音速の脚力で町を駆け抜ける二人の闘士。 一人は筋骨隆々で、全身を真っ黒に包んだブライアン。 そしてもう一人は、薄青く短い髪に、オレンジのナックルグローブを身につけているセレナであった。 二人は町の中心地、ちょうど壊された銅像の前で立ち止まった。
「ここなら迷う事なく戦える」 「……」
ブライアンの言葉に、セレナは黙る。 「……ごめんね、ブライアン」 「お前は悪くない。あの馬鹿がお前の母親を殺したのだ。さぞ残忍な方法だったろう」 その言葉に、彼女は暗い顔を一瞬だけして、またブライアンを見る。 「そんなのいいよ。どのみちボクは裏切ったんだから」 ブライアンはセレナの言葉に、本気に申し訳ない顔をしていた。 二人の出会いはほんの些細な事。 セレナがファナによって連れてこられ、急にファナが告げた一言が原因だった。 『ブライアン、この女と戦え』 彼は戸惑った。その時セレナはまだ八歳の少女だったのだから。 しかし彼が最も驚いたのは、彼と彼女の実力がほぼ互角だった事だ。 いや、単純に力だけならブライアンに分があっただろう。 しかしセレナはその分、ファナに直々に鍛えられた戦闘術、暗殺術、何よりも闘気が遥かに彼に勝っていた。 以来、彼はファナがいないときに、自分の体術や戦闘術を彼女に教えていた。 ある意味、彼女にとってブライアンは第二の師匠であったと言っても過言ではない。 そんな事を思い出したのか、ブライアンの顔に笑みが表れる。 「……殺し合いの途中に笑うんだ」 「さぁ。相手がお前だからだろうな」 「そっか、君には色々教わってたから……」 クスッと笑ってしまったセレナ。彼が何を思い出していたのか察したのだろう。 「ボクはもう、昔のボクじゃないよ」 「分かっている。ならば俺も全力を出そうか」 ブライアンはそう言うと、構える。 「……ぬぅぁああああああああーーーーーーーーーー!!!!!」 一瞬にして、物凄い闘気が溢れ、辺りに撒き散らされる。 セレナは驚いていた。 いつも見ていた、感じていたブライアンの闘気がまるで違うのだ。まるで、今まではセレナ相手には手加減をしていたのだ、とでも言うかのように。 それが分かると、セレナも構え、己の闘気を高める。 「分かっているな、俺の闘気とお前の闘気、両者の闘気の相性は……」 「知ってるよ。ボクの方が不利なんだろ?」 皮肉を述べ、薄っすら意地悪く笑うセレナ。 彼女の闘気は水。そしてブライアンの闘気は大地。相性は最悪なのだ。
闘気の相性は、五つの元素によって決まる。 それは火、水、風、土、天(つまり雷)。そしてそれ以外に対極として光の属性と闇の属性とがある。簡単に言って、火は水を乾かし、土は水を通さず、雷は土を切り裂き、土は風を通さず、そして風は火をかき消すと言う、この地上の法則がある。
氷の闘士ファナみたいに、特別強い闘気を持っている者ならば、その法則にかろうじて例外が生じる。 例えばファナの氷の闘気が、クラウドの炎の闘気を打ち消した経緯がある。 しかしセレナの水の闘気はただでさえブライアンの大地の闘気とは相性が最悪な上に、闘気まで向こうが上なら本当に勝ち目がない。 まだ拳を交わしていないのに、セレナの額から冷たい汗が垂れる。 「今なら間に合う。戦う事は避けられないのか?」 だというのに、ブライアンはセレナに交渉を続けている。 その目は知っている。 彼にとってセレナは弟子であり、戦友であると同時に、我が子のように彼女を可愛がっていたのだ。 彼女がファナの所で生きてこれたのは一重に、彼のお陰でもあったかもしれない。 「……ごめんね、ブライアン」 そんなブライアンの心境が痛いほど分かっているのか、セレナは少し俯いて、暗い顔をしだした。 すると、 「そんな顔をしないでくれ。まるで俺が悪者だ」 「ごめん。本当ならボクだって……」 できれば戦いたくない。 それが他の人とならともかく、一番長く一緒にいた友人なのだから。 「でも」 そう言って彼女は、強くはっきりとした目で戦友を見る。 「ボクは戦う。誰が相手だって手加減はしない。全力を持って戦って、必ず勝つ。ファナ様の言葉で、これだけは正しいと思うんだ」 それはいつかファナに言われた言葉。 自分が間違っていると思っていても、全力を持って計画を遂行する。それが闘士であると同時に、ファナなのだ、と。 ならば自分も見習おう。 例え誰が相手だろうと、ブライアンだろうとファナであろうと、守りたい物を守る為に戦ってやろう。 それが少女、セレナの思いであった。 「そうか……」 「もういいでしょ。行くよ……」 セレナがそう呟いた直後、 彼女の体の周りから、水色のオーラが現れ、それを見たブライアンの顔色が変わり、知らず知らずのうちに額から汗が流れる。 「闘気が……濃くなっている」 闘士の闘気は、闘士の体の周りにオーラのように拭き溢れ、その濃さが濃いほどその投闘士は強い、という事になる。 今のセレナの闘気はブライアンと同等であったのだろう。闘気の濃さは同等で、若干ブライアンの方が濃い、という程度だ。 「成るほど……」 彼は彼女の強さの秘密を悟り、暗い顔になる。 「そんな顔しないでよ。ボクの為に止めて」 「……分かった」 セレナの目が細くなり、ブライアンの顔色が戻る。 彼は知っているのだ。彼女がどうやって力を得ているのかを。 闘気というのは、魔力と同じで、使った分は自然に元に戻るのだが、許容量という器は決められていて、自然には増えない。 だから闘気、魔力の許容量を上げるには、ファナみたいなよほどの天才か、死ぬ程の訓練くらいしか手はないのだ。 しかし当時5歳前の幼児だったセレナにはそれだけでは足りなかった。 ただの5歳前の、ファナみたいに天分の才などない少女が、ブライアンと同等の力を得るには、方法は一つしかない。 複数の男性の血、または体液、精のどちらかを得る。 少女とはいえ、女性であるセレナだからこそできた事だ。 そして彼女はバドロフ他、複数の男性を相手にし、戦場で殺した強い男の血を飲む事によって、今の力を得る事ができた。 それは、正義のヒーローを目指している彼女にとって、まさに死にも等しい行為だったのかもしれない。 しかし皆、彼女を戦闘兵器、暗殺道具、男はただの玩具としてしか見ていなかった。 だからこそか、ブライアンは唯一、敢えて彼女を普通の人間として、普通に少女として扱っていた。 彼は裁縫が得意だった。だからなけなしの給料で彼女に服を買い、髪を整えさせた。 「……」 ブライアンは昔の思い出話を一時中断すると、二人の闘気が均衡した直後、動いた。 その直後、時間にしてわずかゼロコンマ二秒の差でセレナも消えた。 そして何もない空間が突如爆発し、巨大な土煙が立ち込める。 それが消えると、わずか距離にして五メートルの位置に、筋骨隆々で黒いグローブのブライアンと、薄青い髪にオレンジのグローブのセレナがいた。 「相撃ち……」 思わず呟くセレナ。 先程のは、ただ互いの闘気を、セレナは凝縮してレーザー状にして、ブライアンはただそのままをぶつけただけ。 おまけに全力を出したセレナに対して、ブライアンはわずか三割しか出していない。 悲しいが、これが現実なのだ。 「そんな……」 「セレナ、お前には一つ、欠点がある」 するとブライアンは構え、セレナに接近する。 「それは、お前が若い、という事だ」 その直後、セレナの体が反転する。 一瞬のうちに大地に叩きつけられてしまったセレナ。 「俺とお前では、戦闘経験が明らかに違う」 ブライアンはそう呟くと、セレナの胸倉を掴んで起こす。
「さぁ、俺と一緒に来い」
「え?」 一瞬、何を言ったのかセレナには分からなかった。 自分は殺されると、そう思っていたからだ。 しかし、 「ファナ様に掛け合おう。バドロフを倒し、魔姫を倒したとなれば、ファナ様もお前の裏切りをお許しになるに違いない」 よりにもよって、彼はそんな事を彼女に言い出した。 それがどういうことか、彼なら分かっているだろうに。 「そんな事ないよ」 皮肉を言い出すセレナに、ブライアンの目が細くなる。 「どうしたんだセレナ。ファナ様の悪口が一番嫌いなお前が……」 彼の中で、セレナという少女はいつも、ファナという人物を敬愛し、慕っていた。 ある時は師匠を讃える弟子のように。 またある時は姉を慕う妹のように。 だからこうしてセレナが、一番嫌っている「ファナへの悪口」を、あろうことか本人が言っている事に、彼は疑問を感じていたのだ。 「ボク、魔姫…ティセお姉ちゃんと出会って、一緒に寝て……」 俯くと、何かを吐き出すかのように言い出すセレナ。 それは、ティセと出会い、彼女に助けられ、彼女と行動を共にし、そして彼女を殺そうとして止めた事。 「バドロフに殺されそうになって……ティセお姉ちゃんに助けられて……ボクね、女の人では、お母さん以外で初めて抱きつかれて、それで泣きついたんだ……」 目に涙を溜め、そしたら、と続くセレナ。 「お姉ちゃん、悪い夢はもう終わりだって……もう、苦しい事も、悲しい事もしなくていいて……ボクいっぱい泣いちゃったんだ。お姉ちゃんに助けられたんだよ……」 「……」 「その時思ったんだ。お姉ちゃんを守る事が、多分正義なんだって……ファナ様のやる事も正義だけど、やりすぎたらそれは正義じゃないんだ」 それはブライアンにも分かっていた。 彼とて闘士。余計な人殺しなど言語道断。闘士は暗殺者ではないのだ。 しかしファナの命令でやりたくもない暗殺や虐殺を繰り返しており、セレナが本来請けるはずだった仕事の半数を、彼が代わりにやっていたのだ。 それは彼が、正義を捨てた代わりに、セレナには正義を信じてほしい、と思ったからであり、ブライアンなりの優しさだった。 「……そうか」 「ボク、ファナ様も好きだけど、ティセお姉ちゃんも好きなんだ。だから、ボクは二人を戦わせない為にも、ファナ様の所に行くつもりはない」 二人が好きだから。 二人を戦わせたくないから。 だからセレナはファナを裏切り、ティセの味方になったのだ。 いつもファナの話を毎日のように聞かされていたブライアンにとって、そのセレナの行動がどういう物なのか、辛い程分かる。 「それがお前の答えか?」 「……うん」 再度問いかけ、頷かれると、ブライアンは暫く俯き、顔を上げると、そっとセレナの胸倉を掴んでいた手を下ろす。 「……そうか」 「え?」 呆気に取られるセレナ。 しかし彼は振り返り、歩き出す。 「ならば好きにしろ。お前の人生だ。お前の好きなように生きるんだ」 「ブライアン?」 それは裏切り者を逃がす、という事。 そしてそれは同時に、彼もまたファナやその手下に追われる身になる、という事だ。 「但し」 「?」 立ち止まって強く言うと、そっとセレナの方に顔を向ける。 「必ず生きろ。生きて必ず幸せになれ」 「ブライアン?」 また彼女は、彼が何を言っているのか、分からなかった。 しかしブライアンはそっと笑うと、これ以上ないほどの優しい顔を見せる。 「何年お前を育てたと思っている。お前が幸せになる選択肢なら、俺はその道がどんなに険しかろうと送り出すぞ」 「……え?」 そして前を向くと、彼は二度と立ち止まる事なく歩き出した。 ブライアンの姿が消えると、セレナは立ち上がり、彼が先程までいた場所を見て、悲しみを込めた顔をする。 「ブライアン……」 セレナは気がついた。 ブライアンが何故あんな優しい顔をしていたのか。 理由は簡単。彼女は泣いていたのだ。 あの中で、ファナだけが自分の憧れで、ブライアンだけが自分の味方だったのだ。 そして自分がファナを裏切り、彼がその抹殺を断った結果、彼もまたファナや彼女の手下に命を狙われる身になったのだ。
そしてブライアンが町外れに着くと、そこには既に魔族の姿はなく、彼は町の外に出て、風の国への道とは反対の道を歩き出した。 「魔の姫……ティセか……彼女になら……」 そしてふと立ち止まり、もう一度街を見ると、そっと目に涙を溜めて呟いた。 「ティセよ……娘を頼んだぞ……」
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