり、その前にレナの命を救ってくれた恩がある。 それに、ここで彼女を見殺しにしてしまえば、それこそレナにとって、何時かクラウドを置いて消えてしまったのと同じ事を、彼女にしてしまう。 何より、彼女を最も慕う、セレナの悲しむ顔が思い浮かぶ。 だから、彼女もなんとしても助けなければならない。 クラウドは立ち上がるが、それでもファナの所まで戻って、彼女とレナを連れて洞窟を脱出するだけの体力があるかどうか。 レナは暫く考えると、クラウドの方を向き、そっと呟く。 「……先に逃げて」 「え?」 するとレナは突然彼を置いていくと、すぐさまその足でファナのいる部屋まで走り去ってしまった。 「ちょ……!?」 それを慌てて追いかけるクラウド。 しかし出足が遅かったか、あるいはクラウドの体力がそろそろ限界に近づいてきているのか、一向にレナとの距離は縮まらない。 「何やってんだ。早く逃げろ!あいつは俺が……!!」 しかしクラウドが叫ぶよりも早く、二人は部屋にたどり着いた。 そこには、岩崩れが起きているのにも関わらず、座りながら、どこか薄っすらと笑みを浮かべている、ファナの姿があった。 「……ファナ!!」 「ファナさん!!」 その声に、彼女は一瞬だけ驚いて振り向くが、じきにもとの表情に戻る。 「馬鹿……俺なんかを助けるとは……愚か者め……」 「馬鹿はお前だ。お前のお陰で勝ったんだ。ほら、帰るぞ」 「……仕方がない」 そしてクラウドの肩を借りて立ち上がろうとするファナ。 しかし、彼女はレナの背後に浮かぶ炎を見ると、顔が一気に青ざめる。 「!!?レナ、後ろ!!!」 「え?」 レナは気づいたが、魔法は待ってくれない。 業火が勢いを増し、レナの腕を掠めて壁に激突すると、レナの目の前に現れたのは、先程ヨガンドルフに殺された筈の、ローブの魔術師の男であった。 「!!?」 クラウドは驚いて駆け出すが、男の姿を見て驚いてしまった。 その体は既に死に体であり、ヨガンドルフの攻撃を、なんとか防御魔法で抑えたのであろう。幸い一命を取り留めた、という所か。 しかしこの男にとっては幸いでも、クラウド達にとっては最大の不幸だった。 なにしろ、レナを除いて全員重傷者なのだから。 「ヨガンドルフ様の為……あの方の為……」 目は虚ろで、なにやら呟いているが、そんな事はクラウドには関係ない。 「畜生、死にぞこないが!!」 すぐに闘気を集めて炎を出そうとする。 しかし先程のヨガンドルフ戦で全闘気を使い果たしてしまった責か、炎は燃えカスとなって大気に消えてしまい、焦る。 「クラウド、止めて。早く逃げて!」 「馬鹿!来るな……!!」 レナの声がして、急いで振り返るクラウド。 しかしその一瞬が、魔術師にとっては好機だった。 彼の放った炎の砲弾がクラウドを吹き飛ばし、彼は壁に激突する。そしてレナからなんと数メートルも離れてしまった。 更に悪い事に、次のターゲットをレナに定めたのか、魔術師はよろよろと、しかし着実に一歩ずつ、立ち止まっている彼女に近づいていく。 「ハハハ、安心しろ……すぐに、お前も、地獄に送ってやる……」 クラウドの方を見て、薄っすらと笑う魔術師。 彼はなんとか体を奮い立たせるが、体力の回復には相当時間が要するのか、今度ばかりはすぐに立てそうにもなかった。 「まずは……お前からだ……」 「!!?」 レナは愕然としていた。 ファナやクラウドに付いていけば、まず自分は殺されないと思っていた。しかし実際二人は重傷で、あろう事か自分が次の標的にされてしまったのだ。 ――恐い…… レナは恐らく、生まれて初めて死の恐怖を味わったのだろう。 肩が振るえ、足がすくみ、ついには腰が抜けて座り込んでしまった。 そうしているうちに、男はついにレナのすぐ近くに来てしまった。 ――恐い…… ――助けて……!! 目を閉じ、知らない誰かに助けを求めるレナ。 すると、ずるずると何かを引きずる音と共に、
「……止めろ!姉さんに…手を、出すな!」 「……!?クラウド……」
レナは突然の声に驚いていた。 見ると、クラウドがレナの前に来て、手を広げてレナを守っている。 そして、ふと聞こえた「姉」と呼ぶ声に、レナは己が気づかなかったうちに、目から涙を流していた。 自分の頬を触ってそれを確認すると、ふと一瞬だけ、冷静になってしまったレナ。 だからだろうか、 突如と下がっていく部屋の気温に、最初に気がついたのは、意外にもこの中で戦闘経験の一番浅い、レナであった。 「ぐあぁぁぁぁぁ……」 苦痛に歪む魔術師の声が聞こえる。 クラウドは驚いていたが、すぐに後ろを振り返ると、ほっと安堵の息を漏らして、壁にも垂れながら右拳を突き出している、氷の貴公子を見た。 「多少体が重いが、こんな雑魚に負けるなら、貴公子という名などとうに捨てている」 すると、魔術師は断末魔を上げながら、グラムと同じく氷付けにされていた。 そしてファナはなんとか体力が回復したらしく、レナによって抱きかかえられたクラウドを見ると、すっと安堵の笑みを浮かべる。 「ファナ……」 「さて、逃げるぞ……今なら、まだ間に合う」 天井が崩れてきているが、今なら急いで裏口に回ってそこから外に出て行っても、若干は間に合う。それまで二人の体力が持てば、の話だが。 そしてレナはクラウドを背中で背負う。この中で、一番動けるのはレナだった。 「よいしょ……行こう」 「……あぁ」 女の子におんぶされて少し恥ずかしいのか、クラウドは少し赤くなった自分の頬を少し掻くと、小さな声で答え、頷いた。 そしてファナに追いつくように走ると、ヨガンドルフの部屋まで辿り着く。 すると玉座の後ろに、人が二人位入れるほどの入り口があり、中は通路になっていた。どうやらここから裏口に出れるらしい。 三人はそれを抜けると、一気に裏口まで駆けた。 「有難う」 ふと呟くレナの声に、クラウドは彼女を見る。 「…何が?」
「姉さんって……呼んでくれた」 「……」
黙ってそっぽを向き、真っ赤になった顔を必至で抑えるクラウドと、そんな彼を見て、薄っすら可愛らしい笑顔を浮かべるレナ。
そしてそんな二人を見るとまた前を向き、はぁっと溜息をつくファナ。 ――素直じゃないなぁ…… 「それがあいつだ。仕方ない」 いつしかファナにしか聞こえない声とも仲良く話をできるようになっていた。 それだけ、彼女の回復力が半端ではないという、確かな証拠である。
――やけに嬉しそうだね。ライバルが増えたのに…… 「しかし、あの二人は姉弟だろう?」 ――でも、義理ならまだいける。手ごわいよ〜? 「やかましい」
笑みを浮かべながら黙らせるファナ。 やり方はどうあれ、彼女はちゃんと軍人である前に人間なのだ。9を守る為に1をどんなに残忍に始末したとしても、その分だけ9を、たとえ命に変えても守り抜くという、彼女なりの信条を、ちゃんと持っていた。 だからこそ、彼女はセレナや、イドリーシアの闘士に尊敬されているのだろう。 手段は問題あるが、彼女をお人好しと呼ぶのなら、やはりそうなのだろう。 あるいはレナの言う通り、クラウドの為なのだろうか。
すると、それを見ていた当のクラウドが、不思議そうな顔をしてファナを見る。 「お前、何一人でブツブツ言ってんだ」 怪訝そうな顔をする彼の顔を見て、少しだけヤバイという顔をすると、すぐに元の凍れる表情を取り戻し、薄っすらと笑って前を見る。 「なに……帰ったら何を奢らせるか悩んでいるんだ」 「げぇ、まじですか?」 クラウドはやけに大げさに驚くが、そんな彼を見て何が楽しいのか、クスクス笑う二人を見て、今度はブスッとした顔をしだす。 「氷の貴公子を雇ったんだ。それなりに報酬はいただくぞ、それから……」 「何だよ」 そして言いかけて少し黙って少し考えると大きく溜息を一つつき、これからも拳を交えあうであろう、少し年下のライバルの顔をはっきりと見る。
「こんな節介は、これっきりだ」 「了解。こっちだって、もうお前なんかに頼るのはこれっきりだよ」
そんな彼女を見て、逆に笑い返して言い放つクラウド。 彼らのすぐ目の前には、大きな裏口と、その奥にある一面の草原。 そして、裏口から彼らが来るのをずっと待っていたのだろうか、かなり負傷しているティセ、チョコを口に頬張っているシィル。そしてファナを見て嬉しいのか、涙ながらに極上の笑みを浮かべる、セレナの姿があった。
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