夜の酒場は混むのが常識。 しかし深夜にもなると、客の数は少ない。なのでいまだ店で働いている従業員は、いつも雇うアルバイトか、マスターくらいだ。 若干19なこの店のマスターは、そんな一人の従業員を見て、心底心配そうな顔をしながら彼女に近づく。 「……」 「レナさん」 その声に、赤い髪の女性が振り返る。18歳のレナ・バロンだ。 「あっ、ウィルさん」 マスター、ウィルを見ながら、レナはいつもの笑みを交わす。 しかしそれが彼女の、いつもの天真爛漫な笑みではないとは、マスターでなくとも、この店の常連客の誰もが知っている。 するとウィルは一つ溜息をつきながら、優しく彼女の肩を掴む。 「クラウド君に、全てを話すべきです」 「いいよ。どうせあの子、私の事嫌いだもん」 そっぽを向いて否定したレナ。 自分は彼を置いて、家族ごと逃げたのだ。 彼を置いていったようなものだ。 「そうじゃなかったら、あんな目で見ないもん」 「レナさん」 あの目。それはウィルにも分かる。 クラウドはあの時、まさしく親の仇を見るかのような目で睨みつけていた。 あの目は何を言っても許してくれない。 そうレナが思って溜息をつくと、ウィルはクスリと笑って彼女を見る。
「嫌われていても、話すべきです。一生あの子が嘘を信じるより、本当の事を話して、その上で、それでも嫌われるのなら、仕方ないじゃないですか」
「……」 それもそうだ。 嫌われているのだから、真実を話したとしてもこれ以上嫌われる事はない。 それより、このまま嘘を突き通せば、真実を知った時に傷つくのはクラウドだ。そう思うと、彼女の顔が更に暗くなる。 「それにですね」 ふと、そんなウィルの言葉に、レナは顔を上げる。 「クラウド君はレナさんの事、嫌いじゃないと思います」 「どうして?」 まるで子供が親を見るかのような目で彼を見る。 すると、ウィルは少し笑って口を開いた。 「だって、もし嫌いだったら話しかけませんもの。最初からレナさんが話しかけても無視しますよ。あなたに似て、特に女の子に優しいでしょうし」 「……かもね」 そう考えると、彼女は少しだけ笑った。 そもそも、もしクラウドが女の子を簡単に嫌いになれるような性格だったら、あのティセみたいな心の優しい娘が慕う筈がないのだ。 それに自分は彼に何時も言っていたはずだ。女の子を悲しませてはいけないと。泣かせてはいけないと。苦しませてはいけないと。 そう考え、彼女はまっすぐにウィルを見て、口を開いた。 「分かった。明日真実を口にする」 そう言って、彼女は満面の笑みを見せる。 すると、ウィルは少し顔を火照らせ、すぐに慌てだし、一つ咳払いをして、いつものように優しく笑いかける。 「それがいいです」 ウィルはそんな彼女の笑みを見ると、振り返って厨房に戻る。 そんなに彼女が笑ってくれた事が嬉しいのだろうか。
「あれあれ……レナさんのああいう所が好きなんだよね」 そんな、ウィルの呟きが聞こえたのは、定かではない。
朝日が昇って少し経つと、外から鶏や雀の声が聞こえる。 宿屋の一室で、一人の少女を抱きながら眠っていた、とても幸せな男、クラウドが目覚めると、ふと自分の腕に抱かれた少女、シィルを見る。 「……おはよう、クラウド」 「おはよう」 軽く挨拶をして、軽くキスを交わす。 二人が付き合ってからの習慣であり、昨日あんな事があったとてそれは欠かさない。 ふと、シィルの口がもう一度開いた。 「ティセから聞いた」 「そう」 聞いた。とは何のことか。 それは決まっている。ティセが一人では解決できないと思い、クラウドの恋人で一番近い存在である彼女に相談したのだろう。 すると、彼の胸に抱かれたまま、彼女はクラウドの顔を見て首をかしげる。 「クラウド、まだ許せない?」 「……あぁ」 力なく答えるクラウド。 自分でも子供みたいな事だというのは分かっている。 しかし、許せないのだ。 「あれがそのレイヤーの嘘だったとしても?」 「……だとしてもだ」 あれがあの男の嘘だったとしても、自分は許せない。 だったらどうしてあの女から真実が聞けない。 それは簡単な事だ。 もしも真実がもっと深くあり、無理やり話させたなら、自分どころか、レナまで傷つけてしまうのではないか、という思いもあるのだ。 自分も甘い、と一言加えると、シィルの表情が突然変る。
「クラウドは六年前のまま?」
「え?」 そう呟いた瞬間、ふと彼女はクラウドの両頬を掴み、そのまま抓った。 「いたたたたたたたた!!!!」 あんまり痛くないので、彼は軽い抵抗しかしないが、しばらくすると彼女の方から両手を離し、今度は彼を見て薄っすらと笑う。 「六年前とは違う。背も大きくなっていて、顔つきだって変わってる。なのに、どうしてあの人はクラウドの事分かったの?」 「あっ……」 それもそうだ。とクラウドは面食らったような顔になった。 自分は六年前とは違い、顔つきだって大人になったし、まして背丈だって、いくらなんでも六年前のままだなんて事はありえない。 「嫌いな人の事なら、とっくの昔に忘れてる」 そう告げるシィルの言葉の意味が、クラウドに重く圧し掛かった。 「……」 彼は黙ると、俯いてまともに彼女の顔を見れなくなってしまった。 すると、シィルはわざわざ彼の耳元まで顔を近づけて囁く。 「会いに行って」 「……ごめん」 彼が謝るのは、彼女とのデートができなくなるからだ。 特に今日、ノエルの商店街が賑わっているのを見ると、相当行きたかったに違いない。それでも彼女は、クラウドに行ってほしかった。 彼は着替えると、ドアを開けて、もう一度シィルを見る。 「次はちゃんとデートするから」 「……うん」 それだけ言うと、彼はドアを閉めて、外に出て行った。 そしてシィルは、彼がいなくなったのを見計らい、彼の寝ていた場所に近づくと、彼のぬくもりを感じつつ、淡いまどろみの中に陥りだした。 「クラウドは、まだ嫌いになってない」 ――だとしたら、仲直りできる。 ――そのレナって人が真実を話してくれるなら…… ――きっと…… 目を閉じ、彼の為に祈るシィル。 そしてティセとセレナが起こすまでの数時間、彼女は白い肌にこれまた白いシーツを一枚重ねただけの姿で、浅い眠りについていた。
「しまった……」 ――どこの宿屋にいるんだっけ…… 朝一番の早朝8時、彼女にとっては早朝な8時、大急ぎでクラウドに事の真相を話そうと家を出て少し。 酒場の前についた所で、彼女、レナは気が付いた。 自分は、クラウドが泊まっている宿を知らない。 ましてや、どこに出没するかも分からない。 これでは、酒場で待っていた方が幾分もましである。ちょうど酒場の手前で立ち止まったレナは安堵の息を漏らし、酒場の中へと入っていった。
瞬間、 彼女の視界が暗転する。
「……え?」 彼女は驚いた。 普通、何の変哲もない、酒場のドアを開いた途端、自分の視界が突如真っ暗になるだなんて、一体どこの世界であり得ようか。 当惑している彼女の目に留まったのは、とある村であった。 いや、そこは村ではない。 既に焼け野原に化した、レナ、そして自分の弟の故郷であった。 「嘘……こんな事って……」 あり得ない。
あれは何年も前の出来事の筈。それが今こうして自分の目の前で起こっている事など有り得よう筈がない。 レナは首を振って必至に現実を否定するが、それでも視界は、徐々に焼け野原になった村を通り過ぎ、一軒の家にたどり着く。 いや、そこもまた、少し前まで家であった、焼け野原であった。
「まさか……」 しかし、彼女が驚いたのは、そんな焼け野原でも、自分が置いていった村が焼かれていた事実でもない。 彼女が驚いていたのは、その昔、自分の家であった焼け野原の中心で、ただ涙を流して蹲っている、まだ小さい男の子であった。 「グズッ……エグッ……」 見間違える筈がない。 あれは自分の弟、クラウドだった。 彼との距離はたった五メートル。 しかし、どんなに精一杯走ろうとしても、彼女の全身はまるで、金縛りにあったかのように動かない。 「お姉ちゃん……お父さん……お母さん……」 自分の弟が、自分達の名前を呼びながら泣いている。 レナの心に刃が刺さり、傷を付けたのも当然だ。 分かっている。 「何で……どうして置いていくの?」 泣きながら、母親の服に声を掛けるクラウド。 すると、彼の口がまた開いた。
「僕が……お父さん達の子供じゃないから?」 その言葉は、一瞬彼女の耳に遅れて入った。 しかも、徐々にエコーまで掛けられて。
「ち、違……」 どう違う、というのだろう。 クラウドは自分の、本当の弟ではないし、両親の実の子供でもない。 しかし、両親はそれを必至で隠し、父親は髪を黒く染め、自分は母親に似たと言って誤魔化してきた。 よくよく考えれば、彼はこういう、どうでもいい事に関しては鋭かったので、いずれは分かってしまうと懸念していた。 だが、そんな理由で彼を置いていった訳ではないのだ。 「違うの……見つからなくて……」 「嘘だ!」 大きな声と共に、 突如前に現れた、あの頃の、まだ幼いクラウド。 「クラウド……」 「お姉ちゃんもお父さんもお母さんも、僕なんていらなかったから、いても役に立たないから、だから捨てたんだ!!」 「違う!私は……」 言葉が詰まる。 そこにいるクラウドの目にはもはや光がなく、両方の目からは大きな涙が流れていて、これで何を言い返せるというのか。 「僕が……僕がお姉ちゃんの弟じゃないから?僕がお姉ちゃんに嫌われてたから?僕はお姉ちゃんの事大好きなのに……お姉ちゃんは僕が嫌い」 「違う!!お願い信じて!嫌いじゃない」 両耳を塞ぎ、ついに膝から崩れ落ちるレナ。 思えば自分が悪いのだ。 自分がクラウドが来るまで待っていれば、自分の身を犠牲にしてでも、彼を探すべきだったのだ。それが姉である彼女の使命だったから。 しかし彼女は両親の為にそれをしなかった。 それは、彼を捨てたと言っても、過言ではない。 「お姉ちゃん、僕の事、嫌い?」 「違う……違う……」 呟く彼女の目線に、一本のナイフが置かれる。 クラウドは呟いた。 「それで僕を刺して。それが駄目なら、お姉ちゃん自身が傷を負って」 「……」 レナはクラウドを見るとまた俯き、そっとナイフを持つ。 それはとても綺麗な色をしていて、彫刻が彫ってある。 そしてとても綺麗な刃の形をしていた。 ――これで胸を貫いたら、死ぬ。 自分の弟を傷つける事なんてできる訳がない。それができる位なら自分の弟の事などとっくの昔に忘れている。 自分が傷つけば彼は許してくれる。 そう聞きたそうに、彼女は目線を彼の方に移す。 「クラウド……」 「お姉ちゃんは、僕の事好きだよね?ならここで、どちらかを選んで。僕を傷つけて僕を捨てるか、お姉ちゃんも僕と同じ傷を背負うか」 クラウドの言葉に、レナは暫く黙ってから軽く頷いた。 「……うん」 レナはナイフを持ち、それを逆手にした。 これくらいで彼が許してくれるのだったら、自分はこの先後何年生きるか分からない自分の人生に終わりを告げても構わない。 こんな自分が死ぬ事で彼が救われるのなら、何度だってやってやろう。 そして目を閉じ、神様に祈りを捧げ、そっと己の胸にナイフを付きたてた。 「……」 それから、どれくらい時間が経っただろうか。 ふと、聞いた事のない男の声が聞こえてくる。
「馬鹿な……貴様は……」
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