瞬間、雲が空を覆い、大地が揺れた。 「なんじゃ!?」 「分からぬ。まだいるというのか!!?」 「そんな訳ないでしょ!!?グレンフェルトと襲っている虫の統率者は全て倒されたわ。私もあんたも、レイチェルもゴードンも……!!」 セレスはそこで思い出した。 以前あの男が作ったとされる、最強の殺戮兵器を。 『まだ俺がいるであろう?』 暗く、地底から響き渡るような声。 ジョップはセレスを物陰に隠し、他二人は戦闘に備えた。 「!!?その声は?」 「いるんでしょ!?出てきなさいよ、デロス!!」 セレスが前を向いて呼びかけると、更に地響きが辺りを襲い、ついにはセレスの横で地割れが起こった。 「なんじゃと…!まだいるというのか!!?」 「いるわ。生憎だけど、こいつが一番厄介な……一番手ごわい相手かもね」 平然としている感じに見えるが、セレスもやはり恐怖を覚えているのだろうか、足と肩が振るえ、首筋に冷たい汗が流れている。 しかしそこで彼女が怖気づいてしまえば、後ろで眠っている少女にまた助けられてしまう事になる。或いは彼女の命に今度こそ危険が迫るのだ。 それだけはさせてはいけない。そう何度も助けてもらってばかりでは、後天的とはいえ精霊魔術師の名に泥を塗る事は必至。 ここで彼女に闘わせるわけにはいかないのだ。 「ウォルス、やれる?」 「無論だ。セレスは後方支援を」 「わしは……」 ジョップもすかさず剣を抜いて構える。 しかしウォルスはそれを許そうとはしなかった。 「済まない御老体、そなたはエリス殿を守っていてくれ。今の彼女にもしもの事があってはならないのだ」 「何を言っておるか、お主はわしと戦って怪我をしておるのだぞ!!?」 ジョップが叫ぶが、それでもウォルスは彼を見つめる。 「頼む御老体。これが私達の、せめてもの償いなのだ。助けてもらったエリス殿にもしもの事があったら、私達は彼女に恩を返せなくなる。お願いだ」 「……」 しばらく黙り、剣を下ろすジョップ。 「仕方がないのぅ。死ぬではないぞ?」 「心配ありません。御老体こそ、御自分の腰の具合を心配なさってください」 「ぐっ、言っておれ!」 捨てゼリフを吐いて後ろを向くジョップ。そのままエリスの所まで駆け出した。
「さて、セレス。いくぞ」 「分かったわよ。特別隊だっけ?」 セレスの言葉に頷くウォルス。 「あぁ。こいつを倒せるのはその特別隊の、隊長しかいないだろうな」 「えぇ。他の特別隊が来るまでに、ここを死守すればいいわけ」 「……すまないな。最強の名、もう名乗れそうにない」 俯いて呟くウォルス。彼はいつだってセレスに、最強の名を示してきた。 多くの者と戦い、多くの者を倒し、彼女をひたすら喜ばせる為に、ただひたすら最強の名を轟かせてきた。 しかし、それを聞いて首を横に振ったのは、赤い髪を持つセレスであった。
「違う。私がここにいる限り、この大地に立っている限り、私は叫び続けるわ。この世界で最強の剣士は、ウォルス・ローゼンリッターだって!」
「……ありがとう」 だから信用している。 だからこそ、前線を任せられる。 「……そうじゃなかったら、今頃他のパートナー探してるわ」 「きついな。いつも通りだ」 話しているうちに、地割れが大きくなり、そこから邪悪な魔物が現れた。 全長は二十メートル。その姿はまるで巨大化したカブトムシ。違う所は、巨大な角と巨大な牙を二つ持っていて、その足はまるで大木のように大きかった。 「いいザマだなセレスと剣士よ。見ておったぞ?」 気持ち悪い声で言い放つカブトムシ。 その姿を見て気味悪がらないのは、このセレスもそんな虫など、子供の時から見飽きているからに他ならない。 「現れたわねデロス。言っておくけど、私はもうあの男には従わないわ。いますぐここから去るんだったら、命だけは助けてあげる」 勿論、強がっている事は彼女自身も分かっている。 今ここで闘えば、自分達の身の安全は保障できない。 それでも、特別隊がここに来るまでに、なんとか持ちこたえなければならない。エリスを助ける為には、彼らの協力が必要だからだ。 「だから、特別隊の到着まで、私達が遊んであげる」 「ははははは、よかろう。踏み潰してくれるわ!!」 デロスの笑い声と共に、魔力を高めるセレス。 白い球体が両手から溢れ、今にも爆発しそうな程の勢いを増していく。 「シャイン!!」 魔法名の発動と同時に、両手から光の槍が飛び出していく。 そしてそれは幾重にも重なり、デロスに激突していく。 「これが精霊魔術師か。なんとも弱弱しい攻撃よのう」 しかし彼の嘲笑から察するに、体を貫くまでには至らなかったようだ。 無理もない。甲殻類の魔物は防御力が高いうえに、デロスのようなカブトムシ系は、特に防御に秀でた魔物として知られている。 その上巨大化されてしまえば、後天的とはいえ、いくら精霊魔術師である彼女が放った魔法あっても、その装甲を貫く事は難しいのだ。 「黙れ!!喰らえ、奥義・邪龍滅破斬!!!」 嘲笑するデロスを一括し、剣に邪悪な力を込めるウォルス。 それを一気に解き放つと、その黒いオーラは龍となって、デロスにぶつかっていく。 しかし邪悪な黒い龍が、本来飲み込まれる筈だったデロスが、一本の足で掻き消してしまうのを見ると、驚愕し、膝を地に着かせてしまった。 「そんな。俺の奥義すら効かぬとは……」 「はははは。これが奥義か。俺を笑い死にさせたいのか!!」 尚も高笑いが止まらないデロスを見上げ、呆然とするウォルス。 有り得なかった。 自分はこの技で一国を滅ぼした事だってある。いくらあの老いたる騎士に負けて負傷しているとはいえ、魔物一匹倒せなかったという事実が、今はとても重たかった。 そしてそれはセレスも同じだった。 自分の最も信頼していた彼が、自分を今の今まで守ってくれていた彼が、あのような汚らしい魔物を倒せなかった。 もはや彼には、あの魔物を倒す力などない。恐らく、今は気を失わないように意識を保つのが精一杯で、立つことなどできよう筈がない。 そして彼を心配するあまり、横から来るカブトムシの角に気がつかなかった。 激突し、吹き飛ばされる。 三メートル程飛ばされた。地面に激突したので左足が折れた。背中には打撲、そしてもはや魔力もあとわずかで、それでは命綱にもならない。 「あはは……痛いや……すっごく」 笑うしかなかった。 絶望的な死。彼女の目の前には今、ウォルスよりもデロスよりも、黒衣を纏い、大きな鎌を持った醜い死神の姿が浮かんでいた。 「死ぬがいい、セレス・アルフレッド!!」 大きく足を振るい、倒れている彼女にトドメを刺そうとするデロス。 ――ごめんウォルス、もう無理。 「セレス!!!」 叫んだ。 もはや立つ力すらないウォルスは、今死に逝こうとしている儚い少女を目前に、守りきれなかった悔しさを吐き出そうとしていた。
瞬間、 風が吹いた。
デロスの足が彼女を蹴り上げる前に、彼女の姿が一瞬、何かに浚われ、消え去った。 驚愕に満ちていたのはウォルスと、このカブトムシだけ。 「まだこんな化け物がいたんですね」 煙が舞い上がり、徐々に人の姿が見えてくる。 それは、一人の騎士であった。 「!!そなたは!?」 桜色の髪に温和な表情。 その目は獲物を狙うハンターの如く、 両手には、先程まで自分が守ろうとしていた、たった一人のパートナーの少女を抱えたその騎士は、背中にボーガンと矢を背負っていた、サクラ・フィルメスであった。 「ふぇええええええええええええ!!!!」 次の声が聞こえる。 すると瞬間、デロスの体から夥しい程の血が流れ、そしてそこから、装甲の一部が欠けて落ちているのが見えた。 そして誰かが着地すると、そこにはセレスと同じくらいの年の騎士が、その小さな体に不釣合いな程の巨大な剣を持って立っていた。 ウォルスは知らない。彼女が遠野真琴という、エリスの同期であるという事に。 「ぐおおお……なんという力だ……まだこのような力を持つ剣士がいたとは……」 恐らくデロスでさえも、彼女の強力が信じられないのだろう。 ウォルスだって初めて見た。負傷していたとはいえ、自身が持つ最大の剣を持って放った一撃を防いでしまった無敵の装甲を、ただ力のみで切り裂いた少女など。 「エリスちゃん!!?」 セレスと同じ年であろうその少女は、恐らくはエリスと同じ隊なのだろうか、眠っている彼女を見た瞬間驚き、彼女の元に走っていってしまうではないか。 「騎士よ、あの魔術師は無事だ。今はこいつを……」 「真琴ちゃん!!」 「……ふぇ。分かったよ」 急いでサクラとウォルスが止めると、真琴は振り返って剣を構える。 今は最前列に立って、彼女達を守らなければならないからだ。 すると、そんな声で目が覚めたのか、エリスの目が開いていく。
「たい……ちょう?」 「エリス、よく頑張ったな」
彼女はすると、一番目に映った、自分の隊長である雪弥を見て、安堵の息を漏らす。 「あはは。ブイ!」 にっこり笑ってVサイン。 ここまでやれたんだ。後でいっぱいご褒美を貰えばいい。 後は、彼らに任せれば大丈夫。 ようやく安心したのか、エリスは目を閉じると、少しばかりの眠りについた。 そしてそれを確認すると、彼も死神を抜き、鋭い目つきでデロスを睨みつける。 「さて、もう貴様らの親は捕まった。おとなしく引き上げてもらおう」 「そうはいかない。こうなれば俺だけでこの国を滅ぼしてやるわ!!」 そう叫び、前進する魔物。家屋が崩れ、町が破壊されていくのを見ると、雪弥は跳躍してカブトムシの目の前に移動し、その装甲を切りつける。 すると、カブトムシの装甲が切れ、そこから真琴の時と同様、血が流れる。 同じように足を切りつけ、カブトムシの移動を不可能にさせた。 「馬鹿な、何故だ……俺の装甲を……竜ですら貫けぬ装甲を……!!!???」 二メートル程下がり、驚愕の目で雪弥を見るデロス。 青く澄んだ髪、そして東洋の着物と呼ばれる服装は、およそグレンフェルトの騎士とは思えなかった。 しかし彼は断言できる。この場で一番の脅威はあの男の剣だという事が。 「残念であったな。この刀の前では、お主の防御力など無意味」 「なんだと!!?」 竜族でさえ、巨大化した甲殻類の装甲を切りつけるのは不可能だった。 それが、あんな小さな日本刀だけでこのダメージである。 デロスに圧し掛かってきたのは、まぎれもなく恐怖であった。 「観念しますね?私の目には見えています。いくら硬い皮膚を持っていても、そのつなぎ目までは硬くはないという事実が」 「ふぇ。どんな装甲だって、力で切り込めば怖くない!!」 右にはサクラが、左には真琴が、前には雪弥に後ろにはウォルス。 もはや満身創痍で全気力を使い果たした状態だが、ウォルスは自らに残っている最後の力を振り絞って立ち上がる。 「騎士よ、微弱だが、力を貸す」 「そうか?恩に着るぞ」 大怪我を振り絞って立ち上がる騎士を見て、先程まで敵同士だった東洋の騎士雪弥は軽く笑みを浮かべてお礼を言う。 そして彼が気を溜めると、全員が構え、一斉攻撃の態勢に入る。 八方塞。まさにデロスにとって、絶対絶命であった。 「馬鹿な……この俺が……コノオレガァァァァァァァァァァァァ!!!!」 「いくぞ!!」 「はい」 「ふぇ!」 そして真琴は跳躍し、すべての力を込める。 雪弥は死神を振るい、デロスの足を全て切り落とす。 サクラは矢を数本放ち、デロスの両目、両触覚を射抜き、五感の内二感を奪う。 そして真琴のグレートソードが、カブトムシの体を二つに分断した。 「グオオ……」 しかしそれでも決定的な一撃にはならなかった。 驚異的な生き汚さが勝ったのか、カブトムシの魔物はまだ切られていない羽を振るって空を飛ぼうとしていた。 「ふぇ!!?」 「そんな!!」 「おのれ、まだ死なぬとは……」 さしもの雪弥達も、驚愕せずにはいられなかった。 そしてあの羽で空を飛ばれては、もうサクラに頼るしかなくなってしまう。剣での攻撃は不可能かもしれなかった。 「そうはさせない」 しかし、一人の言葉に、全員が驚く。 そのものは、初めは敵としてあった。 そもそもこんな国を守ろうとは考えてもいなかった。 ただ、後ろにいる魔術師、剣を交えた老騎士、そして今後ろにいる少女に、自分こそが最強という証を見せたい。それだけだった。 「御老体、いきます。雪桜!!!!」 これが自分にできる、最大限の罪滅ぼしだ。 そう言っているかのように、散っていく桜の花びら達が、まるで吹雪のようにデロスに向かって吹き荒れ、刃となって攻撃する。 「ぐっ……足りないか」 それを見て彼は心底舌打ちをする。 いくら先程の戦闘で負傷しているとはいえ、自分の技が敵に傷を負わせられないという事実が、彼の自尊心を傷つけていく。 するとその時であった。
「馬鹿者め。力の入れ具合が足りんわい」 「!!?」
突然聞こえた、いる筈のない声に驚愕した。 そして振り返ると、そこにはいつものようにキシシと笑う老いた騎士の姿があった。 「いくぞ、若造」 「……はい」 考えてみれば、エリスがこれで大丈夫だって分かったのだから、もう彼が守っている必要はないのだ。 その上、敵であった筈のウォルスと共に、目の前の敵と戦おうとしている。 それだけで、彼には充分であった。
「「雪桜!!」」
互いの剣から放たれた二つの桜吹雪が、今度こそデロスの体を切り裂いていく。 「グオオオ……裏切り者め……」 魔物デロスは傷ついた体を反転させると、先程攻撃してきた裏切り者のウォルスに向かって、鋭い眼光を放つ。 そしてもう一人が立ち上がった。 「……裏切り?違うわ。見限ったのよ!!」 赤い髪のセレスも自身に魔力を込める。 これが最後。今の傷ついた自分にできる、最後の魔術行使。 「シャイン!」 瞬間、巨大な魔力の塊が、レーザーとなってデロスに直撃した。 ――これ、私だけの力じゃない。 「……そう。エリスったら、お節介なんだから」 これは自分だけの力ではない。自分だけだったら、ここまでの力なんて出せない。 自分は今、一人ぼっちなんかじゃない。エリスという、自分を一生懸命守ってくれる友達がいる。そしてこの町には、そんなエリスみたいな人がいっぱいいる。 「……だったら、守ってやろうじゃない」 もう魔力なんていらない。今ここで友達を守れるなら、ここで魔力を全て消費したっていいんだ。後の事なんて知るか。 「今だ、真琴!!」 「ふぇ!」 声が聞こえる。そこには、自分と同じ年の、銀色の髪をした少女の姿があった。ただ、魔術師であるセレスとは違い、彼女はウォルスと同じ剣士だったが。 ――そういえば、あれがあったわね。 そう思って、先程の魔術を放ち終わった瞬間、また別の魔術を用意する。 「いいわよ。思い切りやりなさい」 それは、ウォルスにいつも、密かに使っていた魔術。 魔力の消費も少なくて気づかれなかったが、何を隠そう、これは彼女が初めて自分で作ったという、とっておきの魔術。
「エクス・プラス」
そう呟き、彼女は今度こそ座り込んでしまった。 それは、ウォルスの攻撃力、防御力、体力等、全てのパラメータを格段に上げる、とんでもない魔術。 ただの力でデロスを分断してしまった遠野真琴。そこにセレスは、彼女のパラメータ全てを魔術によって引き上げたのだ。 そして真琴の剣は、見事デロスを、今度は正面から二つに分断した。 「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァ……」 断末魔と共に消え行くデロスを最後まで見る事叶わず、その場で倒れるセレス。赤く長い髪などもう乱れ放題だった。 ――あぁ、早くお風呂に入りたい…… そんな事を思っていると、ふと目の前に、銀色の何かが手を差し伸べるのが見える。 薄ら目を明けると、そこには自分と同じ年齢の、しかし自分と違ってなんとも天真爛漫で強さを秘めた騎士がいた。 「ふぇ。さっきはありがとね」 「……あの、私あんた達の敵だったんだけど?」 「知ってるよ。エリスちゃんとも一戦したんでしょ?」 それを知っていて助けるというのだ、この騎士は。 彼女は子供だった。自分がもしもまだ切り札を持っていたら、彼女はきっと抵抗もできずに殺されてしまうであろう。 「それで、なんで私を助けようとするのよ?」 無愛想に答えると、真琴は暫く首を傾げ、そしてまた笑みを取り戻した。
「ふぇ?だってさっき助けてくれたもん。だから友達、だよ」
その言葉に、一瞬だけビックリするも、ふと考えて苦笑するセレス。 『この町、この国は、あんたが欲しがってた友達がいっぱいいるの』 さっきエリスに言われた言葉を思い出し、全身の力を込めて起き上がると、真琴が差し出した手を掴んで立ち上がる同い年ほどの少女セレス。 「……まぁ、友達だからいいか」 「うん。おっけー、だよ」 真琴の笑みに答え、知らず知らずのうちに笑みが戻っていたセレス。 それは人殺しを楽しむ笑みではなく、生まれて初めて、しかも一度に二人も友達ができた彼女は、いないかもしれない神というものに少しだけ感謝していた。 横を見ると、自分を長い間一生懸命守ってくれていたウォルスと、もう動けない彼を支えているサクラ。先程まで自分の為に五大精霊まで呼び出していたエリスと、そのエリスをお姫様だっこしている、恐らく彼女の部隊の隊長であろう男。
――なんか、一気に友達が増えそう。 苦笑しながらも内心嬉しがる、セレスであった。
|
|