クラウドは走っていた。 理由はレナに危険が迫っているかもしれないと思ったのと、もう一つ。 シィルの安全が心配になったのだ。 ティセの事は信頼している。彼女は魔姫であり、自分なんかとは比べ物にならない程の凄まじい力を持っているのだ。彼女がいるのなら、たとえセレナの身に危険が迫っていても、なんとかなるであろう。
だが問題はシィルの方だ。 彼女は闘士でもない、魔姫みたいな力もない。 聖典と光の魔術が使えるだけの、ただの女の子だ。
「シィル……シィル……!!」 彼はここに来て、ようやく後悔していた。
何故彼女の傍にいてやれなかったのか。 何故彼女から一瞬でも離れてしまったのか。
彼女は、彼女だけでも自分が守ると誓ったのに。 「畜生……」 だから彼は、己が倒れるであろう、限界までスピードを上げた。 もっと早く、もっと早く…… ドン! 突然誰かにぶつかり、クラウドは思わず腰を下ろしてしまった。 「うわぁ、すみま……シィル!!?」 「クラウド……クラウドなの?」 ふと見ると、そのぶつかった相手は、自分がさんざ探していた無表情の少女、シィルであったので、それを見たクラウドの顔が綻ぶ。 だが、その後ろにいるレナを見て、また複雑な表情になる。 「クラウド……」 そんなクラウドの表情を見て、先程見た幻覚を思い出したのか、レナもまた俯いて悲しい表情になった。 「クラウド、あのね……」 「取りあえず二人は平気……セレナとティセさんは?」 すると、シィルは俯いて、何かいたずらをして母親に見つかってしまった子供のような顔をすると、そこでクラウドは察した。 「敵が現れて、セレナがおとりになった。相手は……悪魔」 「なっ……」 そこで彼の顔が曇っていく。 彼も知っているが、ただの闘士が悪魔に勝とうなんて無茶な話なのだ。 しかし、シィルの顔を見ると、彼は再び考え込み、一つ頷く。 「……分かった。宿に戻って対策を考えよう」 「ちょっと……セレナちゃんはどうするのよ!!」 「セレナならなんとかできる。それにティセもいる……」 彼女がそう言うと、クラウドもまたそっと頷いてみせる。 まだ彼女が、ティセがいる。 中級悪魔だろうが上級悪魔だろうが、ティセには魔姫という力があった筈だ。勝てなくとも、セレナを連れて来るだけの力は持っているだろう。 三人が歩き出そうとした、その時であった。
「久しぶりだな。まさかこんな所にいたとは」
透き通るようなとても美しい声に、彼は戦慄した。 ――まずい。 ――今の俺では絶対に勝てない。 自分だけならまだよかった。 しかし、隣には姉もいれば、最愛の恋人もいる。 彼女達だけは死なせてはいけない。そしてそんな彼女達を悲しませない為にも、今ここで死ぬわけにはいかなかった。 思わず振り返ると、そこには想像通り、綺麗なブロンドの髪に白銀の瞳を持つイドリーシア軍人、氷の貴公子ファナがいた。 しかし彼の想像を唯一外したのは、彼女が背負っていたのが、薄青い髪の少女、セレナであった事だ。 「セレナ!!?」 「彼女は、無事なんですか?」 そうレナが問いかけると、ファナは薄っすら笑って頷く。その安堵した表情から見て、彼女はまだ無事なのだろう。 「ティセさん……?おい、ティセさんは何処だ!?」 「……話は後だ。取りあえず宿に連れて行け」 ファナはそう言ってクラウドの横を通り過ぎると、彼もまた、多少の怒りはあれど、それに付いていく事にした。 何故クラウドが彼女に対し、何も言えなかったか。 一瞬見せたファナの、悔しそうな、それでいて悲しそうな顔を見たら、何も言えないのも当然だ。それも、それを見たのが女性に特に優しいクラウドなら尚の事。 それを追うかのように、他の二人もまた歩き出した。 スヤスヤと寝息を立てているのは、セレナただ一人であった。
「ヨガン……ドルフ……!!??」 その名に驚いたのは、イドリーシアの軍人であったセレナでもなく、彼と面識があったシィルでもなく、ましてファナでもない。 彼と何の接点もないと思っていたクラウドと、声に出してはいないが、彼の姉であるレナの二人だけであった。 「知っていたのか?」 「当たり前だ!!」 ファナが問いかけると、拳を床に叩きつけ、クラウドが叫んだ。 「あいつは……俺達の村で偶然見かけた……魔族の軍隊の頭だった!」 以前クラウドは森に入る際、ヨガンドルフを見たという。 前進に黒いローブを纏った、いやに声の高い細身の魔術師。 「ヨガンドルフ……以前ティセを騙してロンドを乗っ取ろうとした……」 「それでティセお姉ちゃんが……」 と、それまで俯いて黙っていたセレナが下唇を噛み締めると、横にある壁を拳で強く叩く。 「そんな奴に……捕らえられた……」 「セレナちゃん……」 何かを話そうにも、何も言えないレナ。 「ボクが弱かったから……ボクが……もっと強かったら……」 恐らく、そのセレナの言葉は、彼女にとって懺悔に値するものだろう。 自分がこのザマだからティセが捕まったのだ。 それに、何の言葉が返せようか。 「…なら」 ふと、彼女の方を向くファナ。
「はっきりと、お前の責だ、とでも言ってほしいのか?」 「!!?」 すると、セレナの代わりに立ち上がったのはクラウドだった。 「てめえ、ファナ!!」 だが叫んだクラウドの方を向かず、彼女は目をセレナに向ける。 「懺悔や自己嫌悪なら何時でもできる。断罪してほしいのなら断罪してやろう。だが今はこの事態をどうするかが先だ。全てが終わったらいくらでも聞いてやる」 「ファナさん……」 「魔姫は……いや、ティセリアは、お前なら必ず自分を救ってくれると思ったから、自らが人質となったんじゃないのか?」 決して強くは言わず、諭すようにセレナに話しかけるファナ。 そこでレナは確信した。 やはり軍人であり、どんな状況でも崩れない強い精神を持ち、こうやって仲間を励ましながら戦っていたのだ。仲間に信頼されない者が英雄になんてなれるわけがないし、第一セレナが慕う訳がないからである。 すると、暫くして彼女の頭が垂れる。頷いたのだ。 「なのに……お前のそのザマは何だ!?ティセリアはお前のそんな顔が見たくて人質になったのか?違うだろう!?お前は奴を助けたいんじゃないのか!?」 「……」 怒号を響かせるファナに対し、セレナは黙ってただ頷くのみだった。 「だったら今までの失敗は忘れろ!問題は今だ!」 その言葉に、セレナは再度彼女の顔を見る。 そして彼女はセレナの肩を掴み、彼女の目をじっと見詰めながら口を開く。 「いいかセレナ、この状況をどう打破するかが今重要な事なんだ!ティセリアを救って奴を倒す方法を考えるのが先だ」 一見叱責に聞こえるが、ファナは単にセレナに気にするなと言いたかった。 そして彼女はここで、ティセを救ってヨガンドルフやグラムを倒すという、それこそ10全てを救う方法を考えようとしていた。 そこでクラウドとシィルは、一瞬だけ我が耳を疑ってしまった。 彼らが知っているファナは9を救う為に1を見殺しにし、多くを救う為に残りを虐殺するという、貴公子としてのファナであり、今の彼女は彼らからしてみれば、それまでのファナのイメージを打ち崩された思いであった。 彼もまた彼女を見て、少しばかり笑みが零れる。 「そうだな。問題はティセさんを救って、奴等を倒す」 「…でも、それが一番の問題」 シィルの言葉によって、それまで燃え上がっていたクラウドはまた席につくと、腕を組んで考え事に入る。
「さすがに何時もの通り、正面から殴りこみって訳にもいかないしな……」 「お前ら……いつもそんな作戦でやっていたのか?」 ファナは少し呆れの表情になったが、シィルの重たい頷きとクラウドの笑みを見て、本当に呆れてしまい、一瞬黙ってしまった。
――クラウドさんって結構単純。 「分かってはいたんだが……やはりか」 ぽつりと、皆に聞こえない声で、自分にしか聞こえない声と対話するファナ。 「もういい……作戦は俺とセレナで考える。クラウドは体を休めて、シィルは聖典が使えるようにしろ。今日はもう深夜だから、決行は明日だ」 「うん…レナはここで、ファナやセレナと一緒に寝て」 そうなると、クラウドとシィルは一緒の部屋になるのだが。 レナは少し疑問を持ってしまい、シィルを一瞬見てしまった。 「えぇ……貴方達は……?」 そこでレナは気づいてしまった。 一瞬シィルの顔が真っ赤になった事を。 つまり、二人は一緒の部屋で、二人きりで寝たいのだ。 すかさず、意地悪そうな顔になってシィルを見るレナ。 「ふ〜ん……分かったわ。楽しんできてね〜〜」 「こら、シィルを虐めるな!!」 クラウドが抗議すると、突然横から拳が飛んでくる。 ぽかぽかぽかぽか…… 「いたたた……何だよ」 「もういい。早く寝る」 すると、立ち上がって先に部屋に行ってしまったシィル。 ふと前を見ると、へらへら笑って「あ〜あ」とわざとらしく言うレナに、溜息をついて呆れるファナの顔があり、クラウドは戸惑ってしまった。 「あの……なんだよその顔!?特にファナ!!」 「……会議は終了だ。明日は早いから、早く寝ろ」 闘士は体が資本だ、と加えて立ち上がり、ベッドに入るファナ。 用は彼に、早くシィルの所に行ってやれ、と言っているのだ。 すると振り返り、渋々自室に戻るクラウド。 そして少し経つと、レナも立ち上がって部屋を出ようとするが、 「駄目。レナさんはいて」 突然聞こえたセレナの声に、立ち止まってしまった。 振り返り、苦笑いをするレナ。 「いや…作戦会議中に一般人がいたらまずいよ」 「奴の姉という時点で、既に一般人ではない」 そんなファナの言葉に溜息が出るが、折角セレナの元気が回復したというのに、ここでまた落ち込んでなどいられないと、座って構えるレナであった。 「それに、ティセさんを捕らえたという事は……」 「まず間違いなく、こいつと交換条件だとか言うだろうな……」 レナを顎で指すファナに、セレナは軽く頷いた。 「だね。あの悪魔はレナさんでもティセお姉ちゃんでもいい。強い人間の魂さえ手に入ればいいんだもの」 そこでレナは俯く。 あの時、酒場でクラウドと一緒だった彼女が、たった一回会っただけの自分の為に犠牲になってくれたのだから。 「それに、奴らの手下がここで俺達を見張っているかもしれない」 「正確には、レナさんを、だけどね」 ここでレナは、何故ファナとセレナが自分と一緒の部屋で、何故今もまだこの場にいなければいけないのか悟った。 あのヨガンドルフの手下がこの城下町にいるとしたら、必ずレナを見つけて攫ってしまうからだ。そうなると向こうは、ティセとレナの両方の魂を手に入れられ、まさに一石二鳥という形になってしまうのだ。 しかしそれなら男であるクラウドはともかく、女の子であるシィルもクラウドと一緒に出て行ってしまったのは何故なのか。
「……そう言えば、シィルの顔、少し赤かったような……」 「だな」 レナの言葉に、ファナもまた頷く。 どうやら俯いて顔を染めているのはセレナだけらしい。 「あのですねファナ様、シィルの聖典は許容量があって……」 「通常一日に何回、と決まっている。それだと、一日経てば元に戻るのではないか?」 「それだと許容量しか使えなくて……つまり、クラウドと寝る事で力を分けてもらって、許容量を余分に増やしているんですよ!!」 顔を真っ赤にして捲くし立てるセレナを見て、ファナとレナはようやく理解した。
――……えっと、つまり……そういう事?
という顔をすると、セレナは顔を赤らめて大きく頷いた。 「前に……ティセお姉ちゃんから聞いた」 「あの子……知らない間に大人になって……」 そう言ってハンカチを持って泣き出すレナの肩を、ファナは軽く叩いた。 「そういう事だ。さぁ、作戦会議を始めるぞ」 ――うわぁ、話を誤魔化した!! 少しだけ顔を染めた後、手を二回叩いて会議を始めるファナ。 自分にしか聞こえない声は一応無視している。 さすがにこういう話は苦手らしい。幼い時から軍人として育てられた彼女からすれば、こういった男と女の恋愛など、見た事も聞いた事もない事ばかりで、はっきり言って苦手分野に属するのだ。 「話を戻して……要はどうするかだけど…ファナ様ですから、とっくにヨガンドルフの根城は見つけたのですよね?」 そのセレナの言葉に、ファナはにやりと笑みで返す。それが肯定の合図だと言う事位、イドリーシア闘士団の中では常識だ。 「じゃあ、何時も通り……」 「明朝に奇襲を仕掛けるしかあるまい」 「私も行きますよね?」 一種の懇願とも取れるその質問に、二人は笑って頷いた。 それを見たレナの嬉しさは相当だったのか、軽く顔が緩んでしまった。 やはり彼女としても、まだ少ししか話した事もない、自分と何の関係もない人が、自分なんかの為に人質になっているのが、我慢できなかったのだろう。 「それじゃ、寝るとしようか」 「だね。レナさん、一緒に寝よ」 「え?う、うん」 よほど会議とは思えないスピードで会議は終了し、レナは呆気にとられてしまった。 しかし、これがイドリーシアの闘士団の会議なのだ。主な作戦は全てファナが考えてくれる。万が一作戦が失敗しても、ファナなら必ずやってくれる。 それに彼女にはセレナという、影のサポーターもいるのだ。 力技中心のファナより、どちらかといえば知略の方が得意なセレナなら、奇襲方法を考えるのは得意だ。 なにより、今は聖典保持者のシィルがいるし、クラウドもいる。 「……大丈夫だよね。きっと…ティセさん取り返せるよね?」 そんなレナの問いかけにも、ファナはただ、軽い笑みで返す。 しかしその笑みを見ているだけで、何故だろう、自分の背負っている責任や重圧、その他全てを頼ってしまう。 そんな錯覚を覚えてしまう、レナであった。
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