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THE・Fighter’s〜風の国に続く道〜 作者:リョーランド

第7回   悪夢の終わり
 その声は、その大きな男にとってはまさに死神の言葉に聞こえ、
 そして小さな少女にとっては、女神の言葉に聞こえた。
「……どうして?」
 栗色の綺麗な髪は月に照らされて美しい光沢を放ち、神秘的な可愛らしい顔から発する優しい笑みは、まるで聖女か天使を連想させる。
「お姉ちゃんって言ってくれた、私の可愛い妹分が死にそうになってる。助けたいと思うに決まっているじゃないですか」
 さも当然のように言ってくる少女、ティセは、彼女を見ると、まるで自分の妹どころか娘でも見るかのような優しい笑みを返す。
 瞬間、セレナは彼女を殺そうとした自分に対してとてつもない罪悪感を抱き、それ以上彼女の顔を見れないのかそっと視線を逸らした。
「……貴様、何故?」
 驚愕と恐怖が入り混じり、思わずセレナを踏みつけていた足を除ける。しかし彼の場合は彼女とは違った意味の驚愕であった。
 自分の上司であるファナから大筋の話は聞いている。
 薄茶色い緩やかなウェーブの髪に、どこかの貴族の娘のような清楚な服装。にこやかな天使の如き笑みに悪魔の如き力を有する悪魔の中の悪魔の話を。
 あらゆる魔族の王、すなわち魔王と人間の間から生まれた、魔王の娘。万物のすべてを破壊しかねない力を持ち、その冷笑は見るものを凍らせるという。

 それが今、自分の目の前にいる。

 すると一歩一歩下がり、巨大な剣を構えて牽制するバドロフを見て、ティセは逆に一歩一歩と近づいてくる。
「ティセお姉ちゃん、そいつはボクが……ひ、ひぃぃっ!!」
 その瞬間、思わず立ち上がろうと力を入れた筈だった腰が抜け、体全体の力が一気に抜けた感じがしたセレナ。
 先程の笑みは何処へ。その笑みは同じ彼女の笑みでも全く違う。
 ドス黒く、殺意と怒りに満ちた、いわゆる冷たい笑だった。
 それにつられたのか、彼女の周りがドス黒いオーラに包まれていくのが分かる。
 セレナは生まれて初めて味わった真の恐怖を、懸命に振り払おうとするが、彼女の姿を見ていると、ファナとはまた違った恐怖を感じてしまう。
 きっと、バドロフもこのような恐怖を味わっているのだろう。
「……ところで、貴方はこの娘の頭を踏みつけながら、何と仰いましたか?」
 まるで地の底から聞こえるような死神の如く美しい声。
「なっ……」
 バドロフはそこで立ち止まった。否、動けなかった。
 体中の全細胞が痙攣し、何故か奥歯がガチガチと音を立てる。
 理由は簡単。この男はファナとは違い、見たことがなかったからだ。
 彼女のこの笑みを。この溢れんばかりの怒りと殺意を。この笑顔の意味を。そしてこの笑顔を見た者が辿る末路を。
「有り得ぬ。この俺が……こんな女に……」
「感謝してほしい、ですか……親を殺された娘に向かって……クスクス」
 冷笑が次第に嘲笑に変わるものの、その姿さえ優雅で美しい。
 ――あれが、ティセさん?
 ふとセレナの思い描くティセの姿とは合わない感じがした。例えるなら、前までが太陽の光だとしたら今は夜の如き暗闇であろうか。
「う…うおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」
 全身の気を一気に奮い立たせ、バドロフは叫びながら走り出す。
 無論、ティセのいる方向へ。
 剣を構え、狙うはティセの首に。バドロフは額に大量の汗を浮かべつつも、それを振り払ったまま剣を振り上げ、自分の間合いになるまでティセに近づく。
 そしてバドロフが一足一刀の間合い。即ち己が持つ巨大な剣を最大限に生かせる間合いに持っていく事に成功すると、何の躊躇いもなく剣を振り下ろす。
 一瞬の不意打ち。これを防ぐ事ができた人物はファナを除いて未だ皆無。

 ――勝った。神よ、俺はあの魔姫に勝った!!

 彼の中で、一時の神への賛辞が唱えられていた。
 ガキィン…
 しかしそれは一瞬であった。
 すぐさまバドロフは、自分にこのような運命を与えた神を大いに恨み、心の中で罵詈雑言を思う存分吐き出した。
 そしてティセはその細い右手で、彼の巨大な剣をいとも簡単に受け止めると、一思いにその剣を根から折り、再度にこやかな笑みを返す。
「そんな……馬鹿な……」
 ――夢だ。これは夢だ。
 そう思う他ないバドロフ。おもむろに自分の頬を抓ろうと試みたが、彼女の笑顔を見た瞬間、それすらも無駄だと言われたかのように、顔から血の気が減る。
 しかしティセの攻撃はまだ始まってさえもいなかった。
 彼女にとってはまさに戯れのような右からのエルボー。
「うごぁぁ……」
 それによってバドロフの右の肋骨の数本が折れ、口から泡が出るが、彼に失神などという甘ったれた事が許さる筈もない。
 すぐに彼女からの左のアッパーによって、彼の顎が砕かれたと同時に、口から夥しいほどの血が流れ、ティセの口元に付着する。
 それをすぐに手で拭くと、一瞬で彼女は消えてしまった。
「!!?」
 そしてすぐに後ろから激痛と衝撃が襲う。

 ズガガガガガガガガガガガガガガガァァァァァァァァァン……

 後ろからティセの蹴りが飛び、バドロフは二十メートル先にまで吹き飛ばされ、すぐに後ろの壁に激突し、巨大な土煙を起こした。
 全てが計算外。全ては悪い夢。しかしバドロフにとってはその全てが現実。
 もはや痛みによって何も喋れないバドロフに、ティセは軽く笑みを返した後、容赦なく近づいてきた。
「!!!???」
「クスクス。まだ喋れるじゃないですか?狸寝入りはいけませんよ」
 そう言って、わき腹を軽く蹴るティセ。
 しかし怒っているティセにとっては軽くのつもりでも、魔族であるバドロフにとってはまさに必殺の一撃に数えられる威力。そのまま彼は悶絶した。
 それでも許さないティセ。そしておもむろに彼の頭を掴んでにこりと笑う。
 その笑顔から、とてつもない殺気が込められていたからか、彼の顔からわずかながらに残っていた血の気が、一斉に引き始めた。
「そろそろあの世に行ってくださいますか?」
「い、命だけは……お願いします、それだけは……」
 もはや喋る気力もないのに、それでも必至に命乞いするバドロフ。
 どんな人間でも、やはり命は惜しいのだ。
 あのファナ以外の人間には傲慢不遜だという、バドロフと言う男を知っているセレナから見ても、彼のこの変りようは、やはり命ほしさなのだろう。
 するとティセはにこりと笑う。
 そこにはあの鋭い殺気もなければ、溢れんばかりの怒りもなく、そして圧倒するような邪気すら感じられない。
 バドロフが先程罵倒した神に再度祈りを捧げたその時だった。
 ズシャッ……
 胸を容赦なくえぐられ、彼の中にある心臓、悪魔族で言うところの『コア』が、彼女の小さな手によって握りつぶされた。
「あが、あがが……」

「アハハ、どうです、私は優しいでしょう?貴方みたいな卑怯な魔族相手に、この程度の軽いお仕置きだけで済ませちゃうんですから」

 先程、自分がセレナに言った言葉を返され、バドロフの体は崩れ落ち、跡形もなく消え去ってしまった。
 どうやら、バドロフのような卑劣な魔族に、ご加護をお与えになるような神など、この世界のどこを探しても存在しなかったようだ。



 全てが終わり、辺りはまたも静寂に包まれる。
 ティセは後ろを振り返り、小さな戦士であるセレナに近づくと、またも笑顔になる。
「さて……」
「ティセ…さん?」
 セレナはそっと、この美しい魔姫を見上げ、そしてまた俯いた。
 彼女は分からなかった。
「ボクは、あなたを殺そうとした」
「でも、お母さんの為、なんでしょう?」
「でも殺そうとした!」
 セレナはまるで、裁判で罪を並べられている囚人の気分だった。
 すぐ近くに、目の前に、魔界より生まれし死の執行人がいるからである。
 そしてセレナが彼女を殺そうとした以上、彼女にはセレナを殺し返す権利が生じる。
「ボクは……多くの人を……お母さんの為…自分の名声の為……ただ、それだけの為に……だって、だってそうでもしないと……」
 吐き出した。
 わずか十二歳程度の少女は、七年間己が持っていた全ての罪を吐き出した。
 自分の命を懸けても、全ての人間を殺してでも、その人を守りたかった。
 ティセには分かる。
 我が身を犠牲にしてでも守りたい人を、殺されてしまった人が持つ悲しみを、彼女は既に体験している。
 しかも悪い事に、それが育ての、とはいえ、他ならぬ両親だったのだから。
「ボクは……たくさんの人を殺して…今日まで生きて……」
 彼女は彼女と同じ目線になるまで座ると、まるで我が子にするかのように、そっと彼女をその両手で抱きしめた。

「!?」
 懺悔が、止まった。

 数秒程時が止まり、それが動き出したのは、セレナの手がティセの服を掴んだとき。
ティセの胸に顔を埋め、幼い闘士の両目から、目一杯の涙が溢れた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 まだ幼い、少女の闘士の懺悔。
 それは、一体誰に向けられたものなのだろうか。
 セレナの母にか、またはティセにか。はたまた戦場で彼女が殺した多くの騎士、兵士、有力者やその家族か。
 それは彼女にしか分からないことだ。
 ティセは目を閉じ、まるで我が子を抱く聖母の様に、そっと彼女に笑いかける。
 右手でセレナの涙を軽く拭き、
 左手でまだ幼い少女の頭を優しく撫で、
 その行動一つ一つが、満月の光の責なのか、まるで本物の聖母マリアに見えた。
「いいんです。あなたは一杯謝った」
「グスッ…エグッ……アァァッ……」
 もう嗚咽で懺悔すらできないセレナ。
「もう、自分を汚す必要なんてないんですよ。辛い事も、苦しい事も、悲しい事も、もうしなくていいんですよ。悪い夢は、もう覚めたのだから……」
 そんな儚い少女を見て、ティセはまた優しく頭を撫でる。
「あぁ……うああああああああああーーーーーーーっっっ!!」
「よしよし……今はたくさん泣いてくださいね」
 とうとう大声で泣き出したセレナの頭を優しく撫でながら、ティセは月が明るい夜の空をふと見上げ、彼女をこんな目に合わせたファナを思う。
 ここで、そんなセレナの姿が、昔の自分にとても似ていなかったならば、彼女の行動はそれだけに留まっていただろう。
 しかしこの夜彼女の中にあるのは、ただセレナへの深い憐れみと、そんな彼女を作り上げた軍人に対する、激しい怒りであった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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