で私はこの初演の失望によつて、作家として舞台の上に描いてゐた理想をはげしく打ち破られたけれども、同時にこの幻滅は、私が日本の新劇といふものを全然念頭においてゐなかつたといふ事実にもよるものであるといふことに気がついたのである。日本の芝居は旧劇を見ても、新劇を見ても感じることがあるが、芝居を書く人々は常に現在の舞台から色々の霊感を受け、はつきりとどの役者に当てはめて書くといふわけでなくても、現在の日本の俳優の能力とか、人柄とか云ふものを、無論無意識にではあるが、絶えず頭に入れて書いてゐる。 ところが私の芝居の概念は殆んど、西洋、殊にフランスからばかり受けてゐると云つてもよいので、外国から帰つて自分の作品が上演されるやうになるまで、私は日本の芝居といふものを殆んど見たことがなかつたのである。それで、私は自分の作品を、日本の舞台にかけるものとして具体的に考へて見ることなく書いた。現在の新劇の俳優がどういふ演伎をするか、またどんな教養をもつてゐるかといふことを全く知らないで書いたといふところにも、初演の時の大きなギヤツプがあつたわけである。併し、さういふ私が、最近になつて却つて日本の俳優にはまるやうなものを書くといふ皮肉な結果になつてゐる。 |