「馬鹿な……貴様は……」 「??」
レナが慌てて目を開いてみると、自分が今いるのは一軒の酒場。 そう。自分がドアを開け、入ろうとしたあの酒場だ。 だとしたら、あの時の焼け野原も、あそこで泣いていたクラウドも、彼の言葉も、その全てが幻であったといえる。 男はローブを着ていて顔が分からないが、驚愕の色に染まった声からして、さぞかし驚いているのだろう。 しかし薄っすらと見える男の目は、間違いなくレナを見ていない。 だとしたら後ろだろうか。 そう思って振り返ると、レナもまた驚愕した。 しかしそれは、魔術師の男の驚愕とは違い、そのあまりの美しさに、思わず見惚れてしまうかのような驚愕であった。
さしずめ、この世の中に、これ程の美女がかつていただろうか、と。 黄色いアーミールックに身を纏い、黄金の髪を肩まで垂らし、白銀の細い目は透き通っていて、その白い肌は、まさに雪の女王、といった感じだった。
ふと、彼女が呟く。 「幻惑の魔術か……その女が貴様に何をしたとしても、悪いのは貴様だ」 「ふぁ……ファナ……??」 レナは魔術師の言葉を聞いて、彼女の名前がファナだという事を知った。レナは近づこうと試みたが、それすらもさせないというかのような軍人の美貌に、思わず彼女は息を飲み込み、じっと黙っていた。 すると、そのファナという女性は一歩ずつ魔術師に近づき、右手を翳す。 「立ち去れ。この場は見逃してやろう」 「ちょ…待て貴公子よ。その女がどういう存在か、お前は知らないのか?」 「知らないな」 即答だ。無理もない。自分は一町娘なのだから。 すると、魔術師は薄っすらと笑い、答える。 「教えてやろう。そいつは炎の闘士、クラウドの姉だ」 「……ほぉ?」 さほど興味もない、といった感じに答えるファナに、魔術師が慌てる。 というか、生き別れた六年前以降のクラウドの事を全く知らないレナにとって、彼がそんなに有名になっている事がなによりの驚きであった。 「何?興味ないのか?そいつで奴を釣れるのだぞ!?」 するとファナは突然笑い出した。 そして余裕の笑みで魔術師を睨みつけ、言い放った。 「そんな事をしなくてもあいつを倒せるのは俺だけだ。どうしてわざわざ、獲物を他の奴に取られるような行為をしなくてはならない?」 「ええ!!?」 レナは次々と突き出される事実に、ただただ圧倒されるばかりだった。 何故なら、これほどの美貌を持つ女性がまるで男性のような口調で話し、実はあんな魔術師にまで名前が知れているほどの闘士で、しかも弟であるクラウドとライバル関係だと言うのだから。レナが驚くというのも当然といえば当然なのだろう。 ライバルという事は、きっと戦う関係のライバルなのだろう。それ以外で使うライバル関係があるのならば知りたいくらいである。 「軍服……本物?」 あっけらかんと、普通の問いかけをしてしまったレナ。 にも拘らず、ファナは一言あぁとだけ答え、またも不敵な笑みを浮かべて、魔術師の男をこれでもかと睨みつける。 「さて、覚悟はいいだろうな?」 ファナがそう呟いた瞬間、 レナは身震いした。 「……寒い」 両肩を抱いて少し体が震える。 レナがそういった動作をするのも当然だ。 何故なら突然、ファナの周りの気温だけが非常に下がり、床が徐々に凍っていく。そんなに近くにいないレナにも寒く感じるのだから、これですぐ近くにいたらすぐにでも氷付けになっていた事であろう。 魔術師にもその変化が分かったのか、身じろいで構える。 魔法の詠唱を始める気だ。 「させん」 それを妨害するかのように、ファナの凍れる気、闘気が魔術師を取り囲む。 「ぐぅ!あぁぁ……」 魔術師の男が突然苦しみだしたと思ったら、突如彼の足元が、徐々に凍ってきているではないか。 彼女のこの笑みからして、恐らく彼女はこの魔術師が全身氷付けになって死ぬまで、この闘気を収める事はないであろう。 レナにはふと、そんな感じがした。 「お願い、止めて!!」 「!!?」 ふと叫んだその言葉に、真っ先に驚いたのは魔術師だった。 「ほぉ……殺されそうになった人間が、殺そうとしている人間を助けるとは」 「ひ……ひぃぃぃぃぃぃ……!!!!!!」 魔術師はファナを見て怯えたのか、すぐさま魔法で逃げ出してしまった。 残されたレナは驚いてポカンとしていると、残されたもう一人、ファナがそっとレナに近寄ってくる。 ――恐い…… 彼女は直感した。 この女性は偶発的とはいえ、あの魔術師に顔を見られたばかりか、自分の責で逃げられてしまったのだ。 そしてそんな風に自分を見ている彼女の表情すら、レナには美しいと思わざるを得なくなってしまう。なんて卑怯なんだ、とすら思う。 しかし瞬間、彼女の周りを囲っている凍れるオーラが、綺麗さっぱり消えてなくなり、急にカウンター越しの椅子に腰を掛け、ポツリと呟きだす。
「牛乳」
「……え?」 突然のオーダーに驚くレナ。 たしかに突然自分を救った女性が突然椅子に腰掛け、更に突然オーダーをしたのだから驚くのも無理はない。 しかし彼女は突然、自分の耳がおかしくなった感じがした。 すると、両方の耳を穿ってカウンターに立つ。 「何にいたしますか?」 「牛乳だ」 二度目。とても澄み切った綺麗な声を発して牛乳、と。 今度は耳がオカシイなんて事はない。はっきりと、鮮明に、透き通った綺麗な声で彼女は牛乳をオーダーしたのだ。 一瞬、静寂が二人を覆う。 すると、突然舌を打つ音がする。
「なんだ、ここには牛乳なんて置いてないのか!?」
突然の声に振り返ると、レナは恐怖で本気に身が凍りそうになった。 何故なら、牛乳が置いていないと思ったのか、ファナの顔が強張り、彼女の周りの空気がそれこそ絶対零度に達したのだから。 本当にないと知ったら、それこそ自分が氷付けにされてしまうかもしれない。 「い、いえ!!す、すぐに!!」 慌てて冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出そうとする。 「ほぉ、スノウミルクか……ならホットにしよう」 「は…はい、かしこまりました」 あってよかった。と彼女は本気で思ったであろう。 本当はロイヤルミルクティーに入れる筈の牛乳で、このスノウミルクは風の国ノエルではなく、極北のロンドという国から輸入されている、結構高い牛乳だ。 彼女はそれを見て少し顔が緩んだが、彼女の白銀の瞳からして、恐らくロンドの国の人ではないだろう。 ロンドの国の住民が皆赤い瞳をしている事は、レナでも知っている。 牛乳を温め、ファナの前に置くと、そっと彼女が笑い出す。 「あっ……」 思わずその美しさに、レナは何度見惚れてしまったのだろうか。 先程の凍れる美貌とは打って変わった、こちらはまるで太陽のように暖かい。 「そんな顔も、できるんですね?」 彼女は思わず聞いてしまった。否、聞かざるを得なかったのか。 ふと、ファナがレナを見て、そっと笑う。 「冷淡なだけだと思っていたのか?」 「いえ、その……ごめんなさい」 「いいんだ。数少ない奴にしか見せていないからな。第一軍人には不必要だ」 それだけ言って、彼女はカップを手に取り、ホットミルクを飲む。 そして一口飲んでカップを置くと、外を見る。 「……」 その横顔がとても美しくて、思わず羨ましくなったレナ。 例えるなら雪の国の女王様、といった感じか。はたまた氷の精霊か。どちらにしても、人間離れした美しさを彼女は持っていた。 だから弟がこんなに美しい人と知り合いだった事に驚いていた。女性には特に優しくしろと言ってはいたが、なにもまんま女誑しになれとは言っていない。 「……クラウドを、探しているんですか?」 「違う」 一言否定を言ってまたカップを手に取るファナ。 眉一つ動かさなかった事から、どうやら本当に探してはいないらしい。 「あの子、貴方に何か?」 突然の彼女の言葉に目を丸くしたファナ。 しかしそれはレナが最も気になっている事だった。 自分の責で、大切な弟が闘士になって世界を回っている。それだけならいい。だがこんな美しい女性に追われるような事をしていたのならば、姉として弟に謝罪をさせ、責任などを取らせなければと、レナは急に心配になってきた。 しかし彼女は俯くと、少しずつ肩を震わせる。 「ふ……あは…あはははははははは!!!!」 「え、ええ??」 突然笑い出した美女に、今度はレナの目が丸くなる。 こんな見た目クールビューティーな美女が、驚いて目を丸くし、挙句に大笑いしてしまうのだから、まるで狐に摘まれた感じになるのも仕方がない。 ただ、それでも美しいと思ってしまうのは、彼女の素材故、であろう。 なんともずるいと思ってしまうレナであった。 「アハハ、すまん。違うな、俺はクラウドのライバルだ」 「ライバル?」 それは先程、魔術師にも言った言葉だ。 ライバルという言葉などレナでなくても知っている。自分と同じ物を競い、あいつにだけは負けられないという人を、ライバルという。 クラウドは闘士で、彼女が闘術を使うのだから、もしかしたら闘術のライバル。つまりは闘士のライバルなのかと連想するが、それはまずありえないと彼女は思っていた。
なにしろずっと昔から彼には、「女性には特に優しくしろ」と教えていたのだ。それが彼女のようなもの凄い美人を、よりにもよって殴る蹴るなどという暴挙を行うなど、天地が崩壊するよりありえない話のような気がした。
しかしそんな彼女のほんわか頭をハンマーで殴りつけるかのように、美しき女性ファナは淡々と話し始めた。 「……俺とクラウドの目指す物は結局同じだ。ただの勝手な理想。しかし俺と奴ではその方法が違う。だから結局、拳を交えるしかないのだ」 「こ……拳を??」 突然聞かされる驚愕の事実に、彼女は愕然とした。 何かの間違いだ。 そう願いたいのだが、ファナのこの笑みからして、本当なのであろう。 愕然とする。絶望さえも覚えてしまった程だ。 「あの子…こんな綺麗な女の人に暴力を……」 ふらふらになって今にも倒れそうになるレナ。 すると、急に室温が急激に下がっている事を直感し、意識を取り戻す。 「……女?俺は女である前に、軍人だ!そこを間違えるな!!」 怒っている。これはメチャクチャ怒っている。 眉は攣りあがり、こめかみに多くのムカつきマークが張られていて、目をキッと細く睨みつけ、バックに炎でも浮かび上がってきそうな怒りであった。 どうやら彼女には女の子と言われる事が好きではないらしい。このような綺麗な顔をしている癖に。まったく神は不公平な存在だ。まさかそれ以前に彼女は女を捨てたか、または女好きというキャラなのか。 しかしそんな状態にも拘らず、彼女のそんな怒りの表情が不思議と可愛かったのか、思わぬギャップについレナは笑ってしまった。 「??」 「ごめん。可愛かったからつい……」 その言葉にファナは黙り込んでしまった。 顔を真っ赤に染め、俯いたまま先程の怒りはどこへやら、今は赤くなってしまった頬の温度を下げようと必死だ。 それだけ、彼女の言葉は、想像以上にファナにダメージを与えたらしい。 ――ふ〜ん、可愛いって言うと落ち着くのか…… レナにとってそんな彼女の行動が凄く可愛く見えたのだが、口に出すとまた気温が下がって、それこそ風邪でも引いてしまうのではと懸念したのか止める。 「まぁいいや……それで、何の用件で来たの?」 「別に」 そして暫くしてカップを置くと、すぐに立ち上がる。 「また明日来よう」 彼女はそう言って振り返ると、すぐにドアを開け、酒場を出て行った。 そして残されたレナは一人、溜息をつく。 「はぁ〜…綺麗な人だったなぁ……」 彼女の美貌は、まさに同姓でも見惚れてしまう美しさ。 まるで輝くダイヤと言っても過言ではない。いやむしろ言い足りない。 ガラスの様に透き通った声に、雪の様に白く綺麗な肌で、圧倒するほどの氷の闘気を身に纏うその姿は、まさしく氷の精霊。 ファナを見た女性は誰もがそんな想像をしてしまうのだが、いくらクラウドの姉のレナであっても、例外ではなかったようだ。
「綺麗な人……」 すると直後、
「私もそう思った」 「きゃっ!!」 突然聞こえた声にまたも驚くレナ。 ふと振り返ってみると、そこにはさっきまでファナの座っていた席に、これまた可愛らしい女の子が座っていた。 しかも、手にチョコを持って。 「でもファナは敵」 「敵って?」 歳は自分よりも3つ4つ下だろうか。髪の毛はクラウドと同じ黒く綺麗な光沢を放っており、それでいて腰まで長く、紐で後ろに一つに結わいている。 若干幼い顔立ちだが、無表情ながら、ファナとはまた違った美貌を持った、しかしいわゆるクールビューティーの部類に入る。 これでチョコを片手に持っていなければ完璧なのだが。
「敵ってどういう事?」 恐る恐る聞き出すレナだが、少女はチョコを食べながら話し出す。 「ファナは、クラウドの敵……クラウドの命を狙う」 「嘘……」 「本当。あいつは冷酷非情……」 小さく、短く説明する少女。 彼女の言っている事を要約すると、先程のファナという少女はまさしく真の軍人であったらしい。 冷酷非情で、九つの町を守る為に、一つの村を焼き払う。焼かれた一つの村の事を全く考えない。良く言えば合理的、悪く言えば冷酷な女だという。 「でも、私を助けてくれた」 「ファナは己の信条あるみたい。決して犠牲を多くはしない。被害は最小限に抑え、残りの多くをなんとかして救う」 それは、彼女の国では正義とされている。 だから彼女は向こうで英雄、正義の味方と呼ばれていた。 「……でもやり方は許せない」 それはレナでも思った。 いくら九つを救う為とはいえ、残り一つを犠牲にするのならば、その残された一つはどう思うだろうか。 それを考えると、彼女もまたファナのやり方が正しいとは思えない。 「でも10なんて救えない」 「救える」 レナの言葉に、彼女は即答した。 自身満々で、まっすぐレナを見て、彼女は答えていた。 「……どうして?」 レナはすぐさま彼女に質問する。 10を救う方法なんてあるのだろうか。あるとしたら一つ。 自己犠牲しかないのだ。 「クラウドなら救える」 そう言って彼女は少し顔を赤らめる。 「私の……大切な人だから……」 すると彼女の頬の温度が更に上昇し、次第に耳まで真っ赤になっていく。 そこでレナは確信した。 「あぁ、あなたがクラウドの恋人?」 「……」 黙ったまま、彼女は俯く。 そして苦し紛れに、チョコを口いっぱいに頬張ろうとしたその時であった。
「いたいた、シィル!クラウドが探してたよ」 ドアを勢い良く開け、またも幼い少女が入っていく。 今度は12位だろうか。薄青い肩にかかる位の髪に、黄色いオーバーシャツと白いシャツに黒いパンツの少女だった。 手に嵌めているオープンフィンガーグローブから、彼女も闘士なのだろう。
ただ年齢からか、先程のファナとは違って、こちらは綺麗という言葉よりも可愛いという言葉の方がまだ似合っていた。 「初めまして。あなたがクラウドのお姉さん?」 年下にしては目上に対する言葉遣いがなっていない二人だが、その程度で怒るような大人気ないレナではなく、普通に流すと、シィルと呼ばれていた少女を見る。 「シィルさん?クラウドは今何処に?」 「レナさんに会いに行くって出て行って……分からない」 それだけ言ってチョコを口にするシィル。 すると、レナの顔が一瞬綻んだ後、少しだけ複雑な顔をした。 「起きたら二人共いないから、ティセさんに黙って探しに行ったんだよ。そしたら真っ先にクラウドが見つかって」 「で?」 しかし少しだけ憮然とした表情をするセレナを見て、少し疑問に感じるレナだったが、セレナはさも当たり前のように言い放つ。 「……食堂のご飯を平らげてた」 「やっぱり……何をするにもご飯の後……」 二人が呆れていると、横でクスクスと笑う声がする。 見ると、まるで天使のような笑顔で、クスクスと笑うレナがいた。 「なんだ。あの子、今でもやっぱり大食いなのね」 それを聞き、そしてこの笑顔を見て、シィルは内心安堵した。 この女性は自分の弟を、クラウドの事を嫌ってなんかいない。 それが少しだけわかった気がした。 「だから今度はクラウドと一緒にシィルを探してたんだよ」 「……じゃあ、もうすぐあの子も来るのね?」 そこでまた複雑な顔をするレナ。 彼女は今、クラウドに会えるという嬉しい気持ちと、全てを話してクラウドに嫌われるのではないか、といったなんとも複雑な心境なのだ。 するとメニューをずっと見ていたのか、突如セレナの口が開く。 「じゃ、ここで何か腹ごしらえでも……」 「……十ゴールドまで」 「え〜〜〜〜〜〜!!!???」 「いいわよ。私の奢りで」 「本当!?レナさん大好き!!!」 そこでシィルも目を丸くしてしまった。 酒場に過去行って、自分の弟の仲間とはいえ、見ず知らずの客に何か奢ってしまう店員など、恐らくこの先も彼女が始めてであろう。 「レナって甘い。やっぱりクラウドの姉」 「よく言われる……」 そう言って自分もちゃっかりチョコを注文するシィルもシィルだが、まだ複雑な顔をしながらも、しっかりチョコを出すレナもレナだ。 すると、彼女はセレナにジュースを出して一つ溜息をつく。 「……まぁ、本当の姉弟じゃないんだけどね」 「「え??」」 二人は驚き、目を丸くした。 そしてレナは二人を見て、そっと自分の事と、クラウドの事を話した。
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