街の商店街に、二人の男が並んでいる。
一人は筋骨隆々の闘士。レザーのジャケットにレザーのパンツ。黒い靴に黒いナックルグローブと、完全に黒ずくめだ。 そしてもう一人は飄々とした男だった。隣の男よりも背が高いが若干痩せていて、ナイフを弄んで舌なめずりする。
「まさか裏切るなんてな……」 筋骨隆々の闘士が呟く。隣の男と違って、ビックリしているらしい。 「……バドロフは非道い奴だった」 「しかしファナ様にまで逆らう事はあるまい。今ならまだ遅くないはず」 二人が口々に言うが、セレナは首を横に振って、申し訳ない顔をする。 「ううん。ごめんね、ガル、ブライアン。これはボクが決めた事なんだ。ボクが自分の意思で、この二人を守りたいんだよ」 そう。彼女は昨夜決めたのだ。 自分は誰からの命令も受けず、自分の意思でティセを守る。 そしてそのティセが守ると決めたジュリアも守るのだ。 その事を伝えると、ガルの目が少し細くなった。 「……本気で言っているのか?」 ボソッと答える男、ガルに対して、セレナは一つ頷くだけであった。 すると、闘士ブライアンは左足を前に出して叫ぶ。 「お前もイドリーシアの闘志だろう!?なら志はファナ様と同じ」 「ファナ様がやっているのは世界を支配する事。その為なら少数の罪のない人を傷つけても構わない。でもそれは、ボクの目指す姿じゃないんだ」 そして少し黙り、セレナは何時か母親に言った言葉を告げる。
「ボクはね、ヒーローになりたいんだ」
その言葉に、二人は少し黙り、ブライアンの口がまた開く。 「ヒーロー?魔姫に味方するお前が、か?」 「うん。弱い人を守り、悪を倒す。これがボクの目指している姿なんだ。だからこの街、この街に住んでいる人を守りたいんだ」 「セレナちゃん……」 ティセは正直感動していた。 ブライアンは戸惑い、そしてガルは溜息を一つついた。 「成る程、話はこのままでは平行線に向かいそうだな」 そう言ったガルの言葉は、一瞬の諦めであった。 「お願い、分かって。ファナ様がやっている事は正しくない」 「いや、ファナ様こそが正しいのだ。ファナ様が正義だ!」 「違う。ファナ様がやっている事は悪い事だよ。だからボクはファナ様には付いていかないし、この街も守る」 そうセレナが言い終わると、ブライアンはとうとう諦めたのか、一つ溜息をつく。 「そうか……お前は分かってくれる、と思っていたが……」 「いつかは……こうなると思っていた」 セレナは一言呟き、身構える。 昨夜からそれは決まっていた。 自分は、ファナに敵対する。ならばこの二人とも戦う、という事を。 「ガル、どうする?」 「関係ない。俺は魔姫をやる。お前はそいつをやれ」 ガルの言葉、口調、声ともに冷たい。 それはまるで、最初からブライアンと違って、セレナに対する甘えをなくしたかのようであった。 いや、まるでそもそも、そんなものが初めからなかったかのような感じであった。 「……了解だ」 少し黙り、戸惑いを消して構えるブライアン。そしてナイフを持って構えるガル。 一瞬のうちに、ブライアンとセレナ。両者の姿が消えた。 「……全く…もっとも親しかった二人を戦わせるのだから」 「あなたが悪いのではありません。悪いのはファナです」 ティセはさっとジュリアの前に出て、彼女を守るかのように手をかざす。 それに対し、ガルは薄っすら笑ってナイフを手に取り、まるで玩具を使って遊ぶ子供のような顔でティセを見る。 「俺は何よりも、女を殺すのが大好きだ……それは見た目が良ければ良いほどいい。だからあんな子供より、お前を選んだ…」 「あら。趣味にしては、あまり好感持てませんね」 ガルの言葉に恐怖するどころか、まるで面白い冗談でも聞かされたかのように、ティセは上品に笑う。 しかし、ガルには分かる。 そんなティセの心は今、物凄く怒りに満ちている、という事を。 「さて、それでは行くか……」 ナイフを逆さに持ち、一回舌なめずりした直後、 有り得ないほどの速さで後ろに下がる。 いや、後ろに下がったのではない。吹き飛ばされたのだ。 そしてガルがいた場所には、小さな拳を作ったティセが立っていて、当のガルは二十メートル向こう側にまで飛ばされていた。 しかしガルは受身をして、さっとバック転をすると、足腰の力を利用して立ち上がり、衝撃を和らげていた。 「一瞬のうちに殴り飛ばす……ククク、面白い女だ…魔姫よ……」 ガルは殴られた、というのに苦痛に歪むどころか、殴られた右の頬を摩りながら、まるでそれが快感なのかのように汚らしい笑みを浮かべる。 「殴られて面白いのですか?」 「面白いよ」 さらっと答えるガル。
「こうやって抵抗した女はたくさんいた。しかしそんな女を徐々に痛めつけて苦しませ、泣いて懇願したら今度は好きなだけ犯して殺すんだ。それがた〜のしくて楽しくてよぉぉぉぉ、仕方がないんだよ〜〜〜〜〜〜!!!!!」
気持ち悪い笑いを浮かべ、まるで幽鬼のように近づくガル。 端から見たらただのキチガイだが、その体から、溢れるほど殺気と闘気が膨張している事は一目瞭然だ。 しかしそんな男を見て、ジュリアは腰が抜けて地面にペタンと座ってしまった。 ジュリアみたいな女性でも、ガルの異常なまでの殺気には耐えられなかったようだ。 対してティセはというと、まるで効いていないと言うかのように、薄っすらと可愛らしい笑みを浮かべていた。 「下がっていてくださいね。怪我をしますよ」 そうティセに言われたものの、全身の力が抜けていてまともに立てない状態のジュリアはただ、へたりこんだまま下がるしかなかった。 そして彼女の安全を確認すると、ティセはすぐさま前を向き、満面の笑みを浮かべ、自分の拳を開いた。 「さて、行くぜ!」 ナイフを構え、瞬時に消えるガル。 そして大きな音と共に、大地にぽっかりと小さなクレーターができ始めた。更にそれが徐々にティセに近づいていく。 「しゅ……縮地!?」 縮地。 それはまさに音速を超えた神の速さ。 全速力で来ているのか、それともこれでまだ余力を残しているのか、ナイフを持った下品な殺し屋が徐々にティセに近づいていく。 そしてティセの前にその姿を現した、その時であった。 「ぐわぁっ!!」 ジュリアは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてティセを見ていた。
彼女の、否、普通の人間の目には、まさにガルが消えて、数秒後にティセの目の前に現れたと思ったら、あっという間に後ろに吹き飛ばされてしまったのだから。 そして彼女が次に見たのは、小さな右の腕を伸ばしているティセであった。 彼女が、ガルがまさに、目にも映らぬ高速で移動して、ティセの前に現れたかと思ったら、今度はその速さを更に越える速さでティセに殴られた、という結論に達したのは、崩れた瓦礫から出てきたガルの右頬が少し抉れていたからであった。
口から流れる紫色の血から言って、彼も魔族なのだろう。 「痛ぇぇよぉぉぉぉ、痛ぇぇぇんだよこのヤローーーーーー!!!!」 「あはは、もっと来てください」 この時点で、ガルはティセの術中にハマった、と言っても良かった。 特に傍観しているジュリアにはそう思えたのだろう。 何故なら、それから三回、ガルが幾ら縮地という神速でティセに迫ってきても、彼女が更に早いスピードで彼を殴り飛ばしているのだから。 だから四回目でそれを悟られるのは、当たり前だったと言ってもいい。 というか、これで分からないのなら、ファナがこの男をここにやる筈がないし、そもそもこの男を手下になどしない筈だ。 「へっへっへ〜、いいパンチだよ姉ちゃんよぉぉ〜〜」 もはや完全にキチガイに化した死神ガル。目は虚ろになり、光がなかった。 「いいねえ、それじゃ、今度は俺の番だ」 すると、またガルがその姿を消した。 暫くたって、クレーターさえ出なくなったので、ティセの顔つきが変った。 「あら、縮地じゃなくなりましたね?」 「その通り」 そしてどこからともなく、死神の声が聞こえる。 「お前は殺さない。苦しませて苦しませて生殺しさぁぁぁ!!」 「どちらにしろ殺すつもりなんですね。それじゃ、私も抵抗しますよ」 「できるものならな〜〜〜」 ティセから言わせれば、先程のクレーターの跡を辿って、タイミングを読んで攻撃するという戦術ができなくなってしまい、少しだけその満面の笑みが消える。 するとその瞬間、 何かが切れる音と共に、ティセの頬に一筋の傷が生まれる。 「!!?」 ジュリアには何が起こったのか分からなかった。 分かるのは、ティセの頬に横に一筋の傷ができたのと、そしてそれをやったのが、姿を消した、否、高速で動いているガルなのだという事だ。 そうこうしているうちに、ティセの体から、少しずつ赤い傷ができる。 ナイフと言っても、少し斬るだけで簡単に傷ができ、赤い血が流れるのだ。 まるで人形のような細い腕に赤い血が付き、長いスカートが切れ、白い服や顔が徐々に赤い血に染まっていく。 ジュリアは確信した。 このままでは彼女は確実に死ぬ、と。 ティセはたしかに強い。だがこと攻撃手段に関して彼女はずぶの素人だ。しかしこの相手はそれを本能的に察知したのか、わざわざ姑息な手段を用いている。
――このままじゃ、ティセさんが死んじゃう…… ――アイリスちゃん……
ジュリアは、どこかにいる友人に救いを求めるが、回りには誰もいない。 彼女は、いつもアイリスに助けられていた。 アイリスがいたからこそ、彼女はこうして明るく生きてこられた。アイリスが辛い事、悲しい事を一緒に背負ってくれていたから、彼女は生きてこられた。 だからアイリスが魔物に追われていると思った時、ここで彼女を助けて、今までの恩を返そうと心に決めたのだ。 しかし、彼女は今、ティセという少女に助けられ、本来自分も一緒に背負わなくてはいけない痛みを、彼女に背負わせている。 今こうして自己嫌悪しているうちにも、ティセの体は徐々に傷ついていき、綺麗な絵画が徐々に汚されるが如く、彼女の白い体が血に染まっていく。 「あはは、少しつらいです」 「まだだ、まだ止めないぜ。お前はたぁぁぁぁぁっぷり傷つけて傷つけて傷つけてぇぇぇぇぇ、殺してやるぜ〜〜〜〜〜〜!!!!」 オチャラケているものの、ティセは徐々に辛い顔をしている事は一目瞭然だ。 このままではティセは何もできずに死んでしまう。どれほどの力を持ってしても、当たらなければ意味がないからだ。 ついにティセの顔から笑みが消えかける。 「さぁて、そろそろ本当の地獄を見せてやるぜ……」 ガルがそう呟いた瞬間、 ティセの後ろで何から切れる音がした。 「!!?」 慌てて振り返るティセ。 すると、彼女の目に見えたのは、ガルのナイフが、ジュリアの腹部に突き刺さっている光景であった。 思わず、ティセの顔から、本当に笑みが消えた。 そしてガルは振り返り、そんな彼女を見た途端、天を仰いだ。 「ぎゃっはははははははははははははははははははははははははははは!!!!」 この男は人に絶望を与える事に快感を得ている。 本人は殺さずに、本人が守っている人を先に殺し、戦意を失わせるか、または怒りによって周りを見えなくさせていた。 それは卑怯にも、一種の作戦だ。 このガルという魔族は、こうして何人もの人間を殺してきた。さすがはファナの手下だけあって、その彼の作戦は完璧だった。
そう、あと一歩までは。
「……」 彼はここに来て、早く自分が大変な過ちを犯してしまった事を、後悔しなければならなかったが、彼はそれをしなかった。 「ぎゃはははははははは……ははは……はは……」 ガルは数秒笑い、ティセの顔を見たその時点で、初めて己が、神をも怒らせる大罪を犯してしまった事を知った。 しかし、彼女がそれで許すのなら、それは彼女ではない。 「まさかそういう手に来るとは……あの豚野郎と何も変りませんね……」 彼女の周りを取り囲むオーラはドス黒く染まり、辺りを包んでいく。 そしてゆっくりと歩いていくにつれ、その黒さは徐々に濃く、そして強くなっていき、さすがのガルも一歩ずつ後退してしまっていた。 「はは、はははは……俺は魔姫に勝てるんだ……」 自分はあの魔姫を倒せる。 とんでもない失敗に気づいてしまったガルに残された道は、こうして自分を信じて、最大の力で彼女を倒すしか他なかった。 そしてその瞬間、またもガルの姿が消える。 「これで終わ…!!?」 その直後だった。 彼を凌ぐ、更に早いスピードで移動したティセのパンチが飛び、彼の大きな体が壁を壊して次の壁に激突する。 それは一見先程のパンチと何ら変らない。 しかしガルから見れば、それは狙いも威力もスピードも、何もかもが上回っていた。 まさに先程のティセとは別人。 これが魔姫なのだ。 その笑みは優雅で、それでいて冷酷な笑み。 「アハハ、その程度の腕で私に勝負を挑んだのですか?お馬鹿猿以下ですねぇ。あ、それ言ったらお猿さん以下の方々に失礼ですね…クスクス」 その言葉は一見優雅に、実は棘だらけの突き刺さる一言。 そして何より、先程とはうって変った、その周りを包み込む黒いオーラ。 なんとか気力で立ち上がると、彼はまさに地獄の閻魔を見たかのような、悲壮と絶望の入り混じった、蒼白な顔をしだした。 「覚悟できてますよね……私の大切な友達を傷つけたのですから」 その言葉の直後、 この哀れな死神は、自分の上司の言葉を今になって思い出した。 『魔姫の力は、自分の大切な人が傷ついた時にしか発動しない』という言葉を。 それに気がついた時には遅かった。 圧倒的なスピードで近づき、彼の頭を掴むティセ。 そしてそのまま拳を振り上げ、下に向かって一直線に振り下ろすと、ガルの顔が地面に叩きつけられた。
「ジュリアがあれで本当良かったです。こんな私、見せたくありませんから……」
しかしそれでも彼女は止めなかった。 まずガルを空中に投げ、自分もジャンプし、次に彼の体をこれでもか、と言わんばかりに殴り蹴り、そして二人の体の上昇が止まった時点で、彼の腹に向けて、振り上げた右足を全力で振り下ろす。ガルの体は地面に真っ逆さまに叩きつけられ、巨大な土煙が辺り一面に巻き起こる。
まさに一瞬の連撃。そして必殺の一撃に等しい。 そしてティセが着地すると、土煙は晴れ、そこにはガルが倒れており、彼の体はその直後、一瞬のうちに姿を消した。 つまり、ガルはこの世から姿を消したのだ。 「……」 ティセは何事もなかったかのように、倒れているジュリアの元に駆け込むと、彼女の傷を確認し、瞬時にぱっと笑みが復活する。 そして彼女を背負うと、ティセは先程ガルが消えた場所を見て、そっと満面の笑みで呟いた。 「ファナから、何も言われてなかったようですね」 ――私を本気で怒らせた人は、必ず地獄を見る、って…… そして傷が浅いのか、まだ意識があるジュリアに笑いかけると、全速力で防空壕のある場所まで走っていった。
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