「言っておくが、私とそこの欠陥品と一緒と思っているのならば、その考えを改めた方が懸命だと思うが?」 「えぇ。もちろん」 だというのに、 エリスは剣を抜いて右手で構えると、左手を突き出し、念じる。 何の詠唱もない。まさに勘だけの魔法。 「セレスは欠陥品なんかじゃない、大事な友達よ!そしてあんたは、そのセレスを殺そうとしている、人類史上かつてない最低男……この考えは、間違ってないわ!!!」 一気に飛んだ。 飛翔魔法をあらかじめ用意し、左手には魔法の盾を装着している。 同時に、紅蓮の右手から強力な炎が舞い、エリスに向かって一直線に進んでいく。 炎を盾の魔法で抑えると、彼女は剣を強く握り締める。 ――もう魔力なんてない。 ――詠唱なんていちいち唱えている時間なんてない。 「でも、こいつに負けるなんて事は絶対あってはいけない」 強く言い放ち、手に持っている剣を振り上げる。 それは、以前真琴との一騎打ちの時に使ったブロードソード。 それを振り下ろし、紅蓮のローブに傷を作る。 「ほぉ?」 一瞬、紅蓮がニヤリと笑ったのは気の責だろうか。 そして次の瞬間、エリスは更に紅蓮に接近し、ブロードソードで彼に斬りつけようとするが、一向に紅蓮に近づけない。 なぜなら簡単。紅蓮は彼女が剣を振り上げ、振り下ろす瞬間の間に、瞬時に移動の魔法を唱え、攻撃を回避していたからである。 これができるのも、彼が彼女と同じエレメントソーサレスで、わざわざ魔法を使うのに呪文の詠唱などを必要としないからであった。 だからローブは傷つけているが、肝心の彼の体には、未だ傷一つもできていなかった。 そしてその事が、エリスを更に焦らせる。 ――しまった!! 一瞬、二人の距離が広くなってしまった。 それはこの魔術師にとってまさに好機であった。エリスと違って接近戦ができないこの魔術師は、遠距離の魔法攻撃なら、エリスなど紙を切るが如く、容易く行えるのだから。 右手を突き出し、光の魔法を放つ。 何の詠唱もない、不意をついた攻撃。 間一髪頬を掠めたものの、光のそれは壁に激突した瞬間、凄まじい爆音と爆風を放ち、そこにあった壁を一瞬に塵に化してしまっていた。 ほんの数秒反応が遅かったら。そんな予想がエリスの頭を過ぎり、軽く戦慄する。 しかしそれだけでは終わらない。 今度はまさに悪夢のように、いつくもの光が流星となってエリスに襲い掛かる。 それは先程セレスが放ったシャインとは雲泥の差。 まるで先程まで彼女が放っていたシャインが、ただのお遊びだったのではないかという錯覚を覚えてしまう程、威力の桁が違っていた。 「死ぬがいい、エリス・ノーティス!!」 そんな詠唱無しの魔法を、いつまでも避けられる筈もなく、エリスはしだいに追い詰められ、ついにイージスの魔法で防ぐ事にした。 魔法の盾を装備し、相手の魔法に立ち向かっていく。 それでも、その光の流星が盾に激突した瞬間、凄まじい衝撃と共に、彼女の体の節々が悲鳴を上げていく。
もはや限界だった。
虫達の攻撃を防ぐ為の防御魔法に、虫達を倒す為の攻撃魔法、加えてセレス戦で殆ど魔力は使い果たした筈だった。 彼女自身、こんな状態でまだ魔法を放てる自分が、少し異常なのではないかと疑問を感じるのには、そう時間が掛からなかった。 ――あたしはエレメントソーサレスなんだから…… エレメントソーサレス。 だからこそ何の詠唱無しに魔法が使える。 しかし、以前紅蓮が言っていた言葉を思い出した。 『この世の精霊に干渉し、その力を引き出す』 魔法自体、この世の精霊の力の一部を放つというだけで、原理は大して変わらない。 ――だから、この世の全ての精霊、 瞬間、魔法の盾を消し、 両手を高く掲げ、
「あたしに……力を貸せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっっ!!!!」
力の必り叫んだ。
瞬間、彼女の体から溢れんばかりの光が生まれた。 「何ぃ!!?」 紅蓮でさえあまりの眩しさに目を覆うのだから、下にいる三人もまた、両手で顔を覆いながら、なんとかその光景を見ようと試みる。 「なんじゃ?」 「エリス殿の体から、溢れんばかりの魔力が……」 溢れんばかりの光とは、即ち魔力。 「馬鹿な、この女……」 「まさか、全ての精霊を!!?」 エリスのやろうとしている事に一番最初に気付いたのは、同じエレメントソーサレスである紅蓮とセレスの二人。 そして、セレスの顔に不安が過ぎる。 ――無謀よ!! 「エリス、止めなさい!!それは駄目!!!」 それだけはできない。 不可能だ。 精霊の力を借りて、余計な詠唱や魔方陣がなくとも魔法が行えるのがエレメントソーサレス、精霊魔術師である。精霊を呼んでそのままその精霊自身の力を借りて戦うという選択肢もあったりする。 しかしこの世全ての精霊を呼ぶというのは、まさしく神々の行いに等しいというのは、エレメントソーサレスであるセレスと紅蓮だからこそ分かる。 空の上にいる彼女が今している事は、まさしく人の身で行うには分不相応な事だった。 「そうか、あの方は全ての精霊を呼ぶつもりか!?」 「なんじゃと?そんな事が可能なのか?」 「そんな魔術師、いるわけ……?」 振り返って怒号を浴びせようとした所で気付く。 ――待てよ、 ――たしか五千年前、誰かがこれを成し遂げられた筈…… それは子供の時に研究所の本で読んだ物語。 遥か昔、この世界全ての精霊を呼び出し、かつての邪悪な魔王から、この世界を救った魔術師がいるという伝説。 ずっと御伽噺だと思って聞かされていた伝説。 「たしか名前は……フラン……フラン……」 「フランソワーズ・ノーティス」 「ノーティス!?それはたしか……」 そうこう言っているうちに、光が収まる。
するとそこには、まぎれもない奇跡が目の前にあった。 三人はおろか、あの紅蓮でさえも驚愕で口が動かない。
「一度に……精霊を五体も……?」 「まさか、之ほどとは……」
そこにはエリスの周りに五人の人間がいた。 否、人間の形をした、何かがいた。 男が一人、そして女が四人。 しかしそのどれもが、凄まじい程の魔力を帯びている事には、魔法の知識などからっきしのジョップでさえも分かった。
『召還に応じて参上した。俺様は大地の精霊ノーム』 大柄で丹精な若者の容姿をしている青年。 『同じく、氷の精霊シヴァ』 雪のように白い肌と見惚れてしまう程の美しさを纏った女性。 『同じく、風の精霊シルフ』 緑色の衣に身を纏った、エリスと変わらないくらいの年頃の少女。 『水の精霊アクアです』 水の衣に優しさと明るさを込めた容姿の少女。 『そして私が光の精霊、アポロン。人間、そなたはどうして私達を呼び寄せた?』 真ん中には、光り輝く姿に、太陽のような優しさと憂いを込めた容姿を持つ女性。
恐らく、エリスでさえもびっくりしたであろう。 自分はたしかに、この世の精霊全てに力を貸してほしいと頼んだ。 しかし、それはどの精霊でも良いから力を貸せという意味で、まさか五体も同時に現れてしまうとは、思わなかったであろう。 そして五人の精霊、人間の形をしているが、その溢れんばかりの魔力はまさに悪魔並みであり、それだけでこの五人が精霊、もしくは神か悪魔の類だという事は理解できた。 「あいつを倒したい。あいつを倒して、この国を、この町を救いたい!!」 だからこそ、こんな輝くほどの魔力を持っている精霊相手に、こんなことを言えてしまう彼女はある意味大物なのだろう。 しばらくの静寂のうち、 『……ふ』 「え?」 ノームという精霊の肩が振るえ、徐々に大笑いに変わる。 大地の精霊に似合った、若者の豪快な高笑いが町を轟かす。 『はははははっ!!俺達を五人も呼びよせて、命令がそれだけとはな』 『全くだ。世界の危機だと思ったぞ?』 氷の魔力を纏ったシヴァさえも呆れる程であった。 『まぁまぁ、彼女にとっては世界の危機と同じくらい重要なのよ』 緑色のオーラを纏った、シルフという少女が二人を宥める。 それで呆れて憤慨していたシヴァも、そんな彼女の笑みに、次第に呆れが失せてやれやれという顔をすると、またエリスの方を向く。 『まぁ、シルフが言うのだからそうなのだろう。それよりも人間、本当にこの男さえ倒してしまえばそれでよいのだな?』 「えぇ。お願い。力を貸して」 精霊は人間とは格段に違う。 しかし、彼女には分かる。彼らはとても良い精霊だと言うことに。
『わかりました。ならば私の力を持って、あなたに勝利の風を』 シルフは明るい笑顔で風を操り、 『彼の者を無限の氷結に』 シヴァは無表情ながらも、右手を差し出して氷を呼び、 『俺の大地の力でぶっ潰してやるぜ』 ノームは笑いながら大地を轟かし、 『私は後ろの方々を、水の加護で守りましょう』 アクアはセレス達の周りを囲むように水の防護陣を作り、 『そして、私は光の力を持って、あの者に天罰を与えましょう』 アポロンは穏やかな笑みを浮かべて杖を振るう。
そして五人の精霊は口々にそう言った後、 『覚悟はできているな、魔術師』 それぞれが紅蓮を睨み付けた。
それは彼にとって、味わった事のない恐怖。 そうであろう。この世のマナを司る強大な力の持ち主、その力一つ一つが自然現象の原因ともされ、天地を揺るがしかねないような魔力を誇る精霊が、それも五体も自分の敵になったのだから。 それがどういう意味か、魔術師、しかもエリスやセレスと同じ、精霊の力を借りる精霊魔術師である紅蓮だからこそ分かる。 「なんだと、精霊が……どうしてこんな女一人に……!!」 彼にとっての最大の幸福は、火の精霊イフリートがまだ敵に回っていなかった事に他ならない。もしもそうなった場合、彼に訪れる運命は死のみだからだ。 しかし彼の使う魔術の多くを占めるイフリートの加護がまだあるという事に気付き、紅蓮は即座に魔力を高める。 「あ、あは……あはは、たかが、精霊如きに負ける紅蓮と思うな!」 『面白い!我等五大精霊を敵に回して、生きて帰れると思うな魔術師よ』 そこで合戦が始まった。 世界を揺るがす五大精霊と炎の精霊魔術師の合戦が。 まず動いたのは紅蓮だった。 彼は右手に即座に巨大な炎を作ると、すぐさま炎が最大の弱点である水の精霊に向かって放つ。彼女さえ倒せば、即彼女の守っているセレス達を倒せるからだ。 『そうはさせませんよ!』 しかし風の精霊がそれを許さない。 すぐに紅蓮の放った炎の柱は、シルフの放った巨大な風によって軌道を変えられてしまい、アクアに命中する事はなかった。 『コキュートスへと落ちよ、魔術師』 そうこうしているうちに、シヴァの作った氷の矢が紅蓮を襲う。 それらは連続で降り注ぎ、すぐさま彼も巨大なバリアを作って受け止める。 「くそっ!」 『おらおら、まだまだ行くぜ!!』 豪快な怒号が聞こえると、突如紅蓮の真下から巨大な大地の龍が襲い掛かる。 それを彼はすんでで避けたものの、右腕を傷つけてしまった。 しかしエリスとの距離は縮み、即座に彼は魔法を放つ準備をする。 狙いはエリス本人。 「バニシングフレアー!!」 巨大な炎のレーザーを彼女に向かって放つ紅蓮。 『させません』 それすらも、光の精霊アポロンの放った光の壁によって、跳ね返されてしまった。 もはやこれでは彼の負けは確信された。 「くそ、ここまでか……」 すぐに移動の魔法を唱えようとする。残念ながらこの魔法は炎の加護は受けていないうえに、彼自身、逃げる為に使う事が無かった為に、ちゃんと詠唱しないと使えない。 『逃げる気か?』 「機会があったらまた会おう。どうせすぐに滅ぼせる。その女も、今回の召還が限界らしいからな……張り合えなくてつまらん」 それは嘘だ。 その一人一人がこの世界を支えると言われる精霊。それを五体と一度に戦うなど、それこそ魔王にたった一人でケンカ売っているようなものだ。 戦略的撤退、要は退却だった。 『ならば早く行きなさい』 『誰も傷つけないでね。私は風の精霊だから、すぐに目が届くわ』 シルフがそう言った時には、すでに紅蓮の姿は消えていた。 その光景を見ていたセレス、ウォルス、そしてジョップの三人は、さながら夢でも見ているかのような心地であった。 「助かったのか、わしら」 「助けられた、と言った方が正しいか。あの魔術師殿に……」 「エリス……」 セレスは呟き、はるか上空にいるエリスを見る。 そこには五体の精霊を前にしても尚、毅然としているエリスの姿があったからだ。
『では私達はこれで』 『また何かあったら召還しな。俺の大地の力で潰してやるぜ』 『我等は人間が好きだからな。何時でも力になる』 『いつでも守ります』 『エリス、私達は、何時でも貴方を待っていますからね』
其々が口を開き、また其々消えていってしまった。 「あれが……精霊なんだ……」 そう呟くと、エリスはそっと地上に降り、そして、 ――ドサッ そのまま力なく倒れた。 「エリス!!!」 それをすかさず追いかけ、抱き起こすジョップ。 魔術に無頓着であった彼であっても、今のエリスがどれほど危険な状態かは分かる。 多くの魔物と戦い、セレスとの戦闘で魔力を空にし、挙句に紅蓮と戦う為に精霊を五体も呼び出したのだ。 最悪、命の危険性も考えたそのときであった。 「クー、スピー」 見ると、なんとも気持ちよさそうに夢の中にいるエリス。 その姿に全員、あのウォルスでさえもずっこけてしまった事は明白である。 「がくっ!!魔力切れで寝ただけじゃん!!」 「まったく……心配かけさせおって」 命に別状がないと分かり、安堵の息を漏らすジョップ。するとそっと隣に座り、そっと優しい笑みを浮かべながら彼女の頬を撫でるウォルス。 「言うな御老人。この少女はそなたとたった二人で、町中の虫はおろか、私達とも戦い、既に魔力がなかったのだから」 「さっきも、きっと火事場の馬鹿力でしょうね。きっとこいつは、自分のピンチになると能力を発揮するタイプなのよ」 セレスはそう言うと、上空を見上げる。 彼女がまだ精霊魔術師として覚醒していなかった頃、研究所の本で精霊魔術について書かれていた記録を、思い出したからだ。 ――やっぱ、先天性には勝てないか…… 何かを諦めたかのように笑いながら、エリスを見る。どうして彼女に負けたか、それがセレスには分かってしまったからだ。 「怒りによって力が目覚める、遠野真琴と同類か……さすが特別隊じゃ」 だとしたら特別隊はなんて隊なんだ。そう思ったジョップ。 まぁそこには半年間彼女達を面倒見てきたアリス、そして彼女の後を引き継いだ、どこぞの東洋から来た騎士のおかげなのだが。 そして彼女をそっと抱き寄せて背負うと、おんぶされながらまだ寝ているエリスを見、どこか嬉しさを込み上げる。 彼女がいなければきっと負けていたであろう。きっと死んでいたであろう。 まったくもって、大切な人の為ならどんな困難をも越えられるという、わが国の姫の言葉は間違っていなかったようだ。 「まったく、孫がいたらきっと、こんな感じなんじゃろな」 「んん……」 「なんじゃ、エリス?」 眠っている少女を見ながら、嬉しさで顔が緩むジョップ。
「おじいちゃん……」 「…………」
するとジョップは俯き、少し肩を震わせながら歩き出す。 「あっ、ジョップ泣いてる」 「セレス、余計な事は言わない方がよい」 そんなジョップをからかうセレスと、それを止めるウォルス。 三人はそのまま、町の中央まで歩いていった。
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